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【独り言】夜の高速道路に人生を思う

私は、夜の高速道路が好きだ。
子どもの頃は、後部座席から真っ暗闇をすごいスピードで通り過ぎていく照明の光を見上げ、まだ見ぬ近未来を感じていた。車の尾灯の赤いランプと遠くまで整然と並ぶ照明の光。独特な夜の光は、大人になって自分で車を運転するようになった今も、私を惹きつける。


夜の高速道路の思い出

子供の頃、家族で出かけた帰り道。帰宅ラッシュの時間帯の高速道路は混んでいて、後部座席の私たち子どもは大抵は遊び疲れて眠っているか、眠ったふりをしていた。助手席の母が「あと、どれくらいで着く?」と、運転席の父に尋ねる。父は、少し疲れた様子で「あと30分くらいかな」と答える。

ふと後ろを振り返った母が、「まだ寝てる。高速を降りたら起こさなきゃ。」と言うのを聞いて、楽しかった一日がもう終わってしまうのだと泣き出したい気持ちになった。

高速道路の車は、人生で直面する困難に似ている

私の愛車は、免許をとって初めて購入した長年の相棒だ。90年代モデルのクラシックカーで加速が得意ではない。だから、走行車線を他の車の邪魔にならない程度に自分のペースで走るのである。

だが時として、そんな私のペースでさえ詰まってしまうような、重たい荷物を山ほど積んだに違いない働き者のトラックや、超マイペースな乗用車に出くわす。生意気にも「この車、もうちょっと早く走ってくれないかなあ。」そう思って、後続の車がないことを確認して私は追越車線へ飛び出す。

ふう、なんとか追い越せた。これでまた自分のペースで走れる。だが、鼻歌を歌いながら走っているとまた似たような軍団に出くわすのだ。「またか」、そう思いながら追い越す。その繰り返し。

ふと、高速道路は人生に似ていると思った。
行手に現れる、私を“詰まらせる”車は人生における困難や課題だ。冷静に状況を見極め、いざハンドルを切って行動を起こす。何とか抜き去って解決するが、しばらくするとまた新たな困難に遭遇する。人生もこの繰り返しなんだろう。

一難去ってまた一難。まさにそんな感じだ。

私が生きている限り、大小はあれど困難は続く。
だが、どんなに大きな困難もずっと続きはしないのだ。同時にどんな幸せも永続はしない。疲れ果てた出張の帰り道、夜の高速道路でおもむろに思い至り、私も大人になったもんだとどこか感慨深い気持ちになった。

人生は、Uターンできない一方通行の道

高速道路が好きな理由は他にもある。それは、走りやすさだ。
スピードの違いはあれど、どの車も一方向に走り右左折もない。誰も交通ルールを破らず何もアクシデントが起こらなければ、事故は起こらないであろう仕組み。今更だが、この仕組みを考えた人はなんて頭がいいんだろう。走るたびにそう思う。

目的地を指す標識に従い次々に分岐していく車たち。ずっと自分の前を走っていた車が、ふと分岐でわかれて行った時、どこか寂しく思うのは私だけだろうか。

一台一台の車を人に例えるなら、燃料はきっとその人が持つ寿命。行き先は、さながら人生の目的。途中で燃料が尽きるか、不幸にも事故に遭うことで人生は終わる。どれくらいのスピードで走るかは自分次第。でも、蓄えている燃料はある程度決まっているから、早く遠くまで行くか、時間をかけて遠くまで行くかの違いであって走行距離はあまり変わらないのかもしれない。

自分の人生に例えるなら、これまで自分が出会ってきた家族、友人、恋人、同僚。たまたま喫茶店で席が隣になった人なんかも、走行車線と追い越し車線を並走しているか、きっとどこかですれ違っているんだろう。

縁(えん)。

私が好きな言葉の一つだ。
人とひとは、何かの縁で繋がっていて出会う。そう思っている。
だが、時として疎遠になって会わなくなる人がいることも確かだ。学生時代の友人、前の職場の同僚、別れた恋人。

そうして人生の途中で突如として会わなくなった人たちを思うとき、高速道路で分岐していく車を思い出すのだ。不思議なくらい自然に別れ、その後、遭うことはほぼない。そして、写真の整理をしているとき、懐かしい匂いを嗅いだとき、ふとしたことをきっかけに突如として懐かしい記憶として蘇るのである。

また会える日まで、さようなら

一方通行で走る高速道路では、同じ車と再会することはそう多くはない。だが、サービスエリアでリフレッシュした後、さっき追い越したはずの車に出くわすことがある。旅の途中で下道を走っていて、さっきまで走っていた高速のサービスエリアで見かけた家族と再会することもある。

であるならば、私がこれまでの人生で出会い、今や一切コンタクトを取らなくなった人も、何かのきっかけで再び会う日が来るかもしれない。

人の人生は、全て縁でつながっている。

もしかしたら、喧嘩別れした友達も、全てが許せないと思っていた恋人にも「あの時はなんであんなに悩んでいたんだろう。」と、過去のことはお互い忘れて「久しぶり」なんて言いながら、何もなかったかのように再び会える日が来るかもしれない。

縁があれば、また会える。
だから、それまで自分の人生をきちんと生きていこう。そう思った。

楽しい1日が終わってほしくなくて、ぎゅっと目をつむり寝たふりをすることしかできなかった幼かった頃とは違い、今の私は自分の意思で、行動で自らの人生を決めることができる。

目的地は特に決まっていないが、命の続く限り、自分の前に広がるまっすぐな道を地道に、時には休憩しながら走っていこう。そう思っている。

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