どん底の景色の先は「どん底」だった。
唐突ながら、小さい頃からサッカーが大好きだ。プレーするのも、見るのも、そしてそれは生観戦でもテレビ観戦でも夢中になれる。先週末も夫婦でJリーグ中継にかじりついていたくらいだ。
きっかけと今
私とサッカーの出会いは、弟が地元の少年団に入ったというありきたりだったが、この年になってもボールを蹴り続けていることに今や弟の方が驚いている。古くからの友達にも「萌花は変わらないねぇ」と笑われるのは、いつもサッカーの話だ。
何がそんなに自分を駆り立てているのだろう…ましてや今も…
そう思ってふと、脳裏に浮かぶ"あのシーン"があった。実は、全く嬉しくないシーン。今でも暗く、灰色の景色が目に浮かぶ、どちらかと言えば思い出したくもない…「2010年12月、西京極でのFC東京J2降格」だ。
一番泣いた日。
FC東京は私にとって、サポーターを名乗れるほどの愛を注いできた最初のチーム。それまでも好きな選手はいたが、これほどまでにクラブに情を抱いたことは他のスポーツ含めなかった。きっかけは自分が高校入学と同時に、FC東京がJ1に上がってきたこと。慣れない環境、しかもレベルの高い人たちのなかでもがき苦しむ自分が、当時J1という新しい環境で奮闘するFC東京イレブンと重なった。「部活サッカー」とも揶揄された当時のプレースタイルも、当時の私には心地よかった。かっこよくなくていい、泥臭く頑張って最後は勝とう。サッカーをするにせよ勉学に励むにせよ、いつも私はそんな東京の姿に背中を押されていた。
やがて社会人になり、初めての一人暮らしは調布を選んだ。それくらい、東京を愛していた。
だからこそー。
2010年、やむなくテレビで観るしかなかったアウェイ西京極。終了のホイッスルとともに、調布のアパートで一人、泣き崩れた。涙が止まらない。現実だと思いたくない。選手みんなも泣いている。なんで…どうして…泣きはらした目の先には、なぜか青も赤もない、灰色の景色が広がっていた。
それから。
それから、と言えどよくは覚えてはいない。ただ、何か決意の固まる音がした。そして、ずっと迷いに迷っていた競技フットサルの門を叩いた。「あの日」から数日後のことだ。
2011年には自身も公式戦のユニフォームに袖を通し、仕事と両立しながらなんとか練習の日々を貫いた。ここまで読んだ人ならば、愛するチームで味わった悲しみを、自身のプレーにぶつけ、ゆくゆく栄冠を勝ち取るストーリーを想像したかもしれない。
私が最初のシーズンで味わったのは、降格だった。
そして今。
"二年連続の降格"を味わった当人は、まもなく干支が一周しようかという今も、同じ場所でスタッフを続けている。選手は長く続かなかったが、どんな立場であれ「リーグ優勝」をしてあの悔しさを晴らしたい、そこは簡単に揺らぐものではなかった。そして遂に2019シーズン、自身は本当に達成した。FC東京のリーグ優勝こそまだだが、やっぱり、優勝は格別だった。
あれ、でも結局、まだ続けている。
悔しさや未練は、意外と晴れないものなのかもしれない。ただ、だからこそ面白いのかもしれない。