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備忘録 22-11-22

賢士の世に処(お)るは譬(たと)えば錐の嚢中(のうちゅう)に処るが若し

――賢士之処世也譬若錐之処於嚢中

『史記』

 有能な人物は、袋の中(嚢中)に置かれた錐が切尖(きっさき)を現わすように、必ず頭角を現わしてくるという意味。

趙(ちょう)の国の平原君(へいげいくん)という宰相が重大な使命を帯びて楚(そ)の国に使いしたとき、自分の食客(しょっかく)たちのなかからこれぞと思われる人物を二十人選んで使節団を編成しようとした。すると毛遂(もうすい)という男がみずから名乗り出た。何しろ大勢の食客である。平原君としては見おぼえがない。「貴公はここに来られて何年になる」「三年でございます」「有能な人材は、たとえてみれば袋の中に置かれた錐のようなもの。すぐにでも切尖を現わすであろう。貴公の名など一度も耳にしたことがない。とうてい頼りになる者とも思われぬ」

だが毛遂は引き退らない。ねばって一行に加えてもらい、あとで大いに手腕を発揮して平原君を感服させたという。平原君の語ることにも一理はある。だが、チャンスを与えてもらえなければ、切尖を現わしようがないのも事実である。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

チャンスと思ったときに、名乗り出る勇気、それまでの不断の努力、ここぞというときの粘り。
チャンスを与える側も、人選を見誤らないように、ふだんから目を凝らしておかなければならない。

今日も一日顔晴りましょう。

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