備忘録 22-11-16
感慨して身を殺すは易く、従容(しょうよう)として義に就くは難し
――感慨殺身者易、従容就義者難
『近思録』
一時の感情にかられて死を選ぶのはまだやさしい。むずかしいのはゆったりと落ち着いて正しい道を踏み行なうことだ、というのである。
「感慨して」とは、高ぶった感情のおもむくままに、「従容として」というのは、感情を高ぶらせたり、ことさらに構えたりしないで、当たりまえのことを当たりまえの顔をしてするというニュアンス。
たしかにそのとおりであろう。怒り、喜び、悲しみ、これらの感情が激しくなるとコントロールがきかなくなって、人間、なにをやらかすかわからない。これに対し、「従容として」というのは、そういう感情を排除した、理性の領域の問題である。それだけでも十分にむずかしいのに、さらにその上、「義に就く」となれば、いっそうむずかしくなる。
そういうレベルに近づくためには、ふだんの修養に待つほかはない。自分を鍛えることを怠ってはならないということだ。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
今日も一日顔晴りましょう。