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墨子-理想と現実の2軸思考
書く習慣43日目!
今日は墨子の話です。
兼愛を説いた墨子
学校の教科書では、諸子百家の一人で、博愛主義の思想家として教わる墨子。
COTEN RADIOではソーシャルベンチャーという切り口で彼の話をしていたが、でてくるエピソードが超カッコよかった。
墨子のここがすごい
世間の逆を行く
まず、戦争することが日常となっていた戦国時代に兼愛(万人を区別なく愛する)と非攻(他国を侵略しないこと)を唱えていたこと。
いかにうまく戦うかや、敵を出し抜いて打ち倒すかということが求められる状況で完全に真逆をいっているというのがすごいのだが、そのすごさはそれだけにとどまらない。
戦ったら実際強い
墨子は侵攻はしないけれど、防衛のための戦争は否定しておらず、しかも防衛する築城技術がとんでもなく高かった。ラジオでは70戦無敗ということだった。
「世界が平和でありますように」なんてのは口では誰でも言える。そうではなくて、平和を維持するだけの実力をがっちりつけていたというのがすごいし、メチャクチャかっこいいポイントだと思った。
平和主義という理想がありながら、戦うことを放棄せずに戦ったらちゃんと強い。ひいては現実的な解決ができる。ラジオでも言っていたが、理想と現実を両面見据えているというのは経営者が目指すべき姿なのかなと思う。
理解されなくてもキレない
経営者の話を出したので、これもラジオで話されたいたことを書くと、熱く理想を掲げた組織のトップにありがちなギャップの話。その熱さゆえに部下との温度差にキレてしまうこと。特にソーシャルベンチャーなどの利益よりも社会的な問題解決に力を入れたい人ならば起こりえることだ。
ギャップがあるほど「なぜ分からないんだ!」となる気持ちも十分に理解できるが、墨子はそうはならなかった。300人弟子がいて、そのうちの3人くらいしかその思想を理解できなかったそうだ。残りの297人は墨子の防衛技術を目的に弟子となっていたとのこと。
その状況で墨子は、3人も自分の思想を理解したことをとても喜んでいたらしい。これは現実を受け入れているからこそできるムーブだと思う。
LOVE & PEACE っぽいけどヒッピーではない
ここからは完全に蛇足。
墨子擁する墨家で私が知っていることのひとつに音楽の禁止がある。
今でいうロック的なものではなかったけれど、質素でストイックな墨家の思想には音楽は不要だったのだろう。当時は音楽はもっと儀式的な色合いが強かったのかもしれない。
平和・博愛というとヒッピー的なイメージを私はしてしまうのだが、そこから音楽などの享楽的なものをとっぱらってしまうと本当に修行僧みたいな感じになりそう。儒家との対立を考えるとこうならざるを得なかったのかもしれない。
※ちなみにwikipediaにはこう書かれていた。
非楽
人々を悦楽にふけらせ、労働から遠ざける舞楽は否定すべきであること。楽を重視する儒家とは対立する。但し、感情の発露としての音楽自体は肯定も否定もしない。
感情の発露としての音楽は肯定も否定もしないのだったら少し話は違うか。。
唐突におしまい!