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【MLB】球史最大の汚点「ステロイド時代」とは【改訂版】

早いもので、初めてnote投稿をしてから6年近く経過しています。その初投稿のテーマとなったのは今回と同じくステロイド時代に関するもの。ありがたいことに今でも多くの方に読んで頂いている一方で、思えば根拠となる文献の真偽も不確かな点が多いです。受け手に誤った情報を伝えるような箇所も含んでいることもあり、果たしてこれで良いのかと常々感じていました。
ついては改訂版と銘打ち、できる限り出典を明記した上で、より正確かつ踏み込んだ内容にまとめたいと思います。(そのため、読みやすさを犠牲にしているのでご理解願います。)

今回取り上げたいのは主に1990年代後半から2000年代中盤にかけての筋肉増強剤スキャンダル、そしてそこに関連したエピソード等です。そのため、2012-13年ごろに取り沙汰されたバイオジェネシス・クリニックに係る一件は深く触れません。
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prologue:筋肉増強剤(PED)とは

Performance Enhancing Drug(身体強化薬)の頭文字を取ってしばしば「PED」と称される物質とほぼ同義。ただし厳密にはアンフェタミンに代表される興奮剤やEPOドーピングもPED含まれるため、PED=筋肉増強剤、ではありません。
ステロイド時代を彩った筋肉増強剤の種類はウィンストロールやデカ・デュラボリン、ヒト成長ホルモンと数あれど,主な効能はさほど変わりません。筋肉増強剤に含まれるステロイドホルモンや成長因子などによって強い蛋白同化作用(摂取したタンパク質を効率よく筋肉へ変化させるはたらき)をもたらし、そこへ適切な栄養摂取・トレーニングを加えることで、短期間であっても大幅な筋肉量増加を見込むことが可能となります。
もちろん、高血圧や心疾患のリスクといった多くの副作用もありますが、瞬きの栄光を求める一部のスポーツ選手やボディビルダーによって長きに渡り使用されてきた物質です。

また筋肉増強剤自体は、主に陸上選手などが用いる血液ドーピング、アンフェタミンに代表される興奮剤と並んで、代表的な「スポーツ界の禁忌」であることも事実。世界アンチドーピング機構”WADA”を筆頭に、各国・各スポーツ団体が根絶を目指して様々な努力を講じています。

これは「史上最悪の影響をもらたした1994-95年ストライキ」でも記載しましたが、一般大衆に最も筋肉増強剤の存在を知らしめたのは1988年ソウル夏季オリンピックにおける陸上競技、Ben Johnson 対 Carl Lewisの一騎打ちであったと言えます。男子100m走にてLewisを大差で下したJohnsonが、その数日後に筋肉増強剤スタノゾロールの使用が発覚したために金メダル剥奪となった一幕は、世界中に衝撃を与えました。

その後、筋肉増強剤は野球界に触手を伸ばし続け、1994-95年ストライキ後の野球人気回復を狙う裏で、多くの選手を蝕むこととなります。歴代1位となる通算762本塁打記録を持つBarry Bondsや、狂乱のHR争いを演じたMark McGwareSammy Sosa、大投手Roger Clemensといった時代を象徴するスター選手も筋肉増強剤の恩恵を得ていたことは日本人の間でも非常に有名ですよね。
ただ、これらのスター選手はある意味で「悪の枢軸」として断罪されたに過ぎず、蓋を開けてみれば更に多くの選手が関わっていたことが明らかとなっています。

今回のnoteでは,もちろん上記スター選手にも触れつつ、主に2007年発表の「Mitchell Reportミッチェル・レポート)」の調査結果に基づいて、多くの視点からステロイド時代を読み解いていきます。

第1章 MLBにおける筋肉増強剤規制の流れ

いままで多くの記事で触れていましたが、近代MLBにおける筋肉増強剤規制の流れについて、順を追っておさらいします。

まずは1980年代、MLBではアナボリックステロイドのような筋肉増強剤ではなく、コカインや大麻といったドラッグ使用の横行に手を焼いていました。特に1985年に引き起こされた「ピッツバーグ薬物裁判」においては球団クラブハウス内での深刻なドラッグ蔓延が露見し、11人もの現役選手が処分を受けることとなりました。

そのうちの1人であり、MVP獲得経験もあったKeith Hernandezが「MLBの40%の選手がコカインを使用していると思う」と述べたほどの惨状。処分を決定したPeter Ueberroth(ピーター・ユベロス)コミッショナーは”年に数回の抜き打ち薬物検査”導入を試み、各球団に施策の覚書をたたきつけます。(以下はその一部)

Our other principal concern is the maintenance of the integrity of the game. It is most important that all of us in Baseball and our fans have the fullest confidence in our game. Drug involvement or the suspicion of drug involvement is inconsistent with maintaining that essential goal.(原文)

私たちの大きな関心事は,野球の高潔さを保つことです。我々野球に携わる者全員とファンが,野球に最大限の信頼を寄せることが最も大切なことなのです。そしてドラッグへの関与は,その本質的な目標維持と矛盾することなのです。(筆者意訳)

Mitchell Reportより引用

Ueberrothといえば前年となる1984年までロス五輪の実行委員長を務めた人物であり、「スポーツにおいて薬物検査の実施は当たり前」との認識があったかもしれません。
しかし、当時すでに絶大なエンパワーメントを保持しつつあったMLBPA(選手会)によって抜き打ち検査導入が却下。これは一つ目のターニングポイントと言えるでしょう。

次の転換点と言えるのは1991年Fay Vincent(フェイ・ビンセント)コミッショナーによる通告であります。先述のソウル夏季オリンピックを契機にアメリカ国内での筋肉増強剤への認知が高まると、規制物質法(CSA)が1988年および1990年に改訂。これによって【アナボリック・ステロイドの配布は,(1)医師の命令に従って行われ,(2)病気の治療の目的である場合を除き,違法とする】といった規程が追加されました。

これを踏まえ、1991年6月7日にVincentコミッショナーが以下の文書を全選手へ通達することとなります。

"Major league players or personnel involved in the possession, sale or use or any illegal drug or controlled substance are subject to the discipline by the Commissioner and risk permanent expulsion from the game, This prohibition applies to all illegal drugs and controlled substances, including steroids or prescription drugs for which the individual in possession of the drug does not have a prescription."(原文)

MLBの選手や関係者が,違法薬物規制薬物の所持・販売・使用に関わった場合,コミッショナーによる処分の対象となり,試合から永久追放される危険性がある。これは,ステロイドや所持している本人が処方箋を持っていない処方箋薬を含む,すべての違法薬物および規制薬物に適用される。(筆者意訳)

Former MLB commissioner, who issued drug policy memo in 1991, feels suspension wouldn't workより引用

これを以て、アナボリックステロイドのような筋肉増強剤を使用することはMLBの警告に違反するだけでなく、そもそもが連邦法に違反する行為となったわけです。(1990年のCSA改訂においてもドラッグと同じ”スケジュールⅢ”の規制物質として分類されている)

そして最後の分水嶺となったのは1994年の労使交渉。ストライキ突入前の交渉において、当時のBud Selig(バド・セリグ)暫定コミッショナーは選手会へ以下の共同薬物プログラムを提案しています。

【1994年初頭にSeligが提示した共同薬物プログラム】
・春季キャンプに参加した全選手へ毎年,健康診断の一環として薬物スクリーニング検査を行う
・1回目の違反者にはカウンセリング及び治療プログラムへの参加に同意すれば処分の対象とならない
・2回目の違反者には60日間の無給停職処分
・3回目の違反者には1年間の無給停職処分
・4回目の違反者には永久追放処分

Mitchell Reportより抜粋

しかしこれについても選手会が拒否。サラリーキャップ制度や収益分配制度でも大きな温度差が生じていた当時の労使交渉において、これ以降に共同薬物プログラムを提案されることはありませんでした。

しかし1998年に巻き起こったMcGwireとSosaによるHR王争いの最中、Mark McGwire(マーク・マグワイア)が筋肉増強に繋がるテストステロンの前駆体「アンドロステンジオン(通称アンドロ)」を使用していることが発覚。アンドロは他の筋肉増強剤と同様の効果を持つことから、1997年時点でWADAやオリンピックにて禁止物質に指定されていたにも関わらず、Selig及び選手会は「MLB選手によるアンドロステンジオン等の一般使用については、科学・医学データを収集し、他の専門家と協議していく」との共同声明を発表。棚上げとも取れる対応を講じたことによってMLBのみならず全米の若者にまでアンドロが伝播。他のスポーツからすれば甚だ時代錯誤の対応であったことで、多くの批判に晒されることとなりました。

これが契機となったのか、2001年6月には選手会の権限が及ばないマイナーリーグにおいて、Seligが強権的に禁止物質を策定したのち、薬物検査を実施。初年度の検査では4,850人中439人(9.1%)から陽性反応を検出したことを踏まえれば、すでに球界全体が毒されていることは誰の目にも明らかでした。

★マイナーリーグにおける薬物検査結果
2001年 439人/4,850人(9.1%)
2002年 227人/4,719人(4.8%)
2003年 173人/4,772人(3.6%)
2004年 78人/4,801人(1.7%)
2005年 106人/5,961人(1.8%)
2006年 23人/6,433人(0.4%)

