備忘録 22-12-09
衆曲(しゅうきょく)は直を容(い)れず、衆枉(しゅうおう)は正を容れず
――衆曲不容直、衆枉不容正
『淮南子』
「衆曲」とは、全体が曲がっていること。「衆枉」は、全体がまちがっていること。組織を例にとろう。組織全体が曲がっていたりまちがった方向に進んでいる情況の下では、 一人や二人がまっすぐであろうとしたり正しいことを主張したりしても、かえってはじきとばされる。悪が悪としてまかり通ってしまうということだ。そういうなかで生きる道としては、つぎの三つの選択が考えられる。
一、あくまでも「直」に生き「正」を主張して、組織の歪みを正す。ただしこれは玉砕を覚悟しなければならない。
一、大きな流れに逆らわないで、それなりに大勢に順応して生きる。
一、そんな組織に見切りをつけて、他に生きる道を求める。
どれがいいとも言えない。それぞれの人柄や立場に応じて選択も異なってくるだろう。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
さぁ、どれを選びますか?
今日も一日顔晴りましょう。
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