【PED】Tatis Jr.の禁止薬物陽性についての所感
日本時間にして8月13日の早朝,衝撃的なニュースが飛び込んできました。
サンディエゴ・パドレスに所属するFernando Tatís Jr.(23)が禁止薬物であるクロステボルに陽性反応を示したとのことで80試合の出場停止処分。悪い意味で眠気の覚めるようなニュース。
今更感がありますが,MLB30球団ファン合同noteにおける禁止薬物関連担当の立場として,MLB史に刻まれるような本件を,簡潔に所感を記します。予め触れておきますが,Tatis Jr.の行いを糾弾するような内容ではありません。
概要
2019年に球界トッププロスペクトとしてパドレスからデビューを果たしたFernando Tatís Jr.。2021年シーズンにはMLB史上最長の契約年数となる14年3億4000万ドルで契約延長。同年に本塁打王を獲得し,MVP投票でも3位に着けるなど堂々たるキャリアを歩んでいたのは疑う余地もありません。
しかしロックダウン中であった今年1月にバイク事故を起こして左手首を骨折していたことが判明すると今季はシーズンの半分を欠場。それでも8月にはマイナーでのリハビリゲームに臨むなど,復帰は秒読みの段階まで迫っている状況でありました。
Tatisの復帰を待ち望むかのようにパドレスは例年以上の大補強を敢行。TDLにてJosh HaderやJosh Bell,Brandon Druryを加えた他,Tatis Jr.の同郷にして球界きっての大スターであるJuan Sotoを獲得するビッグムーブに出ます。
そんな最中に報じられたのは先般の一報。Tatis Jr.による禁止薬物使用,そしてそれに伴う80試合の出場停止処分が下されたとの内容でありました。
こちらの経緯については,「MLB30球団ファン合同note」にてパドレスのご担当者であるつかみ男さんによって,より詳細かつ明瞭にまとめられておりますのでご一読ください。
★近年の禁止薬物使用
それまでの過去3年間,アクティブロスターの選手が禁止薬物使用によって出場停止処分を受けた事案が8件。中でもビッグネームと呼べるのはRobinson Cano(NYM)とRamón Laureano(OAK)の2人でありましょうか。特にCanoはそれまでの実績よりも「キャリア2度目の禁止薬物使用」という別の衝撃がありましたよね。
Canoが1度目の薬物使用として処分されたのは2018年であり,これはおおよそA-RODらビッグネームが大量検挙されたバイオジェネシススキャンダル(2013)以来となる大物選手のPED使用であったと認識しています。
そして4年の時を経て,聞く人によってはCanoの衝撃すら凌ぐような若手スターのPED使用が明るみとなってしまいました。
★所感
私のファーストインプレッションとしては「極めて痛恨。」の一点でありましたでしょうか。私が彼を強く覚えているのは4年前。弱冠19歳にて2018年のスプリングトレーニングに出場すると,1試合4安打を放つ活躍。この時感じたTatis Jr.への大いなる期待を未だに忘れることはありません。
そしてデビュー以降も期待以上の活躍を残し,パドレスのみならずMLB全体にも影響力を寄与していたことも特筆したい点。「MLB THE Show 21」にてカバーアスリートを務めたことからも,野球界が彼に寄せていた期待の大きさが分かります。
そんな球界トップクラスのスターが禁止薬物使用によって処分を受けたことは,1人の野球ファンとして非常に残念でなりません。これを痛恨と呼ばずしてどう表現しましょうか。
今回,Tatis Jr.は「白癬を患っており,投薬を行ったところ,薬品の中に禁止薬物であるクロステボルが含まれていた」と説明。それが事実だとすれば医師の証明などを以て,道筋を立てて再度異議申し立てをしてほしいところですが,Tatis Jr.は自分の非を認めており,他者に責任を求めない構えを取っています。
元メジャーリーガーでTatis Jr.の父でもあるTatis Sr.は「Jr.は散髪の際に白癬の真菌をもらってしまった。そこで"TROFOBOL"という名のスプレーを治療に使ったが,成分にクロステボルが入っていることを確認漏れしてしまったのだ。」と弁解。