Mitchell Reportより抜粋

そして2002年8月30日に合意された労使協定(CBA-9)において、「調査」を目的とした【MLB全選手対象・罰則なし・匿名】の薬物検査を2003年中に実施することが決定。合意当時は選手会の抵抗によって、
2003年の検査において、全選手中の陽性率が5.0%を上回った場合には2004年・2005年にも無作為検査を行う。
2004年・2005年の検査における陽性率がいずれも2.5%を下回った場合にはその後の検査を打ち切る
というオプションが付けられていたものの、大きな前進を果たすこととなったのです。

結果として、2003年の検査では1,438人中104人(7.2%)が陽性反応を示したことが判明。2009年には03年当時の陽性者リストが何者かによってリークされており、Alex Roderiguez(アレックス・ロドリゲス)やSammy Sosa(サミー・ソーサ)、Manny Ramirez(マニー・ラミレス)にDavid Ortiz(デビッド・オルティス)といった大打者の名前が挙がっていたことが発覚しています。

また、同2003年中には後述する栄養食品会社BALCOによるスキャンダルが発生し、Barry Bondsら複数人の筋肉増強剤(それまで検出不可であった”クリア(Clear)”)使用が露見。この大騒動により、MLBへの風当たりが更に強まったことで、2005年1月には無作為かつ複数回を前提とした罰則付きの薬物検査導入が決定。

しかし追い打ちをかけるように元MLB選手でスーパースターでもあったJose Canseco(ホセ・カンセコ)が自著「Juiced(禁断の肉体改造)」を出版し、自分や元チームメイトのPED使用を暴露。
これらのスキャンダルを踏まえ、面目を失ったMLBがようやく薬物根絶を決断するに至ったわけです。そして2006年3月30日、Bud Seligコミッショナーが元米国上院議員であったGeorge J. Mitchellに球界における禁止薬物の全面的な調査を依頼し、翌2007年末に計409ページに渡る「Mitchell Report(ミッチェル・レポート)」が公表。新たにRoger Clemensら89名の薬物使用・購入が発覚し、更なる波紋を呼びました。

一般的に、「ステロイド時代」というのは今ほど連ねた1990年代後半から2000年代前半を指す用語であり、文字通り筋肉増強剤によってリーグが不当に支配されていた時代であります。
以降、2013年にバイオジェネシス・スキャンダルが引き起こったものの、厳格な薬物検査によって年に数人の違反者が出るに留まっています。(もちろん、Fernando Tatis Jr.といったスター選手の禁止薬物陽性は記憶に新しいですが…)

第2章 NYMクラブハウス職員”カーク・ラドムスキー”

”1988年ソウル夏季オリンピックの直後に行われたALCSにて、筋肉増強剤の使用疑惑があったJose Cansecoがレッドソックスファンに大ブーイングを受けていた”

というエピソードは以前noteに記したとおり。実は翌1989年にも、Cansecoがデトロイトの空港にて拳銃を押収された際、その荷物にアナボリックステロイドが含まれていたという騒動が起きていました。事件当時、同行していたトレーナーがCansecoをかばう形で拳銃とステロイドの所持を認めたために難を逃れたものの、後年にCanseco本人が筋肉増強剤の使用を認めたことで、彼が1980年代後半から禁止薬物を使用していたことが明るみになっていきます。

ではこの時代(1980年代後半)からメジャーリーグはステロイドに染まりきっていたのでしょうか。

これを反証する面白い調査が「Mitchell Report」にて言及されています。1991年のスプリングトレーニングにて、一部のオーナーと選手役員によって組織されていたPRC(選手関係委員会)が主導となり「アルコールと薬物使用に関するアンケート」が執り行われます。匿名を前提とした本調査には880人の選手が回答を行い、『①これまで1回以上アナボリック・ステロイドを使用したことがあるか』『②直近12ヶ月でアナボリック・ステロイドを使用したか』といった項目も含めていたのです。
集計結果としては『①全体の1.5%』『②全体の0.5%』という非常に低いパーセンテージに終わっており、「過少申告したのでは」と疑ってしまうような数値です。

しかし一方で、ステロイドと同様に違法行為であった『ドラッグの使用』などの設問には、乱用を認める回答が多くされており、ある程度有意かつ信憑性のあるソースと捉えることができます。額面どおりアンケート結果を受け取るとするならば、1991年時点においてはドラッグは蔓延していたものの、アナボリック・ステロイドのような筋肉増強剤は蔓延していなかったのでは?と推察することもできるのです。

【補足】
一方で、1995年夏に「MLBにおいて、Jose Cansecoら複数のメジャーリーガーがアナボリック・ステロイドを違法に使用している」との情報をFBIのGreg Stejskal捜査官が掴んでおり、当時MLBのセキュリティーチーフであったKevin Hallinanと接触。HallinanらMLB陣営はStejskal捜査官の協力を受けて、1992年に有罪判決を受けていたステロイド密売人のCurtis Wenzlaffに事情聴取を行っていたとされています。この際、WenzlaffはMLB選手との繋がりについての答えを濁していたものの、後にMitchell Reportの再調査によって、1992年頃までのJose Canseco・Mark McGwireらに対するステロイド密売を自供しています。少なくともこういった規模の蔓延はあったはず。

参考:ESPN|Wenzlaff calls out McGwire

では一体、どのようなきっかけによってMLBが薬物に汚染されてしまったのでしょうか。ここには少なからず一人の男の存在が影響したと考えられます。

1987年、ニューヨーク・メッツはクラブハウス職員として1人の男を採用します。彼の名は”Kirk Radomski(カーク・ラドムスキー)”。採用される以前から非公式でメッツのバットボーイを務めていた人物でもあります。

Radomskiは1990年代初頭、ボディビルダーを志したことでアナボリック・ステロイドを日夜研究し始めます。研究の末,ウィンストロールとデカ・デュラボリンを6-8週間サイクルで使用したことによって絶大な筋肉量の増加に漕ぎ着けます。その急成長したボディで1993年のスプリング・トレーニングに参加したRadomskiでしたが、それに気がついた多くのメッツ選手から「どうやってその肉体を造り上げたのか」といった質問を受けることとなり、自身のトレーニング方法、栄養摂取、そして禁忌である筋肉増強剤の使用方法について事細かに伝授したとされています。

また同1993年より、希望する選手に対して筋肉増強剤の提供を開始。口コミが広がると、相手チームの選手からも提供を依頼を受け、多くの顧客を抱えていくこととなります。Radomskiは小切手や現金郵便などで金銭を受けとり、速達郵便で選手の自宅や所属チームのクラブハウスへ筋肉増強剤を送り届けるスキームを確立。元手となる筋肉増強剤は、ボディビルダーが多く集まるトレーニングジムに赴き、彼らがすでに使用しなくなった薬物を安価で入手していたされています。
そして2000年代に入って薬物検査導入が議論され始めると、油性ステロイドであるデカ・デュラボリン等をなるべく使用させず、体外に排出されやすいウィンストロールやクレンブテロールといった水溶性ステロイドの使用を推奨。そして当時のWADAや国際オリンピック委員会が対応に追われていた”ヒト成長ホルモン(hGH)”についてもMLBへ流通させていくことにもとなります。

★ヒト成長ホルモン(hGH)
タンパク合成と脂質代謝を促す成長因子。体内で生成される成長ホルモンと区別することが困難であり、1989年にはWADAが禁止薬物として制定していたものの、検査技術が発展するまで検出ができなかった物質。

そして、何故これほどまでにRadomskiの流通スキームが公になっているのか。それは彼が2003年に規制物質法(CSA)に違反した罪などで起訴された際、司法取引に応じたため。彼の口からは,「いつ」「誰に」「どのようにして」筋肉増強剤を受け渡したかが事細かに証言されています

2006年から作成を開始した「Mitchell Report」においては、このRadomskiの証言が大部分を占めており、時にはRadomskiの家宅から押収された小切手、電話番号、手書きのメモといった重要証拠が報告書に登場します。
次章ではMitchell Reportに記載されている大まかな事例を要約し、まとめていきます。

第3章 ミッチェル・レポートから見る「蔓延」

すべての事例を書ききることはできませんが、個人的に気になった人物や箇所をピックアップしていきます。報告書の原文には漏れなく全て記載してありますので、興味のある方は是非。


・David Segui(デビッド・セギ)
主にオリオールズなどで活躍し、通算1412安打を記録した巧打者で1994年にメッツへ移籍。その際にRadomskiと親交を深めることになります。もっとも、SeguiはRadomskiと知り合う前から独自のルート(メキシコ経由)から筋肉増強剤を仕入れていたとされており、翌1995年にSeguiが動物用のステロイドを所持しているのをRadomskiが目にしていたとのこと。

その辺りからSeguiがデカ・デュラボリンの購入を開始し、少なくともRadomskiと12回以上に渡って取引(証拠資料として6枚の小切手が残っています)。また、キャリア後半の2000年代においては、薬物検査での検出を恐れヒト成長ホルモンを購入
Seguiの名前を一番先に取り上げたのは、オリオールズの若手を中心にRadomskiから購入したPEDを多くの野球関係者へ横流ししていたため。MLBでのキャリア以上に、このステロイド時代における暗躍が目立つ選手といえます。忠誠心が強く、Radomskiが司法取引に応じるとの報道がなされた後にも関わらず、彼へ電話を行い、「何かできることはあるか」と協力を辞さない構えを見せていたそうです。(もちろんその通信さえも連邦当局に傍受されていました…)


