『汝、星のごとく』をきっかけに小説を書くことをやめた話
51年前のカメラロールには、他人が撮った写真ばかりが並んでいる。
他人とははライター「まりしゅん」になる前、小説家を目指していたときの私だ。
5作目の長編を執筆中だった年末年始。帰省もせず、作品の舞台とする場所を一人で歩き回り、ひたすら写真を撮っていた。
五感で覚えた情報をメモに書き溜め、細部の描写に徹底的にこだわり執筆を進めた。
どうしても書きたかった、この作品を書くために4年間修行を積んできたと思えるくらい、私にとって大切な作品だった。
4ヶ月ほど、可処分時間の大半を費やして描いた12万字。
クオリティは散々だった。
一応サイトの月間特集には選んでもらえたものの、過去作と比べてPVはほとんど伸びず、ラストまでたどり着いてくれた数少ない読者からも、「こんなの感想書けませんよ……」と困ったような感想が届いた。
出す予定だったコンテストにも出す気にもなれず、完結から1週間後には非公開状態に戻してしまった。
うまくいかなかった原因は、そのテーマを扱うには私が人格的に未熟であったことだったと考えている。
4年間で長編を5作、短編を30作ほど書き上げての実感だが、自分が現在進行形で抱えている精神的な課題、自分なりの答えを見つけていないテーマについては、物語の形にすることが難しい。
その作品の主軸に添えたテーマは、当時の私をリアルタイムで悩ませる課題であり、物語で示そうとしたメッセージが「きれいごと」に思えてしまった。その結果、向かうべき方向にストーリーを向かわせることができなくなり、支離滅裂なラストを描いてしまったのだ。
自分の最高傑作になると思っていた作品はいつの間にか、物語と呼べるのかもあやしい落書きになっていた。
書きたかった作品を形にできない。
他人から見れば取るに足らない体験であろうが、創作至上主義で生きていた当時の私にとっては、自分の人生を丸ごと否定するに十分な絶望だった。
とある日曜の朝のこと。
普段なら朝から執筆を始めている時間帯、気力を失った私は、散らかった部屋を無心で掃除していた。
収納ケースの上、本屋の紙袋の中にはいったままの本を取り出して分類する。手に取ったうちの1冊が、私の動きを止めた。
『汝、星のごとく』
2023年に本屋大賞を受賞した、凪良ゆうの代表作だ。
私の自宅には、この本が2冊ある。このとき目に留まったのは後に買ったほう。2023年の冬に期間限定で販売された新装版だ。
その帯には、作品の登場人物である青埜樫のモノローグとして、このような文章が書かれている。
私はこの文を読んだ瞬間に思った。
小説を書くことをやめよう。
青埜櫂は同作の主人公の1人。10代で大ヒット漫画の原作者として名を馳せるが、とある事件によりキャリアの中断を余儀なくされる。深刻なスランプに陥った彼は、終盤にとある決断を下したことで息を吹き返し、作家としての活動を再開する。
小説を書いていた当時、私は生意気にも櫂に自分を重ね、「一度も売れなかった世界線の櫂」を自認していた。
「私は櫂のように世界から認められるにふさわしい作家だが、不幸にも日の目を見ないまま死んでいくのだ」と思っていた。
帯の文を読んだとき、自分でもうまく説明できないが、次のように感じた。
自分は櫂ではないし、櫂になれないし、だからこそ、櫂とは違う道を歩める。
様々な読み方があるだろうが、『汝、星のごとく』の後半、櫂は総じて幸せとは呼び難い道を歩んでいたように見えた。ラストには救いもあるのだが、全体を通して、「もっと違う生き方がありえたのではないだろうか」と考えさせる人生だった。
櫂のような気高いクリエイターでありながら、櫂とは違う自分なりの生き方を見つけたい。
そう考えた私は、樫と反対の行動をとることにした。
作中、櫂がスランプを脱するために選んだ道は、帯にある通り「自分自身の原点に立ち返ること」だった。記憶をたどり、心の中にあるもっとも強い感情を見つめ、自分の内側から傑作の部品を引きずり出した。
私は逆に、自分の外側に意識を向けた。
もっと具体的に言えば、創作を中断し、現実世界を充実させることに集中した。
社会人である私が現実世界を充実させるために手っ取り早い方法は、仕事にフルコミットすることだ。
そう考えた私は、以前少しだけ取り組んでいた副業を本格始動し、それに伴って新たなコミュニティに飛び込んだ。
ライター向けスクール「Marble」の受講をきっかけに、取材や編集などの新たな仕事を獲得した。
1年前からは見違えるほど関わる人の幅が増え、できることもやっていることも広がった2025年の1月。
次に小説を書くのは数年先。いつか納得のいく作品を書くために、今は現実世界を全力で生きようと思う。
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