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音を楽しむと言うこと。

アルバムってミュージシャンからすると「あの時の俺」って言うものだと思う。それを受け手側がどう判断するかは自由で自分なんかはとにかく息遣いまで聴き取ったり情熱を感じて感動する。そこから誰がこんな素晴らしいものをプロデュースしたんだろう?とかレコーディングエンジニアは?スタジオは?ジャケットのアートワークは?と裏方の部分まで気になってくる。
そうするとそこからまた関連の作品を探しまた感動しまた関連の作品を、、、、。
この果てしない好奇心は本当に素晴らしい情熱のこもった演奏が聴き手の心を高揚させて日々の生活にスパイスを与えてくれるからだと思う。
より中毒性が高くなるとそこへ良いオーディオシステムでより音への細かいディテールへ没入し音そのものに包まれ抱かれながらさらに感動し、、、。

そういった要素を音楽を聴いて踊る場所へ持ち込んだらどうなるのか?
これは過去から現在まで偉大なるチャレンジャー達が結果を出しカルチャーへと発展していった。
そもそもだけど高音質で聴く音楽というものは自分の経験から言っても人のの潜在的な部分に無意識の内になんらかの作用をもたらすと思っている。
大音量の中でも人との会話がストレスなくできる。これだけでもなんかしらの楽しみが得られるし、音楽が好きな人であれば没入し音そのものに包まれ抱かれながら踊ることができる。
そう言った状況を俯瞰して全てを見渡すととても平和でポジティブな光景に見えてくるのはなぜなのか?
もしこれが歪みまくった酷い音で音楽がかかってても同じような光景に見えるのか?

もう一点。好きな曲がかかるか?とか知ってる曲がかかるか?というところも人が集まって音楽を聴いて踊る場所には必要不可欠だと思う。
両極端な例えだが、、、。皆が知ってる曲ばかりをかけて皆を盛り上げていくDJもいれば、誰も知らないマニアックな曲をかけて「なにこれ!」という一部の人を引っ張っていくDJもいる。もちろんその場にいる人のモチベーションとか心理状態にもよるのだが、高音質で音楽がなってればそのどちらも問題ないようにさえも思う。

それを踏まえ2010年頃から自分のできる限りの労力と金銭を投入しスピーカーを製作し機材を揃えて今に至る。未だサウンドシステムはバージョンアップしているがほぼ確定的になってきている。サウンドシステムを構築するための大きなテーマは「レコードに封印されたパワーを解放する!」だ。

自分が現在住んでいる金沢市には中心地からほど近い場所に「市民芸術村」という市の施設があり防音も施され広い体育館のような場所で大きな音を出しても苦情も来ず24時間使用可能で料金も安いBESTな場所が存在し定期的にサウンドシステムを持ち込んで「レコードを聴くためのパーティー」を行なっている。招待制で入場無料の代わりにフルーツを一種類持ち寄るというマニアックなパーティーだ。来た人は自分の聴きたいレコードを数枚持参してきて聴くことができる。
ここには色々な人が集まる。DJ、レコード屋店主はもちろんの事、大学教授や医者、OL、サラリーマン、フリーター、主婦etc、、、。皆が皆、音楽に没入し抱かれ感動し音楽のことについて語り合い良い音楽を共有している。

とまあこんな背景がありつつDJとしての自分という部分で超個人的なディスクレビューをしていこうと思う。自分は音楽に関しては雑食でありとあらゆるジャンルを聴くが基本的に自分のフィルターがとらえたものしかDJではPLAYしない。枠やスタイルにこだわる職人的な音楽好きから見たら「なんだこいつ?」と思われる方もいらっしゃると思うが、ひとつ「こういう人もいるんだ」という目線で見てもらえるとありがたい。
この文章を読み興味を持たれた方もそうでない方も以後よろしくおねがいします。

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