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徒然ならない話 #21 嫌な記憶はぶり返す
4月から本格的に始動した仕事にも少しずつ慣れ始め、仕事と休日のサイクルに対してもちょっとずつ自分のルーティーンが確立され始めた今日この頃。
私こしあん派、先日仕事でとうとう大きなミスをしてしまいました。
凡ミスが大きなミスにつながるパターンのもので、それはそれは周りに迷惑をかけてしまった、にも関わらず先輩方が優しくフォローしてくれました。
しかし過去のミスがトラウマ化しやすい性格の僕なので、
今回も例に漏れず事あるごとに失敗の記憶がぶり返しては、頭が回らなくなってくることが増えてきました。
僕は昔のことをよく覚えているタイプです。良し悪し問わず。
それがいいことや楽しいことなら問題ないのですが、
悪いことや失敗、辛いことの記憶であれば話は違いますよね。
直近で言えば今回のミス、
少し前で言えば大学卒業からの社会人デビューへのプレッシャー。
さらにちょっと前だと卒論。
一気に遡ればコロナ、大学受験。
もっと行くと高校受験、部活、中学の定期テスト期間、、
小学生の頃に親や先生に怒られた記憶、
果ては幼稚園の頃に怒られた記憶まであります。
ぼやっとどころではなく、その時どんなシチュエーションで、誰に何をどんな風に言われたか、自分が何をしてしまったか、自分の当時の心境まで割とよく覚えているのです。
人間というのは良い記憶よりも思い出したくない記憶の方をふと思い出してしまいがち、とよく言いますが、
頭が取れるほど頷きたくなります。
そんなこんなで、人生が進むにつれ思い出す失敗や辛い記憶は累積し、
全く関係のないことが原因でそれらがフラッシュバックしてしまうんです。
今回もそうでした。
そこで最近、人生で一番辛かったことって何だろうと考えました。
(恋愛は除く。最高レベルが多すぎるので)
思いあたったのが中学時代の部活動でした。
僕は中高ともに男子ソフトテニス部に所属していました。
と言いつつも中学校の時点では初心者で、
小学校の同級生に誘われる形で入部を決めました。
小学校の頃はあまり運動をせず教室で本を読んでいたので、
日常的に激しい運動をする、というのは初めてのしんどい経験でした。
そして僕は全体的に運動が得意ではありません。下手と言っていいでしょう。
なので案の定というか、部内の選抜チームのようなものに選ばれる機会も、表彰される機会もありませんでした。
それでも1年生、そして2年生の前半はまだ辛く感じてはいませんでした。
自分に先輩たちや、同学年の経験者や運動上手を差し置いて上に行けるほどの力がないことはよく分かっていたから。
ただそのうち、周りの同じような初心者たちがメキメキと実力を伸ばしていき、ダブルス団体戦のペア5組が混戦するようになってきました。
その一方で、僕は全くそのボーダーラインにかすることもないまま。
自分にはセンスも経験も運動神経もないし、勝てないと思う反面、
自分が努力してないならまだいいけど、努力して練習してるのになんで、、
と悔しさやプレッシャーを感じました。
だけどそのつらさを感じているということが、周りには絶対に言えませんでした。
センスのないやつが努力してるのに選ばれないとか言ってるの、
弱いくせに一丁前に自分は高いところに行ける、プライドだけ高くて悔しがってる感じでダサい、
とか言われるんじゃないかと思うと苦しかったです。
結局僕は最後まで団体戦のペアには選ばれませんでしたし、個人戦でも表彰台に上がることは、どんなに小さな大会でも一度もありませんでした。
高校もテニスを続けましたが、同じように団体戦にも、個人戦の表彰台にも無縁なまま僕の6年間は終わりました。
今でも正直、部活のことは思い出したくないです。
もちろんチームメイトとのプライベートでの交流や、
休憩中の談笑など、
楽しかった思い出もたくさんありますが、
その裏には常に僕の不甲斐ない劣等感や厳しい現実があって、
僕はそれも含めていい経験、と言えるほどのポジティブを持ち合わせてはいないのです。
毎回顧問の先生が練習試合に連れて行くペアの名前を読み上げる時間はつらかったです。
自分が選ばれるかどうか不安、なんて考えは一切ありませんでした。
ただ、選ばれない、置いていかれるだけと分かっていながらその時間を過ごし、
時には同じところにいたはずのチームメイトの名前を、
おめでとう、と笑顔で拍手して終わるのが、
ただただ惨めでした。
でもそれを口に出してしまえば、強くもないのに何を言うんだとか、
それは単に努力が足りてないだけとか、そもそも向いてないとか、
結局この自分の感情には何の正当性も同情の余地もないことを示されてしまいそうで、
僕は黙ったまま頑張ることしかできませんでした。
それ以来、自分の本当の気持ちを話すことに抵抗を持つ癖ができました。
何を言っても、それを理解できない人はいるわけで、
自分がわかっていないだけで自分に過ちや落ち度があると指摘されるかもしれない、
それが自分の近くにいる人だったらどうしよう。
ああ言えばこう言われるんだろうな、、
そう思うと、自分の正直な気持ちを言うことはひどくリスキーで、
何かを失ったり傷つくことの方が圧倒的に多いんだと捉えるようになってしまいました。
今でもその癖は抜けず、
何かを話すときは頭の中で何パターンも相手の反応や指摘を予測して、
言葉を飲み込んだり相手に合った発言に変えたりしています。
おかげで誰かとの衝突や別離は減りましたが、
その代わりクルクルと考える習慣のせいで自分の本当の考えが分かりにくくなっています。
今も昔も周りに一枚壁を作っているような気分です。
そんな僕にも、忌憚のない正直な気持ちと思いやりを向けてくれる友人たちがいて、
何度もぶり返す季節風邪のように襲ってくるつらさや記憶の中でも、
何とかやり過ごすことのできる支えになっています。
仕事ばかりで機会は減ってしまったけれど、
時々友人たちと会って、する必要のないくだらない話をする時間のために、
今日も僕は働くし、
今日も僕はつらさをぐっと堪えて明日を迎えるのです。