
先生たちがくれた言葉
最近アイフォンに変えてから睡眠を測るアプリを使って毎日の睡眠を計測しております。睡眠時間はもちろんのこと、睡眠の周期とか寝付きの良さも測れるアプリなんですが、睡眠時間が短いと周期がよくなって、睡眠時間が長いと周期が悪くなるの切り返しでどうも全項目全ていいようにならないで困っています。そんな中睡眠短かろうが長かろうか、睡眠の深さがいつも底つくくらい深い小澤です。なんか睡眠深いの恥ずかしい。
先生がいっていた言葉を思い出したのでそれについて書きますね。
何度かしたことのある話です。
確か中学3年生の二月くらい。卒業をまじかに控えていた時期だと思います。前も書いたことなのですがうちの中学は毎年のように学年に一人はヤンキーが生まれます。ほんと毎年。学ラン全開け眉毛気合い入ってよろしくみたいな人たち。まあでもやんちゃな人が5〜6人でるだけなので大した問題にはならないのですが学校としてはどうにかしたい。
そんな中我が学年。一人も不良が出なかったのです。おめでとう。結果として高校に上がってその素質あるやつはそんな感じになっていくのですが中学校の時はそんな人一切でない。『奇跡の世代』と僕は勝手に呼んでます。僕が勝手に呼んでます。
そんな世代なもんだから先生たちも、『この世代から学校を変えよう』感が強いんです。その中の一つの試みが卒業式の『答辞』。普段卒業生の代表が校長先生に「あざっした」みたいのが普通じゃないですか。そこを変えます。卒業生全員が前にでて在校生、保護者の方を向いて『あざっした』するのです。そして歌うのです。何歌ったかは忘れた。「旅立ちの日に」とかじゃないかしら。で感動に包まれてフィニッシュ。いい世代。
その卒業式の予行練習の時いっていた先生の言葉が残ってるんです。
名前を呼ばれて、答辞して、歌を歌っていつも通りの練習。特にみんな気を張ることも気をぬくこともせず淡々と進んでいきます。式の練習ってなんやねんと思ったりしながらも特にふざけることなく。奇跡の世代だから。
いよいよ卒業式を控えた最後の練習。3年間ずっとこの学年をみてきた先生の一人が口を開きます。
『いよいよ卒業式です。僕はこの3年間ずっとこの学年をみてきました。この3年間皆さんの多くの成長見せてもらいました。すごくそれが嬉しかったです。そしてここ変わってねぇなあって部分もいっぱい感じています。それはみんなの変わらない君たちらしさ、いい部分なのだと思います。大切にしていってください』
もう一人口を開きます。
『卒業式、人生であと何回もないものです。僕らは最後だと思って君たちの名前を本気で呼びます。今後人生で自分の名前を本気で呼んでもらえることあるかわかりません。本気で返事してください。』
またもう一人
『大人になって思います。誰かと力を合わせて何かをやることが少ないことを。合唱は今の皆さんにとっては当たり前かもしれませんがもうなくなることです。最後だと思って歌いましょう』
僕も今年30歳になって、なんとなく先生のいっていた意味がわかります。そして練習していた意味が。最後をちゃんと迎え入れるための心の準備だったんだと思います。もうないことを後悔しないために、ちゃんとを区切りをつけるために。
卒業式本番。今までの卒業式で一番よかったとみんなは言いました。いい学校になったと。
翌年、思いっきりヤンキーが出ました。
卒業式のできなど関係ないのです。
最後に昨日はスナックバイザウェイvol.12ありがとうございました。12回もできていることにすごく感謝ですし、新しく参加してくださる方がいるのもまた感謝です。まだ21日20時からのが残っておりますのでぜひ参加してみてください🙆♀️
おやすみなさいってらっしゃい。