・Larry Bigbie(ラリー・ビグビー)
2001年から2004年に渡ってオリオールズに所属し、MLB昇格当時からSeguiに可愛がられていた選手(一時期はSeguiの家に住まわせてもらっていたほど)。
Seguiは当初、BigbieにMLBで生き残るためのアドバイスを求められた際に筋肉増強剤に触れることはなく、トレーニング方法などを伝えていたそうです。
しかしBigbieが筋肉増強剤使用に関心をもったことで2001年のシーズン終了間際にSeguiが用意したデカ・デュラボリンを注射。翌2002年の春季キャンプを迎えるまで、デカ・デュラボリンを週2回・テストステロンを週3回というサイクルで使用し、体重は86キロから100キロ程度まで増加。しかも体脂肪率は僅か7%という脅威の変貌を遂げていました。
その後もSeguiから薬物の提供を無償で受けていましたが、2003年に胴元のRadomskiを紹介してもらい、同年のシーズン後半からはサスタノンとデカ・デュラボリンをRadomskiから直接購入。
また、2004年に実施されるMLBの薬物検査においては、Radomskiから「ヒト成長ホルモンであれば検出されない」といったアドバイスを受けたことで使用を切り替え、その後少なくとも3000ドル分のヒト成長ホルモンを購入したとされています。

そして2005年12月7日、カージナルスへのトレード移籍が決まったBigbieが、引き続きヒト成長ホルモンを注文。この時すでにRadomskiが連邦当局への司法取引に応じていたため、連絡が筒抜けとなっており、Bigbieは当局からの取り調べを受けることとなりました。


・Brian Roberts(ブライアン・ロバーツ)
2007年にオールスターに選出され、IchiroのランニングHRの際に一塁から激走し、共に生還したのがRobertsです。
彼もBigbieと共に2001年6月にMLB昇格を果たし、Seguiの家に間借りしていました。2001年にBigbieとSeguiがデカ・デュラボリンを使用していた際にはRobertsが禁止薬物を使用することはありませんでしたが、先述の連邦当局からの取り調べにおいてBigbieが「Robertsがかつて、2003年に1-2回ステロイド注射を行ったことを話していた」旨の情報提供を行っています。Robertsはこれらの申し立てに関する面会を拒否、真相は闇の中です。


・Todd Hundley(トッド・ハンドリー)
AS選出2回の強打捕手。1990年のMLBデビューから1998年までメッツに在籍したことからも薄々お察しのとおり、1996年の始め、Radomskiの「もし筋肉増強剤を使用すれば、40本塁打は打てる」との言葉にそそのかされてデカ・デュラボリンとテストステロンを使用。それまでのキャリアハイは年16HRというレベルの打者であったにも関わらず、Radomskiの言葉を裏付けるかのように1996年に突如41HRを放ってオールスター捕手の座を奪い取ります。Hundleyの場合、単にこの年が初めてのフルシーズンということも斟酌すべきですが、筋肉増強剤を使用し始めた年にこれだけの覚醒を果たしたことは注目すべきポイントでしょうか。

また、後にHundleyがドジャースへ移籍した際には若手のPaul Lo DucaらにPEDを供給するなど、小さくない影響を与えました。(後述)
のちの捜査において、Radomskiの自宅からHundleyの住所や電話番号が押収されたものの、Hundleyが聴取を拒否したため、真偽は不明です。


・Jason Grimsley(ジェイソン・グリムズリー)
1989年から2006年と長きに渡って活躍した中継ぎ投手。ヤンキースに所属していた2000年に右肩を負傷した際、Radomskiからデカ・デュラボリンを購入したとされています。
その後も薬物使用を続けていたGrimsleyでしたが、2006年4月19日に自宅へ届いたヒト成長ホルモンを受け取った際、郵便物を監視していた連邦捜査官によって拘束。後の事情聴取によって筋肉増強剤の購入・使用を認め、当時在籍していたダイヤモンドバックスからは即時解雇通告が成されました。


・Roger Clemens(ロジャー・クレメンス)
言わずと知れたMLB史に残る大投手で通算354勝、サイヤング賞7回等々、挙げたらキリがありません。ClemensはMitchell Reportにおける最大のビッグネームであり、日本においても「ミッチェル・レポート=クレメンス」というイメージがあるほど。

本件に関しては、前段としてまずBrian McNamee(ブライアン・マクナミー)という人物に触れる必要があります。McNameeはセントジョンズ大学卒業後、当時ヤンキースのスタッフで、大学時代の先輩であったTim McCrearyの推薦によってチームのブルペン捕手兼打撃投手として採用されています。その後、1995年にJoe Torre監督が就任した折にヤンキースからの職を解かれますが、トロント・ブルージェイズがコンディショニングコーチとしてMcNameeを起用。選手の体重管理や筋力増強を担うこととなります。

そして同時期ブルージェイズに加入したのが、既に34歳となり衰えが見え始めたRoger Clemensでありました。
Clemensが加入した1997年時点ではコーチと選手という間柄に過ぎませんでしたが、翌1998年に転機が訪れます。Bud Seligコミッショナー肝入りの「インターリーグ(ALとNLの交流戦)」導入によって、ブルージェイズがフロリダ・マーリンズとアウェイで対戦。当時チームメイトであったJose Cansecoの自宅がフロリダにあったことで、ClemensとMcNameeが彼主催の食事会に招かれることとなります。
ここでCansecoは
 ・デカ・デュラボリンやウィンストロールの利点
 ・どの薬物を何週間おきに使用すべきか(サイクル)
 ・どの薬物の組み合わせが効果的か(スタック)

等をClemensへ教示したとされています。
そしてフロリダからトロントへ戻ってきたのち、Clemensが「自分ではうまく注射できない」とMcNameeへPED使用の幇助を持ちかけます。この際、Clemensが個人的に所持していたウィンストロールをMcNameeが数週間に渡って約4回、Clemensの臀部に注射したとのこと。McNameeによれば、”ウィンストロールを注射した夏以降は成績にも顕著に効果が現われた”とのことですが、確かに1998年8月の成績は50.0回 被安打25本 68奪三振 ERA0.90 と、えげつない数字が並んでいます。

そして1998年オフにはヤンキースへトレード移籍、併せてClemensが球団上層部へ進言したことによりMcNameeも2000年からヤンキーススタッフとして合流。ヤンキース時代においても、サスタノン250やデカ・デュラボリンをClemensへ投与していましたが、この際に入手経路として用いたのがRadomskiでありました。元々David Seguiの紹介によって知り合っていた2人でしたが、当時ヤンキースに所属していたJason Grimsleyを経由してRadomskiへ連絡し、パートナーシップを築いたそうです。
しかし2001年にMcNameeがヤンキースから解雇されたために、それ以降にClemensが筋肉増強剤を使用していたかは不明。そして2006年のGrimsley邸の捜索においてMcNameeが捜査線上に浮上。当初筋肉増強剤との関与を否定していたMcNameeでありましたが、先に司法取引に応じていたRadomskiが「2000年から2004年にかけて、相当量のヒト成長ホルモン及びステロイドをBrian McNameeへ供給した」旨を暴露。結局、刑事訴追を恐れたMcNemeeの証言によって、上述の詳細な記録が作成されたようです。
ただし、Clemens自身は「投与されたのはビタミン剤である」と主張しMcNameeの証言と真っ向から対立しています。
これをまとめながらふと疑問に感じたのは、大復活を遂げてサイヤング賞を受賞した1997年(トロント移籍1年目)時点においては、まだ薬物使用の証言がなかったことでしょうか。ただ、自身のツテだけでウィンストロールを用意していたあたり、その時点で潔白と言い切れるかについては非常に難しいところ。


・Andy Pettitte(アンディ・ペティット)
NYYを5度もWS優勝に導いた「コア・フォー」の1人。
アストロズ時代も含めて1999年から2007年の間、同郷のRoger Clemensとは苦楽をともにした盟友でもあります。
McNameeによれば、2001年頃にClemensのワークアウトに参加したPettitteから、ヒト成長ホルモンについての質問を受けたとのこと。この際はMcNameeが説得を行い、使用を思いとどまらせたそうです。

しかし2002年序盤に肘を故障し、リハビリを行っていたPettitteがMcNameeに電話を行い、回復を早める目的からヒト成長ホルモンの使用を懇願。McNameeはこれに応じてRadomskiから仕入れたヒト成長ホルモンを2~4回に渡ってPettitteへ注射したと見られています。
ちなみに後のインタビューによれば、Pettitteはこれ以外にも、2004年に病気の父が処方されていたヒト成長ホルモンを注射していたことを自供。
ちなみに2012年、一連の筋肉増強剤スキャンダルにおいて偽証罪で起訴されたClemensの公判にもPettitteが出廷。「Clemensが1999年オフにヒト成長ホルモンを使用したことを話していた」という証言を行っています。


・Chuck Knoblauch(チャック・ノブロック)
ツインズのフランチャイズを代表する俊足巧打の二塁手で、1998年にNYYへ移籍以降はイップスで苦しんだことで有名な選手。