確かにクロステボルが含有されているTROFOBOLというスプレーは存在します。しかし,画像からもクロステボルという表示が見てとれますし,スポーツ選手がこれを見落としたのだとすればあまりにもプロ意識に欠けるのではないでしょうか。
そしてもう一つ。このTROFOBOLはアメリカ国内にて販売されておらず,果たしてどのようなルートでこのスプレーを入手したのでしょうか。クロステボルは米国の規制物質法(CSA)によって処方箋を介した投与のみ許されている物質。Tatis親子の弁明を額面通り受け取るには疑問符が残るといった印象です。
★禁止薬物「クロステボル」
そもそもクロステボルとはどういった物質なのでしょうか。筋肉増強剤とも呼ばれるアナボリック・ステロイドには体内で生成される天然アンドロゲンと,構造を真似て人為的に作成された合成アンドロゲンに二分されます。
天然アンドロゲンには「テストステロン」などが含まれており,黎明期のMLBにおいてはサルの睾丸からテストステロンを抽出し,筋肉増強を目的として摂取した選手が実際にいました。
20世紀の中盤にはテストステロンなどの天然アンドロゲンを遺体や動物からの抽出ではなく,化学合成にて生成することに成功。アナボリック・ステロイドの研究が盛んに行われた1930年代~1950年代を「ステロイド化学の黄金時代」と称す識者もいるほど研究熱を帯びていました。
しかし,第二次世界大戦終結を契機に冷戦に突入すると筋肉増強剤は新時代を迎えることとなります。アメリカとソ連による東西冷戦の軋轢はスポーツの場にまで持ち出され,東西による熾烈なスポーツ戦争が巻き起こったのです。ここでアナボリック・ステロイドの有用性を取り入れたかった東西諸国は,効果が持続しにくい天然アンドロゲンだけではなく,効果が強力な合成アンドロゲンを生み出そうと研究を開始。そのステロイド化学研究の産物の一つが合成アンドロゲンの「クロステボル」となります。冷戦の主戦場であった東ドイツの選手が多く使用した物質とされており,そこそこに歴史あるアナボリック・ステロイドといえます。
摂取したタンパク質を細胞内組織に変える働きのことを蛋白同化作用と呼びますが,クロステボルを接種することによってこの蛋白同化のはたらきをより強力にすることができます。
ここに適切な食事とトレーニングが合わさることで,短期間であっても多くの筋肉を付けることが可能となるのです。
近年,クロステボルの陽性によって処分を受けたのはDee GordonとFreddy Galvisの2名でしょうか。両名ともに,陽性反応が検出された際には「なぜ検出されたのかわからないが,処分は甘んじて受け入れる」とのメッセージを発信しています。これを聞くと,「知らず知らずに接種してしまうような物質なのでは?」という疑問も生まれますよね。
しかし先述のとおり,アメリカ合衆国においてクロステボルは薬物乱用を防ぐための規制物質法(CSA)によって管理されている物質。クロステボルが含まれた市販の白癬治療薬などが「アメリカ合衆国内にて」流通することはないと考えるのが自然でしょうか。
Tatis Jr.が意図してクロステボルを使用したかについては神のみぞ知る領域ではありますが,わざわざ入手の難しい治療薬を使用した理由が整然と説明されない限り,意図的にクロステボルを使用したという嫌疑は晴れないのかなという所感です。
★処分の妥当性
今回,80試合の出場停止処分が下されたわけですが,実は尿検査自体は今年の3月29日に行われたとされており,Tatis Jr.に通達されるまでに4ヶ月半ほどの空白があります。これはTatis Jr.が60Day-ILに入っていたことが大きく関係しています。
例えば60day-ILに入っている3月末時点でTatis Jr.及びパドレスに処分が通知されるとどうなっていたでしょうか。もともと左手首を骨折していたTatis Jr.は80試合の処分をリハビリに費やせますし,パドレスとしても編成に頭を悩ませることは少なかったはず。そもそもそんな事が可能なら,大怪我をした選手にガンガン禁止薬物使わせるチームだって現われる可能性がありますし。
それを防止する目的もあって,出場停止処分の通達はILから40人ロスターに復帰してからとされています。このことを踏まえると,Tatis Jr.はILからロスターに入った現地8月12日を以て通達されたことが読み取れます。
