【MLB】1991年時点で筋肉増強剤は禁止されていた?【ステロイド時代】
この一文は1991年6月7日,当時のMLBコミッショナーであったFay Vincentが各球団に対して通知した7ページの文書の一文です。ここで記載の違法薬物【illegal drug】はコカインなどの麻薬物質を指しており,規制薬物【controlled substance】はアナボリックステロイドなどの筋肉増強剤を指しています。
そもそもcontrolled substanceの根拠とは何ぞや?となりますが,アメリカ合衆国には1970年に定められた規制物質法(CSA)が存在し,規制薬物を定めています。上記の一文については「筋肉増強剤の使用禁止を示唆した内容」とVincent本人が語っていますし,実際に前年の1990年にはCSAにアナボリック・ステロイドが盛り込まれています。
つまるところ,これが何を指しているのかというと「MLBにおいてドーピングの使用が規制されたのは2004年ではなく,1991年なのでは?」ということ。私も過去のnoteでは2004年の薬物規制を根拠として『使用した選手にも責任があるが,MLBにもドーピングを野放しにしていた側面がある』といった記述をしてきましたが,その考えを改める必要があるのではと思った次第。
しかしお気づきの方もいるかもしれませんが,このVincentの文書には大きな欠点があります。この通知はあくまで規制薬物の使用禁止を謳っただけであり,検査やヒアリングを行うと名言したわけでないということ。つまりは注意喚起を促しただけに留まったことでしょう。
ただ,Vincentの肩を持つわけではありませんが,この文書をメジャーリーグ選手会にも通知したところ「それは我々には関係ない」として突っぱねられていることも事実。また,1985年にPeter Ueberrothコミッショナーが薬物検査を導入しようとした際にも選手会とオーナー陣の労使双方から猛烈な抵抗に遭ってしまい,検査実施を断念している前例もあります。これを踏まえると,ストライキ防止に全力を注いでいた当時のVincentコミッショナーにとって,薬物検査実施を強行することによる選手会の反発・団体行動は何よりも避けたかったのではと見受けられます。
また,この文書は1997年にもBud Seligコミッショナーから再通知されており,当時の選手や球団が規制の内容を理解してなかったとは言いがたいです。
やはり『1991年から2003年の間については薬物検査は実施されていなくても,ドーピングの使用が禁止されていた』と捉えることができるわけです。
等々,2004年以前にドーピングの使用をしたとされるビッグネーム達は軒並み,その行為が禁止されていると知っていながら薬物使用に手を染めたという見方ができてしまうのです。
たしかに,「文書で使用禁止を通知しただけの1991年」と,「厳格な検査を行った上で,罰則を設けた2004年」とでは歴史的な色合いが異なると感じるのも事実。前者は性善説による規制であり,拘束力はきわめて希薄。一方後者には,検査導入によって薬物使用者を激減させることに成功したという実例があります。
となるとBondsらを評価するときの線引きは千差万別であり,まだまだ議論の余地はあるのだなと感じます。
一方で,コミッショナーから2回に渡る通知が出されていたことを加味すると『Bondsらは時代に翻弄された被害者でもある』といった側面で捉えることは非常に困難なのではないでしょうか。
少なくとも,『何故2004年以前にドーピングを使用しないクリーンな選手も一定数存在したのか』という解はここにあると思います。
最後に
今回のnoteは自分の考えを整理するためのメモ的な意味合いが強いです。なんでこれを今更取り上げたのかと言うと,春先から『歴代コミッショナーの功罪』的なnoteを構想している段階で,VincentやUeberrothの文献を漁っていたところ,この文書を認識した次第です。61本塁打関連のnoteにおいても注釈していたのはこのため。
『お前,こんなことも知らずに今までnote書いてたのかよ』ってツッコミもあるかもですがご容赦を。注意喚起が促されていたのは認知していましたが,この文面まではしっかりと把握していなかったのは手落ちでした。
Judgeの62本塁打を契機に「そもそもBondsやMcGwireの時代ってステロイドはルール違反だったの?」という素朴な疑問を見かけることが多く,自分の中でも一つの見解を出しておきたかったのが本音。
また現在,Marvin Millerの自伝を読んでいる最中ですが,1990年代のドーピング蔓延は諮らずとも選手会が強大になったことによる副作用と取れます。Millerのあまりにも過小評価されている功績についてはいずれ必ずnoteに取り上げたいと思います。
<参考文献>