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家がなくなることは、こんなに寂しいことなんだ
数年前に祖父が亡くなった。
祖母は元々少し認知症になっていて、祖父と一緒に過ごしているときは進行がそこまで進まず、ギリギリ生活はできていた。
それが祖父が亡くなり、祖母がひとりになってしまって、認知症が酷くなってしまって、ひとりでは生活ができない状態になった。
施設に入れるためにはお金が必要だったので、祖母の家を売った。
とりあえず施設には入れたそうだが「家に帰りたい、家に帰りたい」とずっと言っているらしい。
自分の親から聞いた話はここまでで、今は祖母もどうなっているのかは分からない。
そんな祖母の家は立地が良かったのもあってか、すぐ売れて、新しく家が建ったらしい。
祖父は大工さんで、自分の家を自分で建てた。
イマドキのデザインの家ではなく古臭い感じの家だが、あたたかみがあって、子どもの頃からよく遊びに行っていた家。
あの家はどうなったか気になってみたので行ってみたら、見慣れた祖父母の家は跡形もなくなくなり、新築の立派な一軒家が建っていた。
その一軒家を見た瞬間、色んな思い出が消えてしまったような感覚になってしまった。
仕方ないけどひとつの時代が終わったような、寂しさのような感覚。
祖父が大工として建てた家だったから余計にそう思うのかもしれない。
家なんてモノ作りの最たるものだと思うので、それが何一つ残らないのはなんとなく寂しさを感じてしまった。
家を売ることができたから施設にも入れたので、それはそれで良かったかもしれないが、立派な帰る家があっても「死ぬまで自分の家で過ごす」ことは運なんだと強く思ってしまった。
遠い未来のことを考えても仕方がないが、自分が長生きしたときはどうなるんだろうと少し怖くなった。
子どもの頃は敬老の日とかに祖父母に「長生きしてね」と気軽に言っていたが、長生きするのもしんどいのかもしれない。
今は気軽に「長生きしてね」って言えない。
言って良いのか分からない自分がいる。
自分の親にも「長生きしてね」はなんとなく言いにくい。
特に脳出血で半身麻痺になった母親を見ていると、母にとってもしかしたらあのタイミングで死んだほうが幸せだったかもしれないと思うこともある。
本人がどう思っているか分からないが、私なら身体のどこかが動かなくなるなら、そのまま死んでしまいたい。
何が幸せなのかは人それぞれだと思うが、子どもの頃の価値観が大人になって変わっていることを感じる。
将来のことは今考えても仕方ないので、まぁそのときに考えることにして。
家がなくなった話から「長生きとはなんぞや」「生きるとはなんぞや」を色々考えてしまったが、この問いの答えは、すぐには出ない。
祖父母の家の思い出は消えないので、楽しかった思い出は良い思い出として大切にしようと思う。
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