【MLB】Robinson Canóへ捧げる仮説
2009年のワールドシリーズを制したことで,通算27度目の優勝を果たしたニューヨーク・ヤンキース。以来,1度もWS進出が叶っていないのは悲しいですが来年こそは・・。
当時のヤンキースといえば非常に分厚い選手層に目が行きますが,なんといっても最大の魅力はレジェンドひしめく内野陣でしょうか。遊撃手には3,000安打を達成し殿堂入りを果たした稀代のスーパースターDerek Jeterが座れば,三塁手には歴代5位となる通算696本塁打のAlex Rodriguezが鎮座。一塁手にはその年からFA加入し本塁打王を獲得したMark Teixeira,そして二塁手にはキャリア5年目ながらも安定したヒッティングスキルと長打力を武器にリーグ有数の内野手に成長したRobinson Canóが就くといった布陣。4人合わせて721安打112本塁打rWAR20.6という圧倒的な完成度の高さを誇ったまま戴冠へ至りました。
この中で今も現役を貫いているのは御年40歳を迎えるCanóのみですが,現時点では去就が未定であり,メジャーリーガーとして過ごせる時間は残り僅か(or none)であることは間違いありません。通算2267試合で2639安打335本塁打rWAR68.1といった成績からも分かるように,歴代二塁手の中でも指折りの選手であり,将来的な殿堂入りを期待したくもなります。
ただし残念ながら,Canóがクーパーズタウンのレリーフに刻まれることは未来永劫訪れないといえます。お分かりのとおり,Canóはキャリア後半の2018年にドーピング剤のマスキングに用いられる利尿剤フロセミドが検出されると,2020年には筋肉増強剤スタノゾロールに陽性反応を示しています。これによって歴代でも7名程度しかいない2度の禁止薬物規定違反者に名を連ねることに。その際に失ったのは単なる試合数やサラリーではなく,今まで築き上げてきた名声や実績であったことは言うまでもありません。
そして今回のnoteで取り上げるのはこのPED2犯に関するものではありません。先日FFさんとやりとりする中で,「noteにしたら面白いだろうな」という,ある種の興味が沸いたトピックです。それは,
という仮説です。もちろん,Canóが禁止薬物検査で陽性となったのは先述の2件のみであるため,本noteで仮説を立証に至らせることは不可です。そのため,今回は立証に足るような根拠などをまとめていきたいと思います。(一部の方からすれば”何を今更言ってんだよ。そんなこと分かりきってただろうよ。”と言われそうですが,ご容赦ください。)
①Robinson Canóの来歴
1982年にドミニカ共和国で生まれたRobinsonですが,父であるJoseは元々ヤンキースとも契約を果たした投手であり,1989年にはMLBにて6登板を記録。野球選手の元に生まれたこともあって,ファーストネームはJackie Robinsonに由来しています。父の仕事もあって,中学・高校のうち3カ年はニュージャージー州で生活。その後ドミニカ共和国に戻ってからはSan Pedro de Macorís高校で野球を続けました。
そして2001年には国際FAでニューヨーク・ヤンキースと契約し,プロの舞台に足を踏み入れます。当初は遊撃手での起用も受けていましたが,18~19歳での就いた79試合で31失策という悲惨なスタッツを残し,無事二塁手起用が確定しています。
打撃成績も突出していたわけではなく,OPS.600-.700台の成績をさまよいますが,2005年に3Aの開幕24試合で打率.333 OPS.943の好スタートを切ると,NYY移籍直後に大不振へ陥ったTony Womackと入れ替わるようにMLB昇格。ここでも132試合 打率.297 OPS.778を残す活躍で,22歳ながら一気にレギュラー定着を果たします。(新人王投票では2位)
翌2006年にはリーグ3位となる打率.342を記録し自身初のオールスター選出。2007年には160試合に出場し,全体5位となるrWAR6.7を計測。ここから11年連続で150試合以上に出場しており,2000年代~2010年代屈指のアイアンホースとして君臨しました。
