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【自己紹介】人生のミニマリストを目指すアラフォー独女が、noteを始めるわけ

はじめまして。
しがない会社員をしているアラフォー独女です。

関西に生まれ育ち、大人になってもなんの疑問もなく関西で働き生きる。
なんの変哲もない我が人生。

だけど、この住み心地の良い人生を案外気に入っている。
今日は、なぜnoteを始めようと思ったのか、人生のミニマリストって何なん?というところを書いてみようと思う。


きっかけは2度目の婚約破棄

今から2年前、かれこれ5年間お付き合いした人と婚約した。20代で1度目の婚約破棄を経験し、傷心だった私もようやく結婚するのか、そう思うとちょっと淋しくて、でも確かに私は浮かれていた。
しかし、いざ顔合わせや今後のことを話し合う中で、すぐにお付き合いしていた頃には感じたことのない違和感を感じ始めた。

「僕は長男だから、結婚したらもちろん同居。だって、両親が心配だし。しかも君は仕事を続けるんだろ?子供ができたら、僕の両親が助けてくれるよ」「僕の実家に住むことで通勤に困ると言うなら、仕事を辞めればいい」「結婚式の場所は、僕の家の氏神様の神社以外あり得ない」。

住む場所を一緒に決めたい。子供を持つよりもこれまで通りのペースで働いて二人の生活を楽しみたい。もし仮に子どもができたとしたら、私は自分の親も頼りたいと言う私の考えや意見は全て無視して、パートナーやその家族で勝手に進められていく結婚話。私の意見を聞くまでもなく、「そうするのが⚪︎⚪︎家の長男として当然。相手の女性は、嫁いでくる、つまり“⚪︎⚪︎家の嫁”なのだから、それに従うのが当たり前」、という相手家族からの無神経な暗黙の了解。

同居を拒む私にパートナーは、「そんなこと言って、明日にでも僕の両親が倒れたらどうしてくれる。誰が面倒を見るんだ」と言い放ち、実家から少し離れたところに住もうと提案すると「そこまでして結婚したくはない」、と一言。きっと、これがこの人の本当の本心なんだろうなと冷静になっていく頭で考え、「それは私も一緒だよ」と呟いた。

これまでの対等な関係から、結婚することで生まれる主従関係にも似た関係性に感じる違和感。こちらがどれだけ譲歩しても最後まで自分と自分の家族だけを大切にするよう強要してくる自己中なパートナーに嫌悪感を覚えた私は、婚約破棄を申し入れてお別れすることを選んだ。

冷静に考えれば、相手の提案は彼なりの優しさで現実的なものだったのだろう。だが、私が望むのは、そんな昭和初期の女性のプロトタイプのような生き方じゃない。どうして男性の方が男性というだけで無条件に優位で、当たり前のように女性ばかりが変わることを強要されるんだろう。どう見ても公平じゃない。

勇気をくれたのがnote

文字にすればいとも簡単な別れの結末だが、答えを出すまでは本当に悩んだ。30代も後半に差し掛かり、なんの取り柄もない私にとって、これは結婚の最後のチャンスかもしれない。いや、絶対にそうだ。

答えの出ない自問自答。出てくるはずないのに、グーグル先生に「女性、アラフォー、婚約破棄、その後」などと打ち込んで答えを求める日々。そんななか、たどり着いたnoteの中にはいろんな価値観の人がいた。婚約破棄をした人、離婚をした人、法律婚に異議を唱える人、色んな困難を経て自分に最適な相手を見つけた人…。

なんだ、世の中いろんな人がいるじゃないか。
なにも悩んでいるのは私だけじゃない。
どの道を選ぼうと、自分次第できっと人生はどうにかなる。

悩みながら、私が考えたことは2つ。
①彼と一生一緒にいるか、一生一人で生きていくか…自分にとっての幸せとは。
②相手を変えることは難しい。だから、自分が変わろう。

相手に色々と思いの丈をぶつけたが何も進展しなかったことから、悩み抜いた挙句、このまま罰ゲームのような結婚生活を送るよりは、一人で生きる方が断然マシ。と答えを出した私。
生き方、つまり考え方次第では、自分で自分を幸せにできる。しかも、今を手放せば新しいご縁が繋がるかもしれない。変わらない相手(🟰可能性ゼロ)は手放して、0.001%に賭ける方がまだマシだろう。

今の私なら大丈夫。もう何も怖くない。
そこから半ばヤケクソに、突如として私の明るい自由人生活が始まった。

目指すは人生のミニマリスト

昨今、流行っているミニマリスト。
憧れてやってみたいと思ったりもしたけれど、ものに執着しがちな昭和生まれの私には所詮無理だ。ものは大切に、そう言って育ってきたんだもの。いきなりは変われない。

だけど、私にもできそうだと思ったのは人間関係の整理。
もともと、子どもは欲しいと思っていない。「家族」は、自分の親や兄弟がいるからそれでいい。親はきっと自分より先に死ぬけど、親より長生きすることは私にできるせめてもの親孝行だ。

例のパートナーと別れた時点で、私は一つ“断捨離”することに成功している。
こうなったら、本当に自分にとって必要な人間関係だけを拾い集めて、いかに身軽に自分らしく生きていけるか、とことんやってみよう。そう思った。

側から見れば、淋しい人生。そう映るだろう。
だけど、別に孤独に生きるわけじゃない。友人、家族、ゆるく繋がる複数のコミュニティ。いろんな人と少しずつ関わりながら、一人の時間をとことん満喫する。

周りからは歳をとった時にどうするの?と非難されるだろう。でも、案外、結婚しようが子どもがいようが、時として人は孤独になる。子どもがグレるかもしれない。パートナーと死別するかもしれない。あくまで人間の最小単位はひとりだ。

こんな私でも、今日も生きている

きっと、いろんな考えの人がいるだろう。
一人で生きるなんでありえない。そう考える人がいるのも当然だと思う。

別に私も、一生一人と決めたわけではない。あわよくば、いいご縁があればということは考えなくもない。でも、周りに左右されず、自分だけで面白おかしく生きていける人生の楽しみ方、メンタルの持ち方は備えることができていると思う。

もしかしたら、「こういう生き方もありだよね」。
そう思ってくれる人がいるかもしれない。同じような悩みを持っている人がいるかもしれない。あの時の私のように。

そう思って、これから徒然なるままに、人生のこと、日々起こる面白いこと、私なりの人生の楽しみ方など、いろんなことを書いていきたいと思う。


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