彼もヤンキース在籍時代の2001年にMcNameeへヒト成長ホルモンの入手を依頼し、少なくとも7回~9回はMcNameeが注射を行ったとのこと。また、McNamee以外にもJason Grimsleyを通じて他の供給元からヒト成長ホルモンを調達したことを示唆していたようです。
ただ、Knoblauchは取り調べを拒否したため、真相は不明。
しっかしClemens、Pettitte、Knoblauch全員がテキサス育ちなのは変な因果。


・David Justice(デビッド・ジャスティス)
日本では「マネー・ボール」によって一定の知名度がある名手。
Radomskiによれば、ヤンキースで優勝を果たした2000年のオフにJusticeへ2-3個のヒト成長ホルモンを提供し、対価として小切手を受け取ったとのこと。また、同時期にヤンキースのトレーナーであったMcNameeも「Justiceからヒト成長ホルモンに関して質問されたり、Radomskiからヒト成長ホルモンを購入したということをJustice本人が話していた」と証言

一方でJustice本人は、これ以前にMLB選手全体へ行った聴取においてPEDの使用について明確に否定しており、その上で以下のコメントも残していました。

Justice said that the Commissioner’s Office and the major league clubs did nothing during his career to discourage players from using steroids.(原文)

Justice「コミッショナー事務局とメジャーリーグ球団は、私が現役の間、選手にステロイドの使用を思いとどまらせるようなことは何もしなかった」(筆者意訳)

Mitchell Reportより引用

これほど雄弁に語っていたJusticeでしたが、RadomskiやMcNameeらの証言が明るみとなった以降、MLBコミッショナー事務所との面会や聴取に応じることは一切ありませんでした。


・Adam Piatt(アダム・ピアット)
アスレチックスの元トッププロスペクトであり、2000年にMLBデビューを果たした外野手。当初は才能に満ちあふれ、筋肉増強剤とは無縁であったものの、2001年にウイルス性髄膜炎を罹患したことによって体重が10kgも低下。結局コンディションが戻らなかったことで失意のシーズンとなったPiattは、2002年に向けてヒト成長ホルモンの使用を決意。元同僚であったF.P. SantangeloからRadomskiを紹介してもらい、2002年~2003年頃にテストステロンやヒト成長ホルモンを摂取していたとのこと。
PiattについてはRadomskiの証言に基づいた聴取を受け入れ、PEDの使用を認めた数少ない選手の1人。その素直さも納得で、筋肉増強剤を使用した自分へのフラストレーションや嫌悪感も一因となり、2004年に現役引退をしています。


・Miguel Tejada(ミゲル・テハダ)
2002年にア・リーグMVPを受賞し、通算300HR 2400安打を放った名選手。
この当時、アスレチックスでTejadaとロッカーを隣り合わせていたのがAdam Piattでありました。2003年、Tejadaから「ステロイドを所持しているか」と訊かれたことをきっかけに、PiattがTejadaが使用するテストステロン、デカ・デュラボリン、ヒト成長ホルモンをRadomskiから調達。
Piattの証言を裏付けるように、Radomskiが「Piattの仲間がPEDを欲しがっていたらしく、Piattを通じて薬物を販売したことがあった」と回想。ただ、Tejadaがその後上記のPEDを使用したかについてはPiattも不明であると証言しています。

ただTejadaに関してはPiattの証言以外にも多くの疑念を残している選手。彼がMLBデビューを果たした1997年、ある人物がアスレチックスに帰還を果たしていました。のちに著書「Juiced(禁断の肉体改造)」にてPEDの使用をおおやけにしていたJose Cansecoであります。同著には「Tejadaにステロイドに関するアドバイスをしたところ、私の話に興味を持ったようだった。この際、我々はあえてスペイン語を用いていたので、記者の前であってもこれらの話をすることができた」と記されています。もちろんTejadaはこれを全面的に否定。
また、2005年12月、当時オリオールズに在籍していたTejadaの獲得をにらんでいたレンジャーズ内では「Tejadaにはステロイド使用に関する懸念がある」として獲得を断念した経緯が電子メールでやりとりされていたことも判明しています。


・Paul Lo Duca(ポール・ロデューカ)
ドジャースなどで計4度のオールスターに選出された名捕手。
1999年にメッツからドジャースへ移籍してきたTodd HundleyからRadomskiを紹介されたことをきっかけに、少なくとも6回以上はPEDを購入したとされています。Lo Ducaの場合、自筆と思われるメモがRadomskiの家宅から押収されておりましたが、面談や聴取を拒否。

★Lo Ducaによる自筆メモ
“Sorry! But for some reason they sent the check back to me. I haven’t been able to call you back because my phone is TOAST! I have a new # it is . . . Please leave your # again because I lost all of my phonebook with the other phone. Thanks, Paul.”(原文)

「ごめんなさい!でも、なぜか小切手が送り返されてきたんだ。携帯電話が壊れてしまってかけ直せなかったんです!新しい番号は■■■です。電話帳を全部なくしてしまったので、もう一度番号を教えてください。ポールより。」(筆者意訳)

LA Times|Steroid investigation deeply implicates Los Angeles Dodgersより引用

ちなみにLo Ducaはのちに東京ヤクルトスワローズで活躍するAdam Riggs(アダム・リグス)に対してRadomskiを紹介していたエピソードも。Riggsはその後2004年にNPBへ移籍したわけですが、2005年までRadomskiの元でヒト成長ホルモンを購入していた小切手の記録が残っています。
報告書が発覚した際、Riggsは「薬物検査で陽性になったことはない」とPED使用を否定。ただ、MLBですらヒト成長ホルモンの検出が2012年頃からスタートしたことを考えるとあまりにも反論するには弱いロジックであったように思います。

また、Lo DucaとNPB選手の繋がりはこれだけではありません。1999年当時、Lo Ducaはドジャース傘下3Aに在籍していた若手投手のRicky StoneMatt HergesMike Judd、そして阪神タイガースで屈指のリリーバーとして活躍したJeff Williams(ジェフ・ウィリアムス)とPED使用について活発に議論。同年7月、Stoneの自宅に5人が集まって筋肉増強剤を注射したと報告書に記録されています。(これを証言したのは、その日注射に立ち会っていたドジャースのトレーナーであったTodd Seyler。彼が5名に対し、PED使用のサイクルやスタックを指導したとされています。)

Williamsがその後、阪神在籍時の2004年12月にもRadomskiから薬物を購入した記録が小切手として残っています。Williamsが薬物使用を否定する上で「2004年のアテネオリンピックで薬物検査をパスしている」といったロジックがありますが、アテネ大会でヒト成長ホルモンを検出可能であった尿検査は一部競技に限られていたとされており、野球においてhGHの検査が行われていたかは不明。個人的に、先述のSeylerによる証言を踏まえればWilliamsが潔白であったとは思えません。(阪神ファンであり、現役当時はジェフの大ファンであった自分としてはかなりショッキングですが…)


・Eric Gagné(エリック・ガニエ)
ドジャースにてMLB記録となる84試合連続セーブ成功を果たし、2003年にはクローザーとしてサイ・ヤング賞を受賞した投手。
Radomski曰く、「いつかは分からないが、あるときLo Ducaから電話があり、Gagneがヒト成長ホルモンを購入したいらしいと言った。そこに一緒にいたGagneが電話口に出てきて、注射器から空気を抜く方法を自分に聞いてきた」とのこと。その後、Lo Ducaが代理でヒト成長ホルモンキッドを2つ注文し、Radomskiはそれぞれ1個づつGagneの自宅とドジャー・スタジアムに郵送しました。
その後、Radomskiの自宅で押収されたExpress Mailの受領書の中から「Dodger Stadium, c/o Eric Gagne - L.A. Dodgers Home Club, 1000 Elysian Park Ave., Los Angeles, California 90012」(2004年8月9日付け)との記載がされた伝票が見つかっています。
これらに関連して、2003年10月に行われたドジャース内での会議においては、GagneがPEDを使用していることによるケガの懸念を議論していたともされています。

また、2006年オフにGagne獲得を検討していたレッドソックス内での議論もなかなか面白いです。当時のGMであったTheo Epsteinがチーム内のスカウトに対して「ドジャースはGagneがステロイド使用者と考えていることは知っている。彼のメディカルについてなにか知らないか」と電子メールで投げかけたところ、Mark Delpianoが以下の返信をおこなっています。

[Some digging on Gagne and steroids IS the issue. Has had a checkered medical past throughout career including minor leagues. Lacks the poise and commitment to stay healthy, maintain body and re invent self. What made him a tenacious closer was the max effort plus stuff ... Mentality without the plus weapons and without steroid help probably creates a large risk in bounce back durability and ability to throw average while allowing the change-up to play as it once did ... Personally, durability (or lack of) will follow Gagne ...](原文)

マイナーリーグを含め、Gagneにはキャリアを通じて医療面で波瀾万丈の過去があります。彼には健康を維持し、身体を維持し、自己を改革するための姿勢・コミットメントが欠けています。彼を粘り強いクローザーにしてくれたのは、最大限の努力と+αのものでした。強力な武器がない状況で、今やステロイドの恩恵なしには、耐久力と平均以上を投げる能力、そして変化球がかつてのように機能することに大きなリスクが生じる可能性があります..。個人的には、耐久性の問題がGagneに付きまとうと思います。(筆者意訳)