このキャリア序盤に於いては「ハイアベレージの中距離ヒッター」という屋号が付いていたわけですが,冒頭の2009年シーズンからは自己最多25HRを放つなど長打力も開花。2010年には打率.319 29HR OPS.914 rWAR8.1でMVP投票3位につけます。例年の課題であった守備力でも安定感を見せつけDRS+18を計測し,初めてゴールドグラブ賞に輝きました。
その後も,引退が近づくDerek Jeterの後を継ぐように成長を続けるCanóの存在はファンの拠り所でもあり,2013年オフに控えるFA交渉ではヤンキース残留を確信したニューヨーカーは多かったでしょう。
しかしその時は突然に訪れます。残留交渉において10年300Mという当時にして超破格の契約を臨むCanó側と,当時贅沢税回避を念頭に置き,31歳となる選手に10年契約を結ぶつもりはなかったヤンキース側で条件の折り合いが付かず。最終的なオファーも僅か7年175Mという額に留まっていたとの話もあります。結局,フランチャイズスターを求めていたシアトル・マリナーズが10年240Mという長期契約を提示したことで移籍成立。長い歴史で見ても生え抜きのスター選手を流出させてこなかったNYYコミュニティに激震が走りました。
移籍1年目となる2014年は投高打低のセーフコ・フィールドの洗礼を受けたのか14HRに終わるも,打率.314を記録し旧来の中距離打者へアジャスト。MVP投票でも5位に入るなど,移籍後も変わらぬインパクトを残しました。オフシーズンには2006年以来8年振りに開催された日米野球にて数少ない目玉選手として来日。西勇輝の投じたボールが右足の指に当たって骨折するアクシデントはあったものの,翌2015年は問題なく156試合に出場しています。
2016年には突如としてキャリア最高を大きく更新する39HRを放ち,まさかの長距離ヒッターへ回帰。チームメイトのNelson Cruzが43HR,Kyle Seagerが30HRを記録するなど,強力な打線を武器にチームをALW2位の好成績に導きますが,2001年以来となる念願のプレーオフ進出には一歩及ばず。
Canó自身のキャリアを振り返っても,2017年まで通算2000本安打を悠に達成し,300HRのマイルストーンにも到達。二塁手としてはMLBの歴史の中でも指折りであることは間違いなく,将来の殿堂入りを囁かれる位置にいました。
しかし2018年,Canóのキャリアに最大の転機が訪れます。
5月13日のタイガース戦,相手投手が投じた88mphのボールが右手に直撃すると骨折が判明。キャリア初となる長期離脱の可能性が取り沙汰されます。(ちなみに2007年-2018年5月までの欠場試合数は僅か50試合)
その直後,ファンが目を疑いたくなるようなニュースが飛び込んできました。Canóが禁止薬物検査で陽性となり,80試合出場停止の処分を受けたのです。検出されたのはフロセミドという利尿剤であり,他の筋肉増強剤を体外に排出するのを助けるもの。フロセミド自体には筋肉増強作用はありませんが,長らくドーピング剤のマスキング(隠蔽剤)として用いられてきたことから,MLBはもちろんのことWADAなどが禁止薬物に指定していた物質です。
自身はパブリックコメントで「持病を治療するために医師から処方された」と述べていましたが,いわゆる違反者の”常套句”を吐き捨てたに過ぎず,野球人Robinson Canóの権威はあっという間に失墜することになりました。
その後再建期に突入したマリナーズは,処分明けで成績未知数ながら高年俸のCanóにEdwin Diazを加えたパッケージを組んでメッツへ放出。同オフにはエースJames Paxtonや正捕手Mike Zuninoも放出するなど,現在のチームにおいても重要な転換点を迎えていましたよね。ここでもDipoto GMの手腕が光りました。
移籍先のメッツにおいて打棒を期待されていたCanóですが,2019年はキャリアワーストとなる打率.256 OPS.736 rWAR0.6と全く奮わずに終始。『シアトル移籍2年目に本塁打数が伸長したのはドーピングを使用していたからでは?』といった声も出るまでに。
