人生は長所で成功し、短所で失敗する

前書き

書くという行為について考えたいと思い書き出したが、最終的に長所と短所の記載となりました。
つながっているように思うので、校正せず、そのまま投稿します。

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書くという行為は、なぜ行うのだろう?

ある人は業務用メールだったり、手紙だったり、メールだったり、ラインだったり。
書くことを生業にする人もいる。

どうやら、読まれるnoteやブログを書くためには、更には稼ぐためには、それなりの努力や校正が必要なようだ。

僕について言えば、今や孤独を癒すために文章を書いているようなものだ。

小指を怪我したり、せっかく単身赴任先住居の九州にきて、ノートパソコンから文章を書こうとしたら、あまりにも使いにくいので諦めた。

noteは、クリエイターのためのプラットホームと謳っている。

そういう意味で、僕はクリエイターではない。
休職中会社員だ。

それでも、なぜかnoteを書いてしまう。

昔から、活字中毒だった。

父親は昔小説家になるのが夢で、今はわかりやすい参考書作成による印税を主な売り上げとする会社で働いている。

僕はといえば、今の会社に入れたのも、「書いた」お陰だ。

僕は面接というものがひどく苦手だった。たったの15分で、その人の何がわかるというのだろう。
どうやってその人の才能を見抜くのだろう。

さっぱりわからなかった。

当然、初めの面接は落ちまくり、トーク力のなさに、コミュニケーション能力のなさに不合格の烙印を押された。

そんな僕を尻目に、コミュニケーション能力の高く、誰とでも仲良くなれるようなタイプの同級生は、安牌の会社の内定を早々にとり、本命の内定への自信をつけているように見えた。

当時の僕は、本能的に面接だけでのトークでは生き抜けないと感じたのだろう。

行動した。

苦手だとは思っていたが、営業のインターンシップに参加した。文系大卒に求められるのは、営業力。
色んな就活本を読みながら、仮説を立てて、営業インターンシップでエピソードでも作ろうと思った。

僕には、やはり、営業のスキルはなかった。
どうしても、初対面の人に、にこやかに話しかけ、雑談し、商品アピールをすることが苦手だった。

それでも、なんとか最終決済の場にこぎつけた。
インターネット回線設備を、マンションに導入する営業だった。最終決済とは、いわゆるマンション組合総会だった。

僕の上司(学生インターンなので、リーダーという立場の人。35才ほどの会社員だ。)は、最終決済の場にベテラン営業マンを同行させてくれた。

ほぼ、そのベテラン営業マンのお陰で、営業は成功した。

僕は、営業トークは一言も話せなかった。金魚のフンみたいに、頭を下げるのみだった。

成約した後、その営業マンにインタビューした。

営業で必要なこと、メンタル、スケジュール管理など、エッセンスを聞きまくり、会社に帰って文章に起こし、同じインターンシップメンバー(15人ほどいた)に送付した。

ベテラン営業マンが行った営業トークも、記憶して、成功例として共有した。

僕は、営業トークはしなかったが、書いた。
そのノウハウを参考にして、同期のインターンシップメンバーもどんどん成約していった。

就職活動の際、面接で自分をアピールすることが全くできなかった。とにかく、口下手なのだ。

見かねた父が、模擬面接を繰り返してくれた。
色々と話をした後、父は

「お前が書いたベテラン営業マンのトークと、ノウハウを、固有名詞を伏せて面接の時に提出しろ」

と告げた。
その通りに実行し、運よく僕は内定をもらうことができた。

今思えば、僕が就職活動を終えることができたのは、この書くという行為だった。

勤務して七年目。やはり、営業マンには向いていないことはよくわかった。それどころか、社内調整さえ苦手だ。

それでも、なぜか活字だけは貢献できたと思っている。活字というのは、マニュアルだったり、メールだったり、社内掲示板だったりした。

個人的な意見だが、口下手で初対面雑談の苦手なタイプは大手企業に入ると苦労する。

転勤先でのコミュニケーション能力、総合職としての調整力など、口下手にはストレスと感じることが大手企業には沢山ある。

それでも、僕は書くという行為でなんとか会社に貢献してきた。僕が結果を出せたのは、ほぼ書くことによって成功した仕事だった。

一円ももらえないけれど、僕はこうしてまた書いている。

才能だなんて大げさなことは言わないが、ストレスなくできてしまうこと、一円ももらわなくても気がついたらやってしまうこと、仕事だと思わないこと。

そういったものが、人の人生を救うのだと思う。

どの小説だったか、大学生時代に読んだ司馬遼太郎の小説に、こんな表現があったことを思い出した。

「人は人生において、長所によって成功し、短所によって失敗する」

文字に、ましては僕がこの文脈の中で文字にしてしまうと、極めてシンプルで単純に見えてしまう。
この表現はとても頼もしく、同時に切ない。身も蓋もない言葉だ。

「長所だけ伸ばせ」
「短所は克服して、長所を活かせ」

こんな風潮はあるように思うが、恐らくは司馬遼太郎の言葉が真理なのかもしれない。

悲しいかな、そんな徒然ながら、また書かずにはいられない自分がいる。

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