ESPN|A scout's telling take on Gagneより引用

このように、他球団においてもGagneのPED使用は周知の事実であったことがうかがえます。さらに興味深いことに、こういった懸念を踏まえつつも、翌2007年の夏にはレッドソックスがGagneをトレードにて獲得しているのです。
同じく2007年にレッドソックスでプレーしたBrendan Donnellyについても同様で、エンゼルスから獲得する直前には「He was a juice guy.」などと明確にステロイド使用者と断定したチームスタッフもいた上で、トレードにこぎ着けていました。(Donnellyも、Radomskiの顧客であったことがのちに証言されています。)


以上が、Radomskiが中心核となって行われた筋肉増強剤の取引の一部となります。報告書原文にはこのほか、選手各人がインターネットやクリニックを通じてPEDを手に入れた事例も記載されています。

結果として89名もの野球選手が実名で公開されることとなり、その後のMLB、選手キャリアに大きな影響を与えたことは言うまでもありません。(「Radomskiという一人の男の証言で作られたレポートに過ぎない!」とMitchell Reportを馬鹿にする輩もいます。ただ、実名で挙がった選手のほとんどに関しては領収書やFedExの控えが押収されており、そもそも司法取引によって引き出された証言であることを踏まえれば信憑性があるといえるでしょう)

調査を主導したのはかつて米国上院議会議員を務めたGeorge J. Mitchellであり、合衆国司法のエキスパートといえる存在。『Bud Selig(元MILオーナー)がMitchell(BOS役員)に依頼した報告書だったために、ブリュワーズ&レッドソックスの選手が意図的に報告書から削除された』みたいな陰謀論もありますが、上述したGagneなんて報告書が発表される数日前にレッドソックスからブリュワーズに移籍した選手ですし、普通にこじつけなのかなと。

次項では、Radomskiとは全く別の筋肉増強剤供給のルートであったBALCO社によるスキャンダルをまとめていきます。時系列的にいえばミッチェル・レポートの公開が2007年であり、バルコ・スキャンダルより後の出来事であることに留意してください。

第4章 バルコ・スキャンダルとは

日本でいえば国税庁にあたる内国歳入庁(IRS)に所属していたJeff Novitzky(ジェフ・ノヴィツキー(現在はUFCエグゼクティブ)は、個人・企業の収入や所有している自動車・家財などをヒントに、脱税や隠蔽を摘発するIRSきってのエリートでありました。
2002年8月にインターネット上で、ある男が「アスリートの能力を補助することのできるサプリメント」を宣伝していたのをNovitzkyが目にしたことで、スポーツ界を揺るがすパンドラの箱が開かれることとなります。

その怪しげな男の名前はVictor Conte(ビクター・コンテ)であり、表向きは血液検査機関と栄養サプリメント製造会社を名乗ったBALCO(Bay Area Laboratory Co-operative)社を経営していました。NovitzkyはすぐさまBALCO社の財務状況を調べ上げますが、単なる栄養サプリメント会社にしては不釣り合いなほどに多い収益に疑念を抱きます。
ここからNovitzkyは、清掃業者がBALCOのオフィスに立ち入る毎週月曜日の夜に張り込みを行い、業者が屋外のゴミ箱に捨てた廃棄物をすぐさま回収、郵便物やメモを隈無く調べ上げたのです。その中で発見されたのは日付サイクルごとに「Clear」「The Cream」と書かれたカレンダー、そして注射器の数々。一体このオフィスで何が起きていたのでしょうか。

まずはBALCO社を立ち上げたVictor Conteという男に触れておきます。学生時代、いとこに誘われたことで音楽の道へ進むこととなったConteは大学を中退し、”Pure Food and Drug Act”というバンドでベーシストを務めるなど、スポーツや医学とは無縁の人生を送っていました。
しかしバンドをやめてから4年後となる1983年、カルフォルニアにBALCO社を設立。あまりにも唐突な流れではあるものの、Conte曰く「図書館にある医術論文などを読み漁り、アスリートの体内に不足している亜鉛やビタミン等を摂取することで、よりよいパフォーマンスを生み出せることに気がついた」と後にドキュメンタリーで語っています。
その後、亜鉛やマグネシウム、ビタミンB6を含むサプリメント「ZMA」を販売し、一部アスリートにも提供を行うなど、業績を軌道に乗せていきます。

しかしConteにはもう一つの顔がありました。アスリートに対する身体強化薬の提供ビジネスです。1990年代後半から、ヒト成長ホルモンのような筋肉増強剤に加え、エリスロポエチン(EPO)といった血液ドーピングを選手へ投与し、着実に顧客を増やし続けていました。
その中でも代表的なアスリートといえば、2002年IAAFグランプリファイナルにおいて当時の男子100m世界記録を塗り替える「9.78秒」を記録したTim Montgomery、2000年シドニー夏季オリンピックにて女子100m、女子200m、女子4×400mリレーにおいて金メダルをトリプル受賞したMarion Jonesらでしょうか。

この2名を、Victor Conte、JonesのコーチであるTrevor Graham、ボディビルダーにして化学者のPatrick Arnold、そしてかつてBen Johnsonを指導したCharlie Francisという、別の意味で”万全の体制”でバックアップ。

★補足
ちなみに、Mark McGwireの愛用薬物として紹介した「アンドロステンジオン(Androstenedione)」の効能にいち早く注目し、北米全体へ流通させたのもPatrick Arnold。

そして2000年、Victor ConteとPatrick Arnoldが共謀し、新たなデザイナーステロイドの研究を開始。要には、有機化学の知識を用いて既存薬物の分子構造を組み替えることによって、これまで以上に強い効能を持つ成分を作り出すこと、そして当時の尿検査で検出することができないような成分を作り出すといった狙いがありました。

この思惑通り、同年にArnoldがテトラヒドロゲストリノン(Tetrahydrogestrinone、略称THG)の開発に成功。既存の薬物検査において検出不能であることや、強力なタンパク同化作用を有していた他、それまでのアナボリックステロイドのように筋肉注射を必要とせず、舌下へ2滴垂らすだけで摂取可能という代物でありました。これをConteらは通称「Clear(クリア)」と名付けます。
Clearは週2回(月曜日・水曜日)の投与を3週間繰り返したのち、1週間投与なしというサイクルを設定。
加えて、Clearを使用することによって、体内で生成される内因性のテストステロンが減少することを相殺するため、50mgのテストステロンと2.5mgのエピテストステロンを含んだ通称「The Cream」も同サイクルで週2回(火曜日・木曜日)、前腕に塗布。当時のドーピング検査においては、注射などによるテストステロン摂取を摘発するために、体内のテストステロン(Testosterone)代謝生成物であるエピテストステロン(Epitestosterone)との比率、すなわちT/E比を検体から割り出し、ドーピングによってテストステロンの比率が基準より高い値となった選手を摘発していました。一方で、Conteの顧客らはエピテストステロンを含んだTheCreamを塗布したことによって、このT/E比を変化させることなくテストステロンを摂取できたわけですね。

このほか、血液ドーピング剤であるEPOやヒト成長ホルモンを摂取し、短期間で想像を絶するほどの身体強化を実現。
実際にTim Montgomeryには"Project World Record(世界記録プロジェクト)"として上記の摂取サイクルを推し進め、2002年にはあのBen Johnsonのアスタリスクレコードを上回る世界記録を樹立するまでに至ります。

しかし意外なところから、この完璧なPEDプログラムが瓦解することとなります。世界記録プロジェクトの主役兼「ZMA」の広告塔であったTim Montgomeryが、NIKEの巨額スポンサー収入に目が眩んだことでBALCOと決別。(これは2001年の出来事であり、MontgomeryはConteと決別した後も手元に残っていたClearを使用し、世界記録を樹立しました。)
ここでBALCOがネクストヒーローとしてチームに加えたのがイギリス人選手のDwain Chambers(ドウェイン・チェンバース)でありました。Montgomeryと同様のトレーニングを受けたChambersの躍進は凄まじく、2002年の欧州選手権やチューリッヒ国際大会で金メダルを連発することとなります。

ただ、これを快く思わなかった人物がいました。かつてはMarion Jonesのコーチを務め、BALCOにも協力を惜しまなかったTrevor Grahamです。GrahamはMontgomeryと共にBALCOを去ったのち、自分の教え子達が毎度Chambersに破れ続けたことでBALCOやChambersに嫉妬を抱いていたのではとされています。そして2003年の夏、Clearの入った注射器を匿名でUSADA(全米反ドーピング機構)に送りつけたのでした。
検体を分析したUCLAオリンピック研究所のDon Catlin所長は、送りつけられてきたテトラヒドロゲストリノン(THG)がデザイナーステロイドであることに気づき、それまで無敵のPEDであったClearの検出方法を確立。試しに研究所にて保管していた既存の尿サンプルを調査したところ、550個のうち20個の検体がTHGの陽性反応を示したのです。

これが決定打となり、かねてからBALCOを調査していたIRS(内国歳入庁)のNovitzky率いる捜査チームらが2003年9月3日、カルフォルニア州にあるBALCOのオフィスへ強制捜索を行う事態に。同年10月23日には大陪審による審議が始まり、違法なドーピング剤の配付、マネーロンダリングへの共謀などに関わったとしてConteやアスリートらが出廷することとなります。

この一連の出来事を「バルコ・スキャンダル」と呼ぶのですが、最終的に陸上競技選手15名、NFL選手7名、そして7名のMLB選手、それも球界を代表するようなスーパースターBarry Bonds、Jason Giambi、Gary Sheffieldら )がBALCOからClearの提供を受けていたことが発覚。もちろん今日に至るまでスポーツ界に禍根を残すことになっています。
次章では、BondsらMLB選手が如何にしてBALCOと結びつくようになったのかをまとめていきます。