しかし2020年の短縮シーズンにおいて49試合に出場すると打率.316 10HR OPS.896(OPS+143)とカムバックイヤーを過ごし自身への疑念を払拭。気持ちを一新に,10年契約満了へ再スタートを切ったように思いました。そのオフに2度目の禁止薬物使用が発覚するまでは。
2020年11月18日に筋肉増強剤スタノゾロールに陽性反応が検出されたとして,2021年シーズンの全試合出場停止処分が決定。つかの間のカムバックに歓喜したMLBファンを最低の形で裏切ることとなりました。
38歳というキャリア晩節にプレー機会を得られなかったものの,10年契約の9年目にあたる2022年にメッツで復帰。しかしかつての好打は全くといっていいほど鳴りを潜め,5月3日にDFAとなったことが発表。その後パドレス,ブレーブスへ加入したものの,シーズン通して33試合 OPS.373というフリンジ以下の数字に終わりました。
来季は10年契約の最終年となるためサラリーである24Mを受けとることができますが,現時点で獲得に興味を示している球団はおらず,このまま引退となる可能性も。(中南米のウィンターリーグには今年も出場していますし,MLB以外であればまだ野球は続けることはできるとおもう。)
このように,華々しいキャリア序盤,長距離ヒッターへ転身し成功を収めた中盤,そして終盤にはこれまで想像もつかないような凋落をみせています。
そしてここから私がまとめる仮説は,その光りあるCanóのキャリア中盤への嫌疑にフォーカスするものとなります。長くなりましたが,ここからが本編です。
②仮説「Canóは2009年前後からPEDを使用していた?」
冒頭で述べた仮説「~Robinson Canóは2009年前後から禁止薬物を使用していた?~」に対して,裏付けとなるようなトピックを2つチョイスしました。ただしCanóが禁止薬物検査で陽性となったのは2018年・2020年のみであり,それ以上の事実を裏付けるものでないことを改めて付記します。(悪く言い換えればこのnoteは難癖のようなものかもしれませんし。)
②-1:Angel Presinalの影
Robinson Canóはキャリアの中で少なくとも2007年・2009年にAngel Presinal(アンヘル・プレジナル)というトレーナーの指導を仰いでいます。Presinalはドミニカ本国に著名なトレーニング施設を保有し,同国出身の野球選手からの評判が非常に高い人物として知られています。
そういった背景があって2006年WBCではドミニカ共和国の専属トレーナーとして登録されてきました。(2009年は下記の一件からリストに表記されていなかったものの,チームへ帯同していた)
表向きの経歴は立派ですが,Presinalを掘り下げてみると様々な過去が浮かんできます。
2001年10月4日のトロント国際空港にて検疫にあたっていたカナダ国境局の職員が,クリーブランド航空から引き上げられたダッフルバッグからアナボリックステロイド,注射器などを発見。搭乗していたのはインディアンスの選手団であり,当時のクラブハウスマネージャーはその荷物がJuan Gonzalez(96年&98年のALMVP)の所持品であることを突き止めます。
当時のアメリカは9.11同時多発テロの直後であり,厳戒態勢が敷かれていたため,その後トロントの法執行官のもとで捜査を受けることとなります。そこで判明したのは,この荷物はGonzalezのものではなく,そのGonzalezの個人トレーナーとして帯同していたPresinalの所持品であったという事実。翌日,遅れてカナダ入りしたPresinalは規制物質法(CSA)などに反したとして拘束されることとなりました。
もちろんこれはGonzalez側が,責任を個人トレーナーに押しつけただけという見方もできますが,当初関与を否定していたPresinalは尋問のなかでGonzalezのためにアナボリックステロイドを用意していたことを供述。事実上,MLBコミッショナー事務所からの追放宣告が成されます。
一方,Juan Gonzalezは当時ドーピング問題の対処にあたっていたRob Manfred(現コミッショナー)によって「合理的理由の薬物検査」の打診を受けたものの,選手会を通じてこれを拒否。何一つとして罰則を受けることはありませんでした。
