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ちゃんとしない、という選択

頭がこわれてから
気合いと根性でなんとか補ってきた思考を、がんばるのをやめた。

頭がこわれた話


考えたくない。と、頭が拒絶したら考えない。

考えることに大きくパワーが削がれて辛く感じるものは
考えることを誰かに頼むか、手放す。

情報が多くて混乱したら、情報の入り口を閉じる。

無理を強いないように、という自分への配慮以上に
現実的に無理を強いることができなくなり
諦めや手放しをおこなった。

気合いと根性と努力を引くと、残るのは
ポンコツな自分である。

知ってはいたんだ。

自分が、本当はすっとぼけた人間であることを。

こびりついた、ちゃんとした自分

頭がこわれた」でも書いたが
物心ついたときから
「自分は生きていてはいけない」という感覚が強くあった。

子どものときは
自分が子どもでいることを自分に許可できなかった。

地団太を踏むとか泣きわめくとか大声で笑うとかはしゃぐとか自由に歩き回るとか
子どもらしい振る舞いに憧れがありつつも
自分は子どもらしくあってはいけないと思っていた。

子どもは無力。(と、子どもの自分は痛感していた)
ただでさえ存在してはいけない自分が
子どもになんてなったら、捨てられる。

そんな恐怖があって
ちゃんとした自分を作り上げていった。

手のかからない子ども。
大人びた子ども。

それが評価につながると、束の間の安心を得ることができ
いつの間にか
ちゃんとした鎧で身を固めてしまっていた。

それは、自立してからも続いた。

高卒で就職したこともあり
早く大人から認められたくて
世の中的によしとされる振る舞いや仕事の進め方を学んだ。

またしても評価につながった。

就職したてのときは、非常識で生意気な小娘、という扱いをされたりもしたが
半年も経ったら「如才ない仕事をする」と褒めていただけるほどになった。

そういうことを繰り返すうちに
存在を肯定してもらえたような瞬間に出会える
「ちゃんとした自分沼」のループに陥ってしまった。

重ねて八方美人、頼まれたら断れない。

結果として、様々な仕事をお任せいただく機会を得ることができたし
マナー講師だったり、売上につながるスキルにも昇華させることができた。

だが、私という人間は本来、
不注意で、思考も物理的にも整理が苦手で
自分でもびっくりするようなやらかしをしたりする
すっとぼけた人間なのである。

顔が真面目だからか、ちゃんとして見られがち。
加えて、自分自身でもちゃんとした人だと感じてもらえるような振る舞いを心がけてきた。
ミスをしたり期待に応えられない自分が嫌だから
そうならないように神経を払う習慣も染みついている。

それらの状況が生んでしまう、周りからの期待と
本来の自分とのギャップが広がっているのを
この数年、肌で感じていた。

能力的にも、自分ができない人間であることを
認めざるを得ない出来事も増えていた。

そりゃあ、何でもできるわけじゃないのが当たり前なのだけれどさ
成果を残せない自分は価値がないと思っていたから
できない自分を実感するのは苦しみが伴った。

内観をするうちに本来の自分が顔を出すようになって
ちゃんとした仮面をかぶり続けられなくなった部分もあるのかもしれない。

とはいえ、ちゃんとしてるっぽい自分であることで得られるメリットも大きいし
そういう自分で生きている期間が長いゆえ
いきなりそれを剥ぐことも難しい。

なーんて、どっちつかずでいたのだけれど
頭がこわれたおかげで
ちゃんとすることへの難易度があがって
諦めがついた。

今でも無意識に、ちゃんとする努力をしてしまうことがあるが
そうしなくてよい環境に身を置くように少しずつ動いている。

ちゃんとした私、しっかりした私、大人な私、常識的な私。

そういう私だからお付き合いくださっていた人とのご縁は
切れるだろうが、むしろその方がよいと思った。

ちゃんとした私もさ、
偽物なわけではなく、私なのだけれどね。

ありのままの自分を出した結果、
そういう私とは合わないとか、私と関わると自分のイメージが崩れるとか感じる人は、その程度のご縁なのだ。

断ったりスルーをするのが苦手な私にとって
自分らしい自分を知り、発信していくという行為は
格好のフィルターになると感じている。

たわしの散歩をするようになったのは
周りの反応が分かりやすかった。

その名のとおり、たわしにリードをつけて
散歩をするようになった。

詳細は割愛するが、たわしと散歩していると心が安らかになるので
ぜひ世界中の人にお勧めしたい。
(たわしと暮らす効能については、また別の機会に触れたい)

たわしの散歩に関しては、頭がこわれていなくても
心惹かれて足を踏み入れていたのではないかと思うが
とにかく周りの反応が分かりやすい。

あからさまに避けてくる人、
遠く離れたところからガン見してくる人、
無関心または気づかない人、
興味を持って話しかけてくる人。

たわしの効果が発揮されるのは、道行く人だけではない。

「最近たわしの散歩をしています」
と伝えただけで音信が途絶えた人もいて、
とても清々しい気持ちになった。

あいつやべえ。
と思われるくらいがちょうどいい。

万人受けを狙う自分から
そのままの自分へ。


ちゃんとした自分を否定する気持ちはなくって。
(これまで私を支え、守ってきてくれた功労者なのだ!)

でも、そういう自分が出てきてしんどそうなときは
がんばらなくていいよ、無理しなくていいよ、と
背中をそっとさすってあげたい。

ちゃんとしていないそのままの自分も
気が向いたらひょこっと顔を出せるように
もっと自分に安心を届けていきたいなあ。

ちゃんとした自分も、そのままの自分も、
無理なく自分になって
選択できるようになったらいいね。

いつでも自分が素顔で、気張らずにいられる世界を
つくっていこ。

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武田睦美
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