勉強と学問とクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
自分はこう見えて(?)「元」予備校校長でございまして、大学受験も一段落して色々な総括をしている頃と思いますので、そんなお話。
もちろん以下の内容というか、今までのものも含め全て私見でして、所属している(いた)団体とは全く関係ありません。当たり前ですね。

という事なんですが、みなさん小さい頃は「勉強」してますが、成長すると「学問」をするようになります。だいたい小学校~高校までは「勉強」で、大学以降は「学問」というイメージでしょうか。

なんとなく「勉強」と「学問」は別物であることは分かると思います。(さらに言えば私の職域だった受験勉強もやっぱり別物です 。)ではまず、その違いを考えてみましょう。

勉強は読んで字のごとく勉めることを強いる。「勉める」が「努める」でないのは商人の心意気ということにしておきます。強いるという言葉にはポジティブなイメージはないでしょう。「勉強しろ」と言われると反抗したくなるとかは、直感的に正しいってことですね。
では学問。学は「まなぶ」ですから「真似ぶ」、つまり手本を真似することですね。そして問、こちらは「問う」わけです。これはなかなかに味わい深い話で、手本を「真似」して手本に(を)「問う」。日本の武道などで「守破離」という修行の流れがありますが、これに良く似ています。
正しいと言われているものを学びながら、それが正しいかどうかを吟味してみる。それを積み重ねることによって「修める」ことができるわけですね。
因みに学者は英語で言うとScholar(スカラー)ですが、元はラテン語のskhole(スカレー)で暇って意味です。そりゃあ暇じゃないと「一所懸命に真似をして」「それが正しいか突き詰める」などと言うことはできません。学問という言葉は中国からですから、洋の東西も問わない感覚なんでしょう。学校(=school)も同じく、「暇」が語源ですね。
では最後の受験勉強ですが、これはただの「ビジネス」です。
取り敢えず「受験学問」とは言わないですよね。受験生は「暇」じゃないですから。ゴール決まってますので、まさに「忙しい(=business)」のです。
なので「ノウハウ」や「テクニック」が存在しますし、それを(ある程度ですが)形式知にできるんです。
受験勉強は社会で生きていく上で役に立ちます。そりゃビジネスですから、仕事する上では役に立ちます。でもそれだけです。受験勉強は人生を豊かにします。まぁお金は稼げるかもしれません。ビジネスですから。でもそれだけです。
受験勉強という「忙しい(=business)」ことをして、大学という「暇(=school)な」場所へ行く。んで「暇人」の集まりな大学に行ってどうするかといえば「business」やって金を稼げるようになりたいという。これはやっぱり「正しくない」です。
そうすると当然ながら大学でbusinessを教えるとかいう、バカも休み休み言った方が良いような事が起きるし、そう言うことを平気で言う「ビジネスマン」が出てくるわけですね。
そして大学という「知」が崩壊した現在、我々は「ロックダウン」とか「アウフヘーベン」とか言ってる「災厄」に遭遇するわけです。
国民全員が「学者(スカラー)」になる必要はもちろん無いのですが、国民全員が「ビジネスマン」であってもいけないし、学者にビジネスを求めるのは止めましょう位の「基準(クライテリオン)」は持ちたいものです。

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