しかし話はここで終わりません。翌2002年に古巣レンジャーズに復帰したGonzalezでしたが,そこに見え隠れするように追放されたはずのPresinalがTEXのクラブハウスに出入りしていたことが発覚。再度MLBのセキュリティ部門がPresinal出禁令を敷くこととなります。
その後2005年には,かつての同僚であったJose Canseco著「禁断の肉体改造」にて”Juan Gonzalezはアナボリックステロイドを使用していた”との告発を受けたことでバッシングを受けることに。2001年の事件を考えても,Gonzalezが禁止薬物を使用していた可能性は非常に高いと思われます。
Gonzalezの一件で明るみになった”Angel Presinal”という謎の存在の疑惑はここでは終わりません。
この2001-2003年頃にレンジャーズへ在籍していたビッグネームを思い浮かべて見てください。そうです,通算696本塁打のAlex Rodriguezがいましたよね。当人同士は否定しているものの,両者は当時より懇意にあったといいます。実際に,2007年シーズンにはA-RODの遠征にもPresinalが同行していました。(この時,A-RODのいとこである”Yuri Sucart”が彼らの世話人を務めていた)
その後2009年には「2003年に実施した薬物検査で陽性となっていた」ことが判明したことは言うまでもありませんね。
ここで新たに名前が出てきたのは”Pudge”ことIvan Rodriguez。彼はJuan Gonzalezと同郷で幼馴染みであり,これまた偶然にもI-RODは先出の「禁断の肉体改造」にて”禁止薬物を使用していた”とされていた選手の1人です。
思えば彼だけでなくRafael Palmeiroも「禁断の肉体改造」にて名前の挙がったビッグネーム。90年代初頭にCansecoとはTEXでチームメイトとなっていましたが,またまた偶然にも1999-2003年にはレンジャーズに復帰しているのです。(その後2005年8月には禁止薬物検査で陽性検出)
つまり,2002年に限ってもA-ROD,Gonzalez,I-ROD,Palmeiroという禁止薬物使用(の疑念)があったビッグネームが在籍し,かつPresinalという人物が出入りしていたことになります。果たしてこれをまたもや「偶然」の一言で片付けて良いものでしょうか。
補足をしますが,2002年のレンジャーズ球団はシーズン中にPresinalの為にホテルの部屋を押さえていたことも判明しています。(”ミッチェル・レポート”によれば代金はPresinalが支払っていた)
長くなりましたが,Canóが2007年・2009年にトレーナーとして雇い入れたPresinalという男はこういった経歴があったのです。少なくとも「健全な人物」でないことは誰でも分かるでしょう。(もちろんクリーンの代表格Pedro MartinezやErvin Santanaらの指導を行った経歴もあり,一概には言えないことは確かです)
Canóが2009年2月に語ったインタビューからは,彼はPresinalがどういう事件を起こしたために出禁令を喰らったを理解していたようにも読み取れます。そう,彼がかつてアナボリックステロイドを所持していたことを。
②-2:バイオジェネシス・スキャンダルでの嫌疑
2013年1月29日,マイアミのアンチエイジング・クリニックを経営していた無免許医・Anthony Boschが,多数のメジャーリーガーにhGH(ヒト成長ホルモン)を販売していたことが報道されました。顧客リストには2年前にNLMVPを受賞したRyan Braunなどの名前が掲載されており,MLBにて禁止薬物検査が導入されて以降もっとも多い処分者を出すこととなりました。
この一件を「バイオジェネシス・スキャンダル」と言いますが,Robinson Canóの名前はこのリストにはありませんでした。ではCanóは無関係でしたか?いいえ,それは違います。
当時発覚した顧客リストには「Sonia Cruz」という女性の名前も掲載されていました。この女性は2012年の7月~8月に渡って300ドルづつ支払いを行っており,捜査の対象となります。そして判明したのが,このSonia CruzがRobinson Canóが代表を務める財団のスポークスマンであったという事実です。もちろん,Canóはこれに驚きをみせて無関係であることを述べています。
