マニュアル運転もしたい_アートエデュテイメント#03
私たちは、ご先祖様より好奇心のDNAを色濃く受け継いでいて(第1回)、「創造性」は特別なものではなく誰もが持っている能力(第2回)。そんなお話をしてきました。「わからないを愉しむ力」は、人にはもともと備わっていて、「アートエデュテイメント」という嗜み(たしなみ)は、子どもの頃は誰もが自然にできていたはず。なのに、大人になると何ゆえそれが難しくなるのでしょうか? 今回はそんなお話です。
思い込み
ここで、問題を一つ。ちょっと考えてみてください。
どうでしょうか?
②を選んだ方が多いと思いますが、正解は①です。
「え? だって、花子さんは勉強したがっているんでしょ?」
そうなのですが、あくまで可能性を問われているので、単純に確率論の問題。論理的に考えると、条件の多い②ではなく、①が正解になるわけですね。これは、代表性ヒューリスティックの問題と言われ、認知心理学の分野では定番だそうです。自分の持っている典型的なイメージに引っ張られて、判断をくだしてしまう人間の特徴を示しています。簡単に言っちゃうと「思い込み」の話ですね。
自動運転(オートパイロット)
私たちは大人になるほど「知識」や「経験」を増やして、生活を営んでいます。さまざまな規則やルール、エチケットやマナー等々、世の中を生きていく上で必要な「常識」を身に着けながら歳を重ねていくわけです。毎回毎回、都度、与えられた情報を即座に処理して、最適な判断をくだすことができるほど、私たちの頭(脳)は能力が高くありません。赤ちゃんが大人の助けがなければ生きられないのは、身体能力はもとより、判断するための経験が未熟だからです。
例えば、交通量の多い道を渡る時に、「横断歩道」で「信号が青になったら」渡れば、車は止まってくれるということを知っていることで、処理すべき情報量が減り、無自覚に、しかも概ね安全に通りを渡ることができます。
「知識」や「経験」を増やして、判断にかける頭(脳)の負担を各段に減らす、あたかも自動運転(オートパイロット)状態で判断をできるようにしてくれる。これが「思い込み」です。
情報の洪水にさらされている現代社会では、この自動運転(オートパイロット)機能がより強固に働いています。判断材料が多すぎて、常時頭がパンクしかかっている状態なので、頭を休ませるための防衛機能としても活用しているという感じでしょうか。ですので、自動運転(オートパイロット)機能を働かせている時は、情報を遮断してノイズを減らしている、即ち、五感を閉じて感度を鈍くしているとも言えます。
感覚を意識的に取り戻す
現代アートというと「わからない」ものの代表選手。アート好きでも、好みではないという方も結構いらっしゃいます。私もそうでしたが、最近は逆に現代アートを好んで鑑賞するようになりました。これは私の鑑賞レベルが上がってきたから…ではなく、現代アートの前で「わからない」と素直にコメントできちゃうのが快感になってきたからです。
「もっと大人になれよ!」「まだまだ子どもだなぁ!」自分の素直な気持ちを熱く語りだすと、こんなことを言われたりしませんか? 大人になるということは、感情に身を任せるのではなく、冷静に論理的に物事を考え判断できるようになること。感情が揺さぶられるような外からの影響を受けないように、五感をあまり使わないのが、大人の振る舞い。これが私たちの「常識」です。だから、大人になると「アートエデュテイメント」を嗜むことができなくなる人が増えるのは必然なのです。
ところが、自動運転(オートパイロット)だけの人生は、味気ないし、満足できないという矛盾を私たちは抱えています。何せ、DNAや創造性を生まれながらに持っているので、どきどき、わくわくしながらハンドルを握りたくなる時も出てきます。
では、どうすればマニュアル運転を取り戻せるのか…。
ということで、この辺で次回に続きます。