第5章 バリー・ボンズとGame of shadows

・Barry Bonds(バリー・ボンズ)
MLBにおける身体強化薬”と”Barry Bonds”という名詞はセットで登場することが非常に多いです。歴代最多となる762本塁打、単一シーズン最多73HR、史上唯一の500本塁打500盗塁達成者、という肩書きの数々で言えばGOAT(史上最高選手)にふさわしいと思うはず。しかしこれからご紹介するPED使用に関する嫌疑が、Bondsの歴史的立ち位置を非常に難しいものにしています。彼の影に住み着いていた、あるトレーナーの存在と共に追っていきます。

Barry Bondsといえば先述した規格外の成績で知られる一方、同じくMLBで活躍した父を持つ2世選手としても有名です。カルフォルニア州リバーサイド出身の父Bobby Bondsは、地元ジャイアンツのスターとして歴代で8名しかいない「300本塁打300盗塁」を達成した名選手。(ちなみに300本塁打-400盗塁ともなればBobbyとBarryしか達成した選手がいません。どんな血統や。)

そのBobbyは高校卒業前に結婚し、1964年には息子Barryが誕生。
もちろんBarryは早くに野球を始めるわけですが、そこで出会ったのがGreg Anderson(グレッグ・アンダーソン)という少年でした。才能に富んだ2人はすぐに親友となったものの、Bobbyの移籍やそれぞれの進学にともなって疎遠に。

アリゾナ州立大学へ進学し、ドラフト全体6位でMLB入りを果たすBarryとは異なり、Andersonは大学卒業後にベイエリアで「Get Big Productions」というパーソナルトレーニング事業を開業。最終的に、パイレーツから地元ジャイアンツへFA移籍を果たしたBondsの個人トレーナーとして1998年の冬から苦楽をともにしていくわけです。

もっとも、Andersonはジャイアンツの正式なトレーナーという位置づけではなく、あくまでBondsが個人的に雇っていたという非公認な立ち位置でありました。
当時ジャイアンツでアスレチック・トレーナーのヘッドに昇格したばかりのStan Conte(BALCOのVictor Conteとは無関係です)は、Andersonのような部外者が球団ウェイトルームに出入りしていることを当然ながら怪訝に感じていました。また当時34歳となり、エイジングカーブを下っていくはずのBondsに、Conteが想定している以上のウェイト負荷をかけるAndersonのトレーニング方法にも危機感を持ち始めます。
このことを当時GMであったBrian Sabeanに報告したものの、「それが問題と思うなら、Conte自身が彼らへ忠告すればいい」と取り付く島なし。ただConteの凶兆は的中し、翌1999年4月半ばには過度なトレーニングによって上腕三頭筋断裂の大けがを負うこととなりました。

ただ、Bondsのキャリアがこの怪我によって台無しになったかといわれれば明らかに「NO」であり、翌2000年には35歳にしてキャリアハイとなる49HRを放ってMVP投票2位につけると、2001年には3年前にMark McGwireの記録したシーズン70HRを上回る73HRという大記録を樹立。2002-2004年は勝負を避けられつつも、平均でOPS1.361を記録するなど鬼神の活躍で4年連続でのMVP受賞を果たしたわけです。

そんなBondsは遅くとも2001年頃にAndersonを通じてBALCO社から様々なバックアップを受け始めたとされており、Bondsは対価を支払わない代わりに、BALCOが表向きに販売していた栄養補助サプリメント「ZMA」の広告塔を引き受けた話は有名。当然ながらMcGwireをも凌ぐパワーヒッターの愛用サプリメントが売れないはずもなく、BALCO社の名声が轟いていくこととなります。
ただお察しのとおり、先述のMarion JonesやTim Montgomeryらを筆頭に、裏では「Clear」や「The Cream」を選手らへ提供していたわけで、2003年にBALCO社の家宅捜索が行われた2日後には、頻繁にBALCOへ出入りしていたGreg Andersonにも家宅捜索が行われます。その際にClearなどとともに押収されたのが「選手のイニシャルが書かれたカレンダー(Bondsと思われるもの含む)」であり、Andersonがドーピングのサイクルを管理していた疑惑が浮上。取り調べ初期に「Bonds以外にもJason GiambiやGary Sheffieldのトレーナーとして仕事をした」と証言したことで更なる飛び火を生んだわけですが、その後は一貫して黙秘権を行使。これによってステロイドの流通共謀やマネーロンダリングの罪以外にも法廷侮辱罪で起訴されることとなりました。

そして当然ながら、疑惑の渦中であったBondsも2003年12月に行われた大陪審に召喚。「2003年シーズン中に、Andersonから”透明な液体”と”クリーム”を受け取って使用したが、それは”栄養補助のための亜麻仁油"と”関節炎用クリーム”であると説明を受けていた」SFGATEより引用、要約)との証言を行います。
ただし、100歩譲ってBondsがこれらの物質を故意に使用していなかったからといって、彼がクリーンであったとは到底言えません。残念ながらこの大陪審への出廷以降、さまざまな薬物使用に係る証言が明るみとなっていくのです。

2005年3月20日、Bondsの元恋人であったKimberly Bellが証言台にて「1999年に上腕三頭筋を断裂した際、Bondsが”ステロイド使用によって負傷した”と話していた」「(ステロイド使用の副作用で)睾丸の大きさが急に変わった」と暴露。
また2006年3月8日にはStan Antoshという化学者がESPNの取材に応じ「1997年1月に、Bondsへアンドロステンジオンを販売した」とコメント。

同年3月15日にはJeff Pearlmanの新著にて、かの有名なKen Griffey Jr.との夕食会の一幕もリークされています。

★1998年オフ、BondsがGriffey Jr.に語ったとされる内容
”I had a helluva season last year, and nobody gave a crap. Nobody. As much as I've complained about McGwire and Canseco and all of the bull with steroids, I'm tired of fighting it. I turn 35 this year. I've got three or four good seasons left, and I wanna get paid. I'm just gonna start using some hard-core stuff, and hopefully it won't hurt my body. Then I'll get out of the game and be done with it.”(原文)

Bonds「去年はひどいシーズンだった。(史上初の400本塁打400盗塁達成に)誰も興味を持たなかった。誰も。McGwireやCansecoのステロイド問題について文句を言い続けたけど、もうそれに対して戦うのは疲れた。俺は今年で35歳になる。まだ3~4シーズンは活躍できる。そして、俺は報酬を手にしたい。ハードコアな”モノ”を使い始めるつもりだが、体に影響が出ないことを願う。そして野球から身を引き、終わりにしたい。」(筆者意訳)

注釈)この発言については、Griffey Jr.が「そのような会話をした記憶はない」と否定しているため、どこから引っ張ってきた内容なのかは疑問です。

ESPN|Barry Bonds steroids timelineより引用

極めつけは2006年3月23日、地元サンフランシスコ・クロニクル紙のMark Fainaru-Wada記者とLance Williams記者によって「Game of Shadows」が出版。200名以上からのインタビューと、1000枚以上の文書を基に記された本著には、Bondsが1998年にMcGwireらへの嫉妬が原因で薬物使用を開始したことや、ClearやThe Creamにとどまらず、テストステロンやナンドロロン、更には畜産業界で牛の成長促進に使用されるトレンボロンといった多岐にわたる薬物使用の実態があったとの内容が描かれており、前項のKirk Radomskiによる大規模な薬物蔓延とのダブルパンチによって、MLBによる本格的な調査をBud Seligコミッショナーに決断させる一因となります。

当時といえば、Hank Aaronが保持していた通算本塁打記録までわずかに迫る位置にまで到達しておりましたが、Bondsに向けられたのは歓声や拍手ではなく苛烈なブーイングやヤジの数々。当時コミッショナーのBud Seligも例外ではなく、2007年にBondsが記録破りを果たそうかという直前まで、試合への立ち会いを拒否するのではと言われていたほど。
以前どこかでも触れましたが、ミルウォーキー出身のSeligにとってHank Aaronは神様的存在で、ブレーブスがミルウォーキーに本拠地を構えていた時代のスーパースターだったわけです。実際、ブレーブスがアトランタへ移転した以降、Seligは1年で球団解体に追い込まれたシアトル・パイロッツを買収し、ミルウォーキー・ブリュワーズとして移転。41歳で旬の過ぎ去ったAaronを獲得し、たった2年の在籍で永久欠番にするほど崇拝している、といったら分かりやすいでしょうか。
そんな神様の記録を塗り替えようとしているのが、筋肉増強剤に染まりきったトラブルメイカーというのは些か耐えがたいことであったでしょうか。ただ、Seligの対応が後手後手に回ったツケと言われればその通り。


・Jason Giambi(ジェイソン・ジアンビ)
2000年にア・リーグMVPを受賞し、通算440HRを放った世代トップクラスの一塁手。2001年には当時ルーキーにして首位打者を狙うイチローと熾烈な打率争いを演じたことでも知られていますが、残念ながらその舞台裏では筋肉増強剤に手を出し始めていました。
GiambiはMitchell Reportにおける調査の過程においてインタビューにも応じており、自身がPED使用に至った経緯を述べています。