確かにこの事実だけでは解像度は低く,こじつけ感が強いです。ではもう一つ紐解いていきます。
このスキャンダルで顧客リストに載っていた選手は他にも大勢います。それこそ後にマリナーズなどで活躍するNelson Cruzや好投手Gio Gonzalezなどの名前も。そしてあえて触れてきませんでしたが,この事件最高のビッグネームA-ROD,更にMelky Cabreraという名前が挙がります。
A-RODは先ほど触れたように,2001年-2003年頃のレンジャーズ在籍時代に筋肉増強剤を使用していたことが発覚していましたが,このCabreraも無視できない名前です。なぜなら彼は2005年から2009年にヤンキースで活躍した人物であり,同郷Canóの盟友ともいえる存在。
ここで再登場するのは前項のAngel Presinalです。実は2009年にCanóが彼とトレーニングを行った際に,Cabreraも同伴し共に指導を受けているのです。
そんなCabreraが,かつてPresinalと懇意であったA-RODと共に禁止薬物を密売していたクリニックの顧客リストに名前が挙がったと。これは偶然でしょうか。
そしてその顧客リストにはCanóの財団関係者の名前があったと。これも偶然なのでしょうか。
A-RODとPresinalの世話人であったYuri Sucart(A-RODのいとこ)が禁止薬物の配付・販売の共謀で起訴されたのも偶然でしょうか。
ちなみに2018年,Canóのフロセミド使用が発覚した際には僚友Teixeiraですら「(Cabreraらとの関係を見ても)PED使用は驚くことではない」と厳しいコメントを述べています。
もう一つ興味深い話を取り上げます。実はPresinalはレンジャーズから締め出された直後,ある選手のパーソナル・トレーナーに就いてます。その名はBartolo Colón。巨漢から繰り出される剛速球などを武器に45歳までMLBのマウンドで投げ続け247勝を挙げた名投手です。
2005年,Presinalの薫陶を受けたColónは見事キャリアハイとなる21勝を挙げてサイヤング賞に輝きました。これは偶然でしょうか。
その後,2012年に禁止薬物検査で陽性が検出され,のちにバイオジェネシス・クリニックの顧客リストにも名前が挙がっていたのは偶然でしょうか。そして前年の2011年には同じドミニカ共和国出身のCanó,A-RODが所属していたヤンキースに在籍していたのも天の思し召しなのでしょうか。
③仮説の総括
ここまで挙げてきた話だけですと,まだまだ点同士の要素が強いため,これらを時系列でまとめます。
こうして見ると,(というか意図的にそう見せてるけど)PresinalとCanóのPED使用が無関係であるとは言い切れないと考えます。
ここからは私の空想の域ですが,以下のストーリーは有り得るでしょうか。
何度も言うように,これは言いがかりや難癖の域を出ませんし,見る人が見れば名誉棄損と取られても仕方ないかもしれません。
しかし,Presinalの指導を受けた2009年からCanóの本塁打数が倍増したことや,2010年頃から守備指標がプラスとなったこと,その後2020年の薬物使用時にもカムバックを果たしたこと,Colónが薬物使用後に成績を大きく向上させたことなどに,「全くもって因果関係はない」と捉えることは,少なくとも私にはできません。
一方で,確たる証拠もない事柄をこれ以上掘り下げることに意味がないことも事実。今回はこの辺で仮説?を終わりにしたいと思います。
最後に,2009年にA-RODら104名の選手が2003年に禁止薬物陽性を示していた事が発覚した際の一節を。先出のIvan Rodriguezは,記者に「あなたは104名の陽性者リストに含まれていると思いますか?」という問いに対してこう答えました。
<以下,参考文献>
サムネイル選手画像はhttps://www.mlbtraderumors.com/2013/12/mariners-to-sign-robinson-cano.html より引用しました。