日常と異常とクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
最近コロナ系の話題に寄ってますが、今回もコロナです。

今日6/19(金)、久々に電車が激混みで、いつもものすごい静かだった飲み屋街も若者たちがマスクもせずに大はしゃぎで、なんでだろうと思っていたら、どうやら今日から県をまたぐ移動が解禁されたらしい。
そもそも自分は自粛自体に懐疑的でした。それは過去の言説を見ていただければ分かってもらえると思うのですが、その自分から見て思うのは「異常」だということです。

どこに異常さを感じるかと言うと「自粛をしていた人達は何のために自粛していたのか」ということです。
マウントを取るつもりはなくて「いや、コロナ警察が恐くてねぇ。。。」とかでも全然ダメじゃないと思うんです。一般的には恐いものなんだろうと言うのも分からなくはないですし。
でも何て言うか、そういう「長いものに巻かれる」生き方をしたら、少し「恥ずかしい」という雰囲気があっても良いのではないかとも思うんです。
「恥をしれ、御祓をしろ」とは言いませんが、やはり今回の「異常な自粛」に対する「総括」は必要なのではないでしょうか。

爆発的な感染が起きる可能性は十分あると思います。それは感染者数が増えているところから「外に出る」や増えているところに「向かっていく」訳ですから、増えるのは当たり前に近い話だと思います。
今度は感染者が増えても自粛という選択はないでしょうが「なんで今度は自粛しないのか」について答えを持っている必要はあるのではないでしょうか。
大体ウィルスなんて毎年「未知のウィルス」が生まれて、結構な人が死ぬんです。
「コロナは死ぬ病気です」と言っている人がいましたが「インフルエンザは死ぬ病気」です。また自粛最盛期に「外に出ることは、他人に移す可能性がある行為だから不道徳だ」と言って非難している人も大勢いましたが、だったら「車に乗って出かけるのは、他人を事故に遭わせる可能性がある行為だから不道徳だ」とも言えるわけですし、実際に亡くなる人の数は後者の方が圧倒的に多いわけです。
それは結果論だと言われれば、その通りなので結果論でも良いんですが、結果が出たのならその結果に対する議論、すなわち「結果論」は必要ではないでしょうか。
何となく日常が戻ってきて良かったなぁという雰囲気を感じますが、その日常に戻ってこられなかった小売店・飲食店が大量にあるという事に想いを馳せることができれば、そんな簡単にバカ騒ぎはできないと思います。自分が感じた「異常」はこの点に尽きるかもしれません。
第2波に向けて「良き文化」を守る為に正しい結果論を求めていきたいと思います。

追記:ココからはただの愚痴ですが、若者が今更ドヤ顔で騒いでるのがモヤっとするんですよね。
大体コロナにかかったところで若者なら「ただの風邪」位なんだし、総理や知事ごときに言われたくらいで自粛するとか正気とは思えない。そしてコレだけ大したことがないと分かっていながら、移動が解禁された途端に彼氏や彼女に「やっと会えて良かった」とか少し恥じた方が良いと思うんです。
二十歳になるまでに左翼にならないやつは心がないと誰かが言ってましたが、若いうちは反体制なのは当然でしょう。(その誰かは三十になってもまだ左翼やってるのは頭がないとも言ってましたが)真面目に生きてれば、若者はとっくの昔に日常に帰っている筈なんです。

という事で最後はオッサンの愚痴をお届けして今回はこの辺で失礼します。

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