インタビューによれば、2001年シーズン中に”Jim”という男からデカ・デュラボリンを購入し、シーズンの残りの間、毎週約1ccの薬物を自己注射。また、ヤンキース移籍後の2002年も同様にシーズン当初からデカ・デュラボリンを毎週摂取していたといいます。
そして2002年11月に開催された日米野球にて来日すると、同じくMLB側のメンバーであったBarry Bonds及び帯同していたGreg Andersonと懇意となり、帰国後すぐにBALCOを訪れることとなったのです。

BALCOにて血液検査・尿検査を行ったGiambiの体内からは容易に薬物の陽性反応が検出されることとなり、Andersonはデカ・デュラボリンを今後使わないことを提案。当時、薬物検査の導入が間近に迫っていたことを引き合いに、「Giambiが僕のプログラムに従えば、薬物検査に引っかかることはない」と約束したと言います。

そして2002年12月頃から「Anderson program」が開始。Giambiは週に3日・ヒト成長ホルモンを腹部に注射し、週に1日・1ccのテストステロンを摂取。加えてClearとTheCreamを週2日服用するサイクルを2003年のオールスターブレイクまで継続。しかし同時期にベーススライディングによって膝を負傷すると、回復能力への影響を不安視したGiambiによってプログラムを終了。あくまでGiambiの言い分ですが、これ以降一切筋肉増強剤を使用することは無かったとのこと。

ちなみにJasonの弟であるJeremy Giambi(ジェレミー・ジアンビ)も同じくAndersonの提案によって筋肉増強剤を摂取していましたが、1996-97年にロイヤルズ傘下でチームメイトであったEthan SteinがGiambi兄弟に関する興味深い証言を行っています。
彼曰く、1996年ごろにトレーニングを行っていた際、Jeremy自身と兄がステロイドを使用していることを認めていたそうです。これが事実であるならば、Jason Giambiも2001年以前から筋肉増強剤を使用していたこととなりますし、上記インタビューで「2001年ごろから~」と述べているのは「2000年のシーズンMVPはあくまで実力によるものだよ」と色気づいたのでは?と邪推していまします。


・Gary Sheffield(ゲイリー・シェフィールド)
通算509HRの超強打者ながらも計8球団を渡り歩いたジャニーマン。あまりにも個性的な打撃フォームは一度見たら忘れられないほど。
1998年途中からロサンゼルス・ドジャースに在籍していたSheffieldでしたが、2001年冬にBondsからVictor Conte及びGreg Andersonの紹介を受け、BALCOで合同トレーニングを行ったとされています。

この際、SheffieldはBondsより「ここには尿と血液を採取して、自分の身体に必要なビタミン剤を処方できるスタッフがいる」との説明を受けたと主張しており、PED使用が目的ではなかったとしています。「右足の怪我を治すことができると説明されたため、トレーニング中にTheCreamを使用したが、それがステロイドとは知らなかった」とメディアなどに明かしています。

少し脱線しますが、このトレーニングに関する費用について当初Bondsが全面的に支払うことをSheffieldに約束していたそうですが、トレーニングが終わる頃に取り交わしが反故にされたそうな。そして翌2002年1月にSheffieldがブレーブスへトレード移籍するタイミングも相まって、SheffieldはBondsと絶縁。以降BondsやBALCOとの関わりは断たれることになりますが、先述の暴露本「Game of Shadows」によればSheffield自身はAndersonとの関係を継続したいと望んでいたものの、Bondsが「Sheffieldとトレーニングをしないなら10万ドル支払う」として縁を切らせた旨の記述があります。Bondsに並ぶほどの性格難であったSheffieldらしい一幕ですよね。
皮肉にも、上記の一件によってSheffieldは自分でBALCOへの支払を行い、その際の領収書が証拠資料として押収されることとなったわけです。
ちなみにSheffieldは2008年に出版した自伝「Inside Power」においてもステロイドへの認否について堂々と否定しており、
「I had no interest in steroids. I didn’t need them, and I didn’t want them.(ステロイドには興味が無かった。俺には必要なかったし、欲しくも無かった)」
「never touched a strength-building steroid in [his] life – and never will.(俺は人生でステロイドに手を出したことは一度もないし、これからも手を出すことはない)」と述べています。

ただ、同著にて「1994年-95年ストライキ以降、MLBにおいて急激にホームランが増えたのはステロイド使用が蔓延したからだとコミッショナー事務所に調査を依頼したが、無視された」といった旨の記載がありますが、Bud Seligはそのような要請はなかったと相反する主張をしています。


繰り返しになりますが、以上の3名はリーグトップクラスの実績を引っさげたものの、後年までスキャンダルの影響が尾を引き、殿堂入り投票では全員が落選となりました。

第6章 マグワイア、懺悔の公聴会

突如として明るみとなったBALCOとスター選手によるステロイド使用や、同時期に出版されたJose Cansecoの著書「Juiced」によって大混乱に陥ったMLB。そんな国民的スポーツの惨状を憂いたGeorge W. Bush大統領が、2004年の一般教書演説にて「ステロイドの取り締まり」に触れる事態にまで発展していきます。(ちなみにBush大統領はレンジャーズの元オーナー)

そして2005年3月17日、野球界におけるステロイド政策の実情調査を開始した下院政府改革委員会による公聴会が開かれると、Jose Canseco、Mark McGwire、Sammy Sosa、Rafael Palmeiro、Curt Schillingの5名が召喚されることとなりました。
Cansecoは「Juiced」の著者として、McGwireとPalmeiroは同著にてステロイド使用者として名前が挙がっていたため、Sosaは当時MLBトップのスラッガーであったために出席を要請されていました。ちなみにSchillingはアンチステロイダーの代弁者側として出席。

全米生中継されるなど注目が集まった公聴会でしたが、まずは悪の総本山・Jose Cansecoが現役時代における自身によるステロイドの使用を改めて認める宣誓供述書から火蓋が落されました。お察しのとおり、厚顔無恥な彼には何のためらいもありません。

そして次に証言を求められたのは1998年にRoger Marisの本塁打記録を大きく塗り替える70HRを放ったMark McGwire。第1章にて記述したとおり、この時すでにMcGwireにはアンドロステンジオンを使用していた過去が知れ渡っていたため、議員から集中砲火を食らうはめになります。
まず、自身の薬物使用について問われると
「If a player answers, 'No,' he simply will not be believed," said McGwire. "If he answers, 'Yes,' he risks public scorn and endless government investigations.(もし選手が "NO "と答えたら、まず信じてもらえないでしょう。もし "YES "と答えれば、世間から軽蔑され、政府による調査が延々と続くことになるでしょう。)
として、直接的な回答を繰り返し拒否。
また、他の選手の薬物使用について証言できるか?との問いには
「I'm not here to talk about the past.(私は過去の話をするためにここに来た訳ではない)」と同様に拒否。
そして、ステロイド使用が不正行為に当たると思うか?という質問には「That's not for me to determine.(それは私が決めることではない)」と逃げの回答。

最後には目に涙を浮かべながら、ステロイドの危険性を認識していること、そして若いアスリートがステロイドに手を染めないよう協力していく姿勢を述べました。

同じく疑惑の目を向けられていたPalmeiro、そしてMcGwireとホームランダービーを繰り広げたSosaは証言台でステロイドの使用を否定。ただ、Palmeiroは同2005年8月に行われた薬物検査において陽性反応が検出され、全米から大バッシングを浴びて解雇。その一ヶ月前には史上4人目となる通算500本塁打&3000本安打を記録したばかりであっただけに、壮絶な大転落を経験することとなりました。

Sosaについても、2003年に行われた匿名の薬物検査結果が2009年に流出すると、Sosaの尿検体から陽性反応が検出されていたことが発覚。以降Sosaは、自身の薬物使用について否定を続けていた印象でしたが、2020年6月に公開された「Long Gone Summer」というドキュメンタリーを見た限り、薬物使用を認めるようなニュアンスでインタビューに応じていましたね。

また、議員からの苛烈な追求を受けたのは選手だけではありません。2004年になって、ようやく軽度な罰則付きの薬物検査を導入し、「プロスポーツ界で最高の検査体制」と不可解な戯言を並べていたMLBコミッショナーBud Seligも証言台に上ります。ここで今後の薬物検査厳罰化を謳うSeligに対し、民主党のHenry Waxman議員から「この諸問題に対して、30年間行動してこなかった過去があるのに、なぜコミッショナーとMLBが行動を起こすと信じられるのでしょうか?」と手痛い一言。

そして共和党のJim Bunning議員は「really puny.(本当に取るにたらないもの)」として、Seligの提案した罰則を一蹴。Jim Bunningといえば通算224勝を挙げる傍ら、1965年には弱小であったMLB選手会にMarvin Millerを招聘した中心人物。ちなみにBunningは精力的に選手委員として貢献したことで、オーナー陣営から朝敵扱いされた末、フィリーズのエースであったにも関わらず見せしめとしてパイレーツにトレードされたほど。実に40年越しとなるMLB権力への熱い反撃だったわけです。

小ネタになりますが、この公聴会にて大立ち回りを見せたのが、なぜか出席していたCurt Schilling(カート・シリング)です。同じ選手側として出席していたJose Cansecoに対して「嘘つき野郎」「(Juiced出版について)他人を犠牲にして金儲けをしようとしている」と大々的な批判を展開。無所属のBernie Sanders議員に「Schillingさんはまるで政治家みたいですね」との評価を受けたほど。その後のSchillingさんは相次ぐ失言によって輝かしいキャリアを台無しにしているので、ある意味ではおっしゃるとおり政治家みたいな末路でしたね。

