オオイシヨシタカ

はじめまして。山形で生まれ、名古屋で20代を過ごし、南三陸町へ移住しました。 移住する前のこと、移住してからのこと、書き置いていきますので、どうぞごゆっくりご覧ください。

オオイシヨシタカ

はじめまして。山形で生まれ、名古屋で20代を過ごし、南三陸町へ移住しました。 移住する前のこと、移住してからのこと、書き置いていきますので、どうぞごゆっくりご覧ください。

最近の記事

南三陸町に移住して2ヶ月がたちました

3月17日に南三陸町に引っ越して、本日5月16日で2ヶ月が過ぎました。 この2ヶ月で仕事も徐々にやることが増え、生活リズムも掴みつつあります。もともと一人暮らしも長く、自炊をはじめ家事全般やっていたので特に苦労はありません。 ということで、2ヶ月暮らしてみて思ったことを書き出してみたいと思います。 1 やっぱり海鮮がうまいこれは引っ越す以前からわかっていたことですが、いざ生活して食べてみるとやっぱりうまい。これからの季節は銀鮭にわかめ、もう少しするとウニ、ホヤ、秋はさん

    • 3月16日、2度の地震と身に沁みた教訓と

      南三陸町に移住して1ヶ月と2週間が過ぎ、新しい職場での仕事も気がつけば最初の1ヶ月が終わりました。 この1ヶ月ちょっとの間、いろんな方に出会い、いろんなところへ行き、少しずつ暖かくなる気温と一緒に、南三陸の生活も楽しみ始めています。 そんな南三陸生活が始まる前日のことを、忘れないうちに書き置いてこうと思います。 □ 3月16日、夜。 翌日17日に南三陸への引っ越しを控えたこの日、石巻の友人のシェアハウスに泊めてもらっていました。夜22時くらいに着き、友人の帰りを待ち

      • 4度目にして初めて思う

        人生で初めての引越しは、大学入学直前の3月末。窓が大きくて日当たりが良くて、春でも暑い部屋だった。 進学先が決まって、受験時に父親が探してくれていた物件をいくつか見て周り、入居先が決まって。家電や家具を買い揃え、姉から味噌汁やハンバーグの作り方を教えてもらい。 あっという間に山形を離れる日になり、雪吹雪く中、母に見送られながら新幹線に乗ったのを覚えている。それから3時間、東京は暖かく、マフラーや手袋を外した。さらに東海道新幹線に乗り換えて2時間、地下鉄に乗り換えて20分。

        • 南三陸町に移住しました

          どこからでも海が見える町2022年3月17日、まだまだ肌寒い季節に、宮城県南三陸町へ移住しました。 南三陸町は、宮城県の沿岸部にあります。東日本大震災の被災地であり、文字通り三陸地域に含まれ、海産物がめちゃくちゃ獲れる町です。僕が暮らすことになった部屋からも海が見え、町内のいろんなところから海を眺めることができます。 「漁師と仲良くなれば、海のものは買う必要がないくらいもらえる」「同級生が役場や町のいろんなところで働いている」「町内唯一のスーパーに行けば大体いつも知り合い

          「また」 「うん」

          『今日は夫の家族と一緒にご飯を食べます。今年も楽しく聞かせてもらいました。ありがとうございます。名古屋雪が降ってます。そちらから見えますか?』 「ほんと?降ってる?もう降ってる?あんまり見えない?え、もう降ってる?」 ラジオのナビゲーターが、リスナーからのメッセージを読みあげながら、窓の外にちらつく雪に驚いている。そんなに驚かなくても、なんて思いながらカーテンを開けると本当に雪がちらついている。先週からの天気予報が、年末年始の年越しのタイミングは記録的寒波がやってくると伝

          「また」 「うん」

          2月だったのに、今日みたいな暑い日だった。

          8月15日という日。 中学生のとき、教科書で終戦記念日と玉音放送という言葉を暗記して、多くの人々が地面に頭をつけている写真を眺めたのを覚えている。1945年なんて、自分が生まれる遠く昔。そう思いながら、テストに出るからと、ノートにでも書き写したのかもしれない。 高校生のときに、戦争体験者の方から話を聞かせていただく機会があった。当時関東にいらしたその方は、弟さんを広島の原爆で亡くされていた。広島まで探しに行ったが見つからず、遺体が積み重なるその場で自殺しそうになったと、涙

          2月だったのに、今日みたいな暑い日だった。