金と文化とクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
前回の記事(大衆と歴史とクライテリオン)でも書きましたが、いよいよ4/7日に緊急事態宣言が発令されるようです。
会見は(仕事もあり)見ていないのですが、総理は「これまでの日本のやり方にわ変わりはなく」と仰ったとか。
コレは要するに「休業補償はしません」と言うことなんでしょう。この宣言で、何千の中小企業が廃業・倒産し、何万の失業者がでて、何万の自殺者が出るか。日本人は血の涙を流しながら目に焼き付けなければなりません。未だもってネオリベラルな思考が抜けきらず「自己責任」だ「俺に移すな」と言っている訳ですから。
もちろん、そうならないための努力を全力で取り組みましょう。刀折れ矢尽きるまで戦うことを忘れてはなりません(自戒の念を込めて)。
本当に唾棄すべき世の中になりましたが、今回は「今後の(多分300年後くらいの)日本」の為に考えたい「文化」について。

テレビで某大物コメディアンが「ホステスが働かなくなって、その所得を税金から支払って欲しくない」と仰って、それに某医療法人の代表が乗っかったとか。
心情的には分かりますよね。自分だってダウンタウンがコロナで仕事を自粛して所得がゼロになった。美容整形外科は不要不急の外出だから自粛しましょうとなって、クリニックの売上がなくなった。その所得・売上を税金から支払われるってなったら「そりゃどうよ?」と思わなくもない。(恐らく方々は「いらない」と仰ると思います。あくまで「例え」です)
心情面としては理解できなくはないのですがい、こういった議論は大体の場合において、国民の「分断」を招きます。
件のケースでは「所得の多少」によって。「高額所得者は金があるんだから補償なんていらないでしょ。貧しい人に配らないと意味がない」のような議論が起きている。こう言った話はよくありますが、その結果フランスでは「黄色いベスト運動」が起き、アメリカでは「トランプ大統領」が生まれた事は記憶に新しい。
その是非はさておいて、コレってやはり問題ですよね。今まさに危機の時代に突入しているわけで、全員が一致協力して立ち向かう必要があると言うのに、「コロナの軽症者をホテルに入れるのはおかしい。官舎に入れたら良い」とか下らない話が出てくる。ホテルは今、インバウンドが縮んだおかげて空き室だらけなんだから、借り上げればホテルにとってもメリットがあるだろうとかいう話があっても良いのでは?とも思うけど、官僚もホテルのオーナーも権力者だとばかりに叩きまくる。
と思えば為政者は為政者で、しみったれた金の使い方して、出てきたものは「アベノマスク」って言うんだから笑えない話ですよ。誰も彼も「ポジショントーク」に明け暮れてて、本質にたどり着いていない感じでしょうか。

では何が「正しい」のか?その「クライテリオン」を考えてみましょう。
この(人為的ではありますが)国難の時代ですから、大事なことは「一体感」と「元気にいきる」ことです。
まずは「一体感」ですが、当たり前ですよね。世の中が厳しくなれば、自分一人の力ではなく協力して行かないと乗りきれない訳です。南極のペンギンたちは、暖かいシーズンは好き勝手に生きてるけど、寒さが厳しくなると、みんなで集まって「おしくらまんじゅう」するらしいです。動物でさえ分かってるんです。
そのためにも、給付に所得の制限とかは良くないわけで、一律が好ましいでしょう。しかし条件は付けても良い。例えばトータルの学は一緒だけど、所得によって「現金」だったり「お肉券」だったりしても良いと思います。商品券にする理由は、現金だと貯蓄に回って経済が回らないからなんでしょう。所得が低ければ現金の貯蓄が必要かもしれません。でも、高額所得者ならまぁ、現金でなくても生きては行ける。だったらその人達には経済を回してもらう。
コレが「一体感」なんだと思うんですよね。

次は「元気にいきる」ことで、これは「ただ生きていれば良い」訳ではないです。
元気に生きるためには「文化」が大切です。例えば居酒屋だってそうでしょう。日本の食文化を支えてるし、我々が管を巻いて議論をするのも大事ですよね。そもそも人と会わずに生きてて意味があるのか?
今はWebで飲み会するらしいですが、空気感というのは議論にとって大事ですよね。
今の時期に自粛をしましょうは1兆歩くらい譲って認めても良いんですが、その為に文化が無くなることは一切容認できない。
だからこそ国は自粛を要請するなら補償をしないといけないんです。
弱者救済とか、そういう安っぽいヒューマニズムのためではなく「元気に活きる」土壌(=文化)を守るために必用な事なんです。
どうも最近の自粛至上主義者の議論を聴いてると「自分さえ生きていれば他は良い。俺にコロナを移すかもしれないんだから、街なんか出歩くんじゃない」と言っているようにしか見えない。
歴史とか文化とかコミュニティとか、人間が人間として生きる(活きる)ために必要なものを忘れているんじゃないでしょうか。

そんな民族には当然ながら明るい未来はやってきません。この国が続いていくための、大切な人が「明るく元気に」生きていくための議論が深まることを祈念します。

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