こうして、4時間超にも渡る公聴会は幕を閉じ、かつてのスーパースター・McGwireに向けられる世間の目は、180度変わることとなったのです。

時系列がやや前後したものの、ここまでが1990年代~2000年代にかけて引き起こった筋肉増強剤にまつわるスキャンダルの一端になります。最後は私見を交えた上での考察です。


歴史は「ステロイド時代」をどう評価していくのか

この悪しき「ステロイド時代(The Steroids Era)」において名前の挙がったビッグネーム、特にBarry BondsとRoger Clemensは殿堂入り投票においても多くの議論を呼んだものの、2022年1月の投票を以て落選。投打ともにディケイドを代表した選手が揃ってクーパーズタウン行きの切符を手にできなかったわけですね。

一方で殿堂入り落選後の今もなお、「Bondsらは殿堂入りすべきだ」「罰則付きの検査導入について遅きに失したMLB側に問題があった」といった意見は絶えず散見されます。これらについての持論を整理していきます。

①そもそも筋肉増強剤の所持・使用は1988年時点で違法であった
罰則付き検査の導入が2004年という時期であったことを考えると、「それ以前の薬物使用については情状酌量の余地がある」といった見方もできます。さっさと”MLB側が罰則付き検査を実施していればここまでの蔓延を防げたのでは?”という点は同意。
ただ一方で、MLBの罰則云々以前の問題であったともとれます。そもそも1988年の規制物質法(CSA)のアナボリック・ステロイド改定によって、【アナボリック・ステロイドの配布は,(1)医師の命令に従って行われ,(2)病気の治療の目的である場合を除き,違法とする】とされていたわけです。連邦法によって禁止されている物質が、ひとたびMLBにおいて合法となるはずはなく、連邦法違反というトリガーを引いたのはあくまでも選手自身の判断。MLBへの責任転嫁はあってはならないように思えます。

②選手会の同意なしには罰則付きの検査導入は不可能であった
薬物検査の導入そのものに関しても、ハードルは相当に高かったと思われます。1985年の「”Pittsburgh drug trials”(ピッツバーグ薬物裁判)」において、Peter Uebberrothコミッショナーが提案した麻薬検査の導入は選手会の反対によって頓挫。なんなら1994年の労使交渉においてもBud Selig暫定コミッショナーが罰則付きの検査導入をCBAに盛り込もうとしていましたが、こちらについても選手会の反発を招いています。
その後、長きにわたる1994-95年ストライキによって急速なファン離れが引き起こされたわけで、そんな最中に再び選手会のストを招きかねない薬物検査の導入が果たして可能だったのでしょうか
すでに第一線から退いていたMarvin MillerやDick MossといったMLB選手会の重鎮ですら、2004年に薬物検査が導入されてもなお「リーグがマスコミの影響力を操作して検査導入を強行した」と怒り心頭。Millerに至っては亡くなるまで「検査が導入されたのは間違いであった」の旨を述べていたほどです。
上記ほどの大スキャンダルで風当たりが強まり、それでもなお飛び交った反対意見を押しのけ、ようやく実施にこぎ着けたことを考えると、「これより早期に罰則付きの検査が導入できたのでは?」と思うことは到底不可です。

③同じ状況下でも薬物を使用しなかった選手がいる
「あの時代は誰もが使わなくてはいけなかった」「生存競争のためであった」との意見もあります。実際に先出のPaul Lo Duca(元ドジャースなど)も2002年のKen Caminitiによる薬物使用暴露に際して以下のコメントを残しています。

“You've got to do what you've got to do. If you're battling for a job, and the guy you're battling with is using steroids, then maybe you say, ’Hey, to compete I need steroids because he's using them.'(原文)

Lo Duca「やるべきことはやらねばならないです。もし、あなたが職を賭けて戦っていて、競い合っている相手がステロイドを使っているなら、おそらく『彼が使っているから私も使わないと競争に勝てない』と思うかもしれません。」(筆者意訳)

FOX|Steroids, Ken Caminiti and the inside story of the SI article that changed baseball foreverより引用

ただ、これはあくまで競争に勝つために薬物を使用した選手のロジックです。Ken Griffeyやイチローに代表されるようなクリーンな選手が同時期に活躍し、同じくスターダムに上り詰めたことを踏まえれば、やはり自己正当のための言い訳に聞こえます。

①、②、③を勘案した上で、私は当時のステロイド使用選手に「被害者的側面があったか?」と問われるとどうしても同意できません。

確かに、McGwireとSosaのホームランダービーにおいて、MLBがステロイドを黙認し、甘い汁をすすっていたことは紛れもない事実です。そもそも1994-95年ストライキが起こるきっかけとなったのは傲慢なオーナーによるサラリーキャップ制度を目論んだことであるのも事実です。それまでおよび腰であったBud Seligが、世間の批判に晒されるや否や、突如として薬物使用に強硬姿勢を見せたのも事実です。

これらを踏まえ、『コミッショナーも、オーナーも、選手も舵取りを誤った上で引き起こされたのがステロイド時代である』との認識を持ち始めています。少なくとも、ステロイドや身体強化薬を使用した選手について、時代背景によって区別し、評価を変えるべきとは私は思えないのです

これも持論ですが、おそらくもう10年、20年経てば更にMLB史におけるステロイダーの評価は変遷していくと思います。上記のZac Gallenのように、若い世代からの発信も増えていくかもしれません。
例えば、当時プレーしていたごく一部の選手が「あの時代はみんな使ってた」だの、「薬物が無くても技術があったから~」とノスタルジーに浸れば、若い野球ファンがそれに影響されて同じことを言い始める可能性だってあります。
もしかすると「再評価」「クーパーズタウンとの和解」「実は選手は悪くなかった」などといった潮流がくるやもしれません。そんな時にもう一度、このnoteを読み返してみたいと思います。

最後に

構想1年7ヶ月、執筆9ヶ月の末、なんとか形にすることができました。近年は特に、大谷翔平の驚異的なホームラン量産やAaron Judgeの62HR達成などによってステロイド時代に焦点が当たることが多いように思います。MLBを追っかける上でも、「ステロイダーをどう評価するか」みたいな話題はよく目にします。だからこそ、当時何が起きていたのかを体系的にまとめたいな~!という気持ちだけはずっと持っていました。
少なくとも、4-5年前ごろまでは「ステロイド時代は悪ではない!」との認識を持っていましたが、選手会発足によるエンパワーメントの増大、ミッチェルレポートによる膨大な調査結果、Victor Conteのドキュメンタリー、当時の記事等々…とんでもない数の資料に触れる中で上述の結論に至りました。また数年経つと全然違うこと言ってる可能性もありますわな。

冗長になりましたが、今後まとめたいな~と思っているのは1998年のMcGwire&Sosaに関してですかね。善悪抜きに、いかに彼らのホームラン王争いが全米を熱狂の渦に巻き込んだのかをそのうちまとめたいと思っています。
あとは今回のnoteにあまり入れ込めなかったKen Caminitiの大告発とかですね。

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「ステロイド時代」に波及していく労使紛争の数々は以下のnoteでもまとめてあります。是非。
1965-1977年頃の労使紛争note
(選手会発足、カート・フラッド事件、保留条項の打破)
1985-1988年頃の労使紛争note
(共同謀議)
1989-1997年頃の労使紛争note
(1994-95年ストライキ)

【大部分の記述の引用元となった資料】
Mitchell Report(PDF)

https://files.mlb.com/mitchrpt.pdf

【以下、参考資料】
ESPN|Pettitte says he used HGH supplied by father in 2004
ESPN|Part III 1998-2001 Busting Out
Wikipedia|Tetrahydrogestrinone
FOX Sports|Steroids, Ken Caminiti and the inside story of the SI article that changed baseball forever
LA Times|Steroid investigation deeply implicates Los Angeles Dodgers
日刊スポーツ|阪神ウィリアムス「薬物使ってない」
ESPN|A scout's telling take on Gagne
TheCinemaholic|Jeff Novitzky: Where is the Ex-FDA and IRS Agent Now?
SEA Times|Lead BALCO investigator on witness stand
abc7News|Novitzky outlines genesis of BALCO trial
abcNews|Victor Conte on Marion Jones' 'Poor Choices'
公益財団法人 日本薬学会|アンチ・ドーピングにおける薬学の役割
X3M4UM|Conte reveals Balco Sprinters Cycle!
ESPN|Barry Bonds steroids timeline
ESPN|Reporters who refused to reveal BALCO leak get prison
ESPN|Anderson remains the quiet man
LA Times|Bonds’ Relationship With Anderson Is Deep-Rooted
NBC|Kimberly Bell Spares No Graphic Detail
SF GATE|Sheffield tells of steroid use, rift with Bonds
NEW YORK POST|NEW BOOK SAYS – SHEFFIELD: I DIDN’T USE GROWTH HORMONE
Minnesota.publicradio|McGwire says he won't name names; Sosa, Palmeiro deny using steroids

【注意】当記事に関して、参考文献・引用を用いた箇所が多くあることから、スクリーンショット等を用いた不適切な転載についてはご遠慮ください。

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