僕がお洒落にお金をかけれない訳
服はなるべく安く、可能な限り無地のものを着る。
髪の毛は1,000円カットの類を利用し、毎回「刈り上げないくらい短めで」とだけ注文する。
それが僕だ。
お洒落にお金をかけることができない。
よく友人に言われる、「まだ若いんだから、お洒落したら?」とか、「カッコよくなくても、髪型と服装だけでも綺麗にすればモテるよ」だとか、「清潔感さえあればいいんだよ」とか。
余計なお世話だ、くたばれ。
なんて思いつつも、僕自身が「お洒落にお金をかけないのは何故なのかについて」改めて真剣に考えてみた。
普段、友人から前述のような言葉をかけられた際は、「俺はブサイクがお洒落しているのをダサいと思っている」という持論を説明している。
もっと詳細に説明するのであれば、似合わないのに派手な髪形・ブランドの服を身に纏ってドヤ顔するのがダサいと思っている。
こういった話をすると、「何それ?それって他人にもそう思ってるみたいだよ」と言われた。
まぁ、他人にもそう思ってるんだけどねって心の中で思って半笑いをしている。
自意識過剰だよ、なんてことも言われるけど、究極の他意識過剰が自分に跳ね返ってきているのだ。
お洒落にお金をかけれないのは、ブサイクがお洒落をすることがダサいと思っているから。
自分は自分自身の顔面偏差値をわきまえた上で、身の丈にあった服装・髪型をして、分不相応な恰好をせずに生きていいきたいのだ。
といった話は真実だけど真実ではない。
建前で言っているわけではなく、本気で思っていることには間違いない。
だがしかし、改めて自分自身を見つめなおしたとき、真の核にある理由は別にあるなと気づいてしまった。
僕がお洒落できない理由は、「全力でお洒落した結果、ブサイクのままだったら恥ずかしい」からなのだ。
もう一度言おう。
「全力でお洒落した結果、ブサイクのままだったら恥ずかしい」からなのだ。
恥ずかしい。
なんだ、分不相応なお洒落よりダサいじゃない。
全力でお金をかけてトレンドを取り入れてお洒落をしたにも関わらず、ブサイクで不清潔でカッコ悪い自分になってしまうことが恥ずかしいのだ。
小学生がかけっこで負けた時に「本気出してなかったし」っていうやつをやるため、事前に本気で力を抜いているのだ。
全力を出した結果、「全力を出してこれかよ」って語尾にダブリューを3つくらいつけて言われることに僕は恐れおののいているのだ。
だから安くて無地の服を着て、業界最安値の散髪を続けるのだ。
多分、お洒落だけでなく、僕の人生そのものが全体的にこんな感じなんだろうなとも思う。
究極の他意識過剰が自分に跳ね返ってきたのを、必死にガードしながら傷だらけで死に物狂いで生きている。
そもそも他意識過剰がなくなれば、傷つかないしガードもいらないんだが、こればっかりは当分治りそうにないな。
傷だらけの体を隠すために、僕は今日も安くて無地の服を身に纏う。