80試合という試合数については,予め定められたルールであることからも問題視している人は皆無でしょうね。
ただ,現役選手やOB選手の中には思いのほかTatis Jr.を擁護する声も見られています。
ベテランスラッガーのEdwin Encarnacionは「Tatis Jr.はMLBに貶められた」と主張し,今年1月にアメリカ野球殿堂入りを果たしたDavid Ortizも「MLBはもう少しPED規制を優しくすべき」とのメッセージを発信。Ortizはあくまでも「薬品の誤用というケース」に言及したのでしょう。それを考慮しても,かなりTatis Jr.に肩入れした意見となっていますよね。ただ,彼らはドミニカ共和国の先輩方ということもあって,私情が混ざってるのかなという印象。
Ortizの意図は正しく汲み取るのは難しいものの,「意図しないPED陽性」ということで,かつての自分にTatis Jr.を重ねているのでしょうか。何があってもPED使用者を批判しない姿勢は見習いたいモノですね😤
一方,同じくドミニカ出身の大投手Pedro MartinezはTatis Jr.とパドレス両者ともに責任があると批判。
「Jr.は英語・スペイン語共にできるのだから,読めなかったというのは言い訳にならない。彼には禁止薬物のプロトコルを知っているメジャーリーガーであった父もいる。」という指摘は至極真っ当でしょうか。
そして,Tatis Jr.の心情にもっとも寄り添い,適切なメッセージを送ったのは同じくドミニカ国籍を持つAlex Rodriguezです。
意訳すると「若い選手達は私の失敗から学んで欲しい」ということでしょうかね。説明は不要ですが,A-RODはマリナーズで歴代屈指の大型遊撃手として活躍するも,2度の薬物使用発覚によってキャリアが失墜した選手。同じく大型遊撃手としてスーパースターに成り上がったTatis Jr.の過ちを誰よりも理解している男でしょう。
とはいっても,Tatis Jr.を擁護するのではなく,PED使用を明確に誤りであると主張。その上で処分明けの振る舞いに焦点を当てるなど非常に素晴らしい内容であると感じました。(いやお前は薬物使用抜きにしても人間性が壊滅的だっただろというツッコミはやめようね)
総括
Tatis Jr.ほどの若い選手が禁止薬物使用によって処分を受けるのはFrancis Martes以来でしょうか。そこに実績や才能を加えるとすれば2003年のA-RODや2012年のRyan Braunが近い事案ですかね。MLB全体のことを考えてもメガトン級の威力なスキャンダル。ただ,ロックアウトがなければこんな展開はなかったのかなとも思ったり。
Pedroも言ってましたが,新人選手,個人的に中南米のIFAのディベロッパーを介してサインした選手達にはPED使用に関する教育を一層強化してほしいと願うばかりです。
最後に
例え後年,再びスターダムに上り詰めたとしても「禁止薬物の残り香で恩恵を受けている」と指摘されることもあるかもしれません。敵地で大きなブーイングを浴び,耳を塞ぎたくなるようなチャントが飛び交うかもしれません。歴史的な活躍を続けたとしても殿堂入りは絶望的かもしれません。何年経とうと,今回の一件を野球ファンは忘れることはないと思います。意図したものか私には分かりませんが,Tatis Jr.が選んでしまったのはそういった過酷で険しい道のりです。
ただTatis Jr.は処分明けの来季も24歳とまだ若く,ここからの立ち居振る舞いや,野球への熱量でいくらでも汚名返上ができるのではないでしょうか。決してふて腐れたり,パドレスに仇を返すようでは名誉は帰ってこないでしょう。
幸い,来季5月まで時間は多くあります。自身の過ちを反芻し,どうすればチームメイトやファンの信頼を取り戻せるかを行動で示して欲しいですよね。これほどまでの才能を無下に突き放すには些か時期尚早と感じます。出場停止処分を完遂し,再び全力で野球に打ち込む姿が見られた時には,私は心からTatis Jr.を応援したいと思います。
以前もヤンキースラジオで話したとおり,2013年にA-RODなどが関わった「バイオジェネシススキャンダル」に関するnoteを執筆中。そんな最中に起きたTatis Jr.のPED使用はまさに霹靂。無関係とは思いたいですが,またもやドミニカ出身の選手が処分されたのは注視したいところですね。
以下,参考