今こそ鈍感でありたい

ややこしいウイルスによる恐怖が広がり、それぞれの人々がそれぞれの感じ方で怯えている最近。
こんな時、様々な事が可視化されてきて、我々はとてもぎこちなく、居心地が悪いんです。
意外な人が意外な発言をしたりする。またそれに、意外な人が「いいね」して「シェア」する。
よくわからない「気持ち」は簡単に共有されて拡散され、あるいはそれへの嫌悪が広まる。

嫌悪による衝突は、それなりの快感を伴う。
そもそも、痛みは快感なのだ!

痛みを求めて発言する人も多い。
それはリスクを伴うちょっと危険な「カッコいいキャッチフレーズ」だ。口下手な私には成せる技ではないが、言葉巧みな人はまことに器用に言葉を自由に操り、絶妙なタイミングで絶妙なカッコいいキャッチフレーズを発信するだろう。
言葉のロマンに弱い人は、瞬間的にこれに酔いしれ、またそんな自分に酔う。

理解が深まることはない。
あるのは、印象だけ。

ウイルスだかなんだかの恐怖に怯える人々は、そんな印象に簡単に心を支配される。
親切のためかデマを拡散し、いいねいいね!しまくり、気持ちが良い言葉に感動したり、ちょっと違和感を感じるものには簡単に嫌悪感を抱いてしまう。調べるより、直感でシェアだ。

混沌としている今こそ、鈍感でありたい。
正義なんて不要だし、そもそも存在しないのだ。
ほとんどの正義は発信する人の自己満足。
しかもそのネタは大抵、何かのシェアとコラージュ。
オリジナリティーも説得力も、責任もない。


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