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拝"敬"

 プロ野球を観るにあたって,大嫌いなことが一つある。「連続試合出場」という記録だ。年間140+試合もある中,1試合も休まないことは確かに賞賛されるべきだ。『無事是名馬』とはよく言ったもので,年に何憶も稼いでいるスラッガーがシーズンを全うできない為体を何度も見ている時分,健康体な選手の価値は十分理解しているつもりだ。

 かつて阪神タイガースには『鉄人』『アニキ』の愛称で親しまれた金本知憲がいた。2003年にFAで阪神入りを果たすと2度の優勝に加えて1492連続試合フルイニング出場という世界記録の保持者でもある。これだけ聞くと,先の『無事是名馬』の筆頭であったように思えるが,実際にはそんなことはなかった。2004年には死球を受けて骨折を負っているし,2007年には左膝の半月板を損傷,2010年開幕前には右肩棘上筋部分断裂の大怪我を負っている。

 特に右肩の怪我はそれまでの怪我とは違い,ボールを放れないほど金本を苦しめた。

 その年,金本は自ら当時の真弓監督にスタメン出場を固辞し,長らく続いた連続フルイニング出場記録にピリオドを打った。

 その後も連続試合出場記録は代打などで伸ばしていたものの,翌年に代打出場をした際,一塁走者の盗塁失敗によって出場カウントが成されず記録が途絶えている。

 キャリアの寿命を左右する時期が2011-2012年という最悪の統一球年と重なったのも不運であった。名だたるスラッガー達が苦しみ抜いたこの年に金本も引退を決意することとなる。

 金本がユニフォームを脱ぐ中,主にネット界隈では「やっと介護が終わるな」などの声もあった。左翼を守る44歳金本の守備範囲と肩の弱さを必死にカバーリングしていた遊撃手・鳥谷 敬に向けられた言葉だ。

 統一球年にあってもリーグ屈指の打者とした馳せた傍ら,守備においてもゴールドグラブに輝いていた若虎は当時低迷しつつあった阪神のオアシス的存在であった。そんな選手に負担を強いていた左翼・金本の存在は一部の阪神ファンから毛嫌いされていたのはよく覚えている。

 その数年後,奇しくも鳥谷が金本と同じような批判を受けるとは夢にも思わなかった。

 2013年,14年は変わらず素晴らしい打撃と守備を披露。特に2014年は巨人にリーグ優勝を許したものの,クライマックスシリーズにて巨人にアップセットを果たし日本シリーズ進出。翌年に期待せざるを得ない年となった。

 一時はオフにメジャー移籍が噂されるも総額20億円の5年契約で阪神が慰留,2015年の遊撃ポジションも安泰と思われた。

 しかし打撃では例年並みの数字を残していたものの,守備ではそれまでリーグ上位であった守備指標で最低クラスのパフォーマンスとなり,シーズン後に坂本を押しのけゴールデングラブ賞を獲得したときには私も疑問符が付いた。この時には金本と同じように連続フルイニング出場の遊撃手としての記録更新に迫っていた。

 2016年,先の金本知憲が阪神の監督に就任したものの,そのまま遊撃に就くと4月に連続フルイニング出場記録を更新。ただし守備は言わずものがな打撃でもキャリア最低のスタッツを記録するなど苦しい局面が続き,7月にはそれまで667試合続いた連続フルイニング出場記録に終止符を打った。

 この頃には不甲斐ない鳥谷への批判はピークを迎え,同時に台頭していた北條にポジションを奪われるなど鳥谷をとりまく状況が一変したのだ。

 2017年には三塁手として再出発を果たすと打撃では復活を果たし2000本安打を達成,守備でもゴールデングラブ賞に輝いた。(これも疑問符が付いたが,,)手首が泡立て器並の阪神ファンはこれを受けて「やっぱり阪神は鳥谷のチーム!」と騒ぎ立てる。私も甲子園で中日を相手に中谷と鳥谷が魅せたBack-To-Backのホームランには拳を突き上げたし,顔面死球を受けた翌日に八咫烏のようなフェイスガードを着用して打席に相まみえたときには感涙した。しかしおおよそこれが鳥谷が阪神タイガースの選手として賞賛を受けた最後の年となる。

 残念ながら2018-19年は低調なパフォーマンスに終始し,2年で70安打しか放てず。遂には構想外として2019年に引退勧告を受けることとなった。相次ぐ怪我を押し通しても連続試合出場を続け,ファンから厳しい声が上がる様はいつかの鉄人を思わせた。

 彼が派手な長髪を引っさげ,大胆なレッグキックと華麗なグラブさばきでフィールドを支配していた時代のファンであった自分からすれば「阪神タイガースの鳥谷」として引退することを願っていた。しかし鳥谷は違った。まだプロでやれるとの意向から阪神を退団。縁故もあって井口監督のロッテに入団することとなった。

 それから二年経った2021年10月31日。男は遂にユニフォームを脱ぐことを決心した。CSでの出場機会は不明だが,まだ打席に立てるチャンスはあるのだろうか。

 金本然り,連続試合出場などの記録に縛られなければもう少しだけキャリアを伸ばすことが叶ったのではという思いもある。バスケの世界にあるようなロードマネジメントを敷いて一日でも長く現役を続けてほしかった。監督のお歴々にも時には休養の判断をしてほしかった。

 ただひとえに,彼らも「会いに来てくれるファンをプレーで沸かせたい」という強い思いがあったのだろう。いつだってファンファーストな人だった。

 そういえば,鳥谷を語る上で絶対に欠かせないのは2013WBCの二次ラウンド・台湾戦だろうか。元NYYの王に打線を封じられたまま2-3のビハインドで迎えた9回表。一死から十八番の四球で出塁するも,続く長野が凡退。あと1アウトでWBC敗退という絶体絶命のピンチで鳥谷の足は動いた。失敗の許されない場面での盗塁成功。そして井端が放った起死回生の同点タイムリーは日本野球史に残るクラッチプレーである。当時高校生であった私もテレビの前で吠えた。鳥谷敬という男の胆力を知らしめた出来事である。

 名残惜しい。他に語りたいことも山ほどある。鳥谷キャプテンの名の下に優勝だってしてほしかった。坂本に負けじと最強遊撃手に名乗りをあげてほしかった。

 わがままばかりで要点を得ませんね。本当にお疲れ様でした。あなたの全てのプレーを決して忘れません。

最後に

 もしかして2005年の阪神優勝を経験した最後の現役選手ですかね。阪神のフロントに戻ってきてほしいとは思いません。現役時代に休み無しだったんだもん。ゆっくりご家族と過ごしてほしいです。🐥

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