ローマ教皇という言葉について、考えること…。(「papacy」なる言葉についての理解が足りない私にとっての、教皇という存在…。)
カトリックと言えば、ローマ教皇ですよね。そのあまりにも深遠な歴史について知っている方も、無数にいらっしゃるかと思います。わたしは幼稚園と小学校がキリスト教系で、特に小学校では、キリスト教の授業というものがありました。「宗教」というやつです。悪ガキだったわたしは、授業態度が悪く、よく怒られたものです…。
さて、この「教皇」ということばについて、すこし、考えさせていただこうと、思います…。
教は順当に世界ナンバーワン信徒数のキリスト教で問題ないですかね。ただし、ここで「皇」ということばを、日本人は導入してしまっています。じつは、ここがすこし、ポイントにはなります。実際、ピンとくるのは、皇帝と天皇くらいですから…(笑)
西欧では、「papa」であるとか、「papacy」であるとか、いろいろな変化型が存在します。大体、「papa」というのがもととなっております。それを訳するに、近代日本人は、「教皇」としております。じつは、深遠な問題系があるのです…。ふつう、例えば史上の中華で、「西帝」と言った場合は、漠然と、ビザンチン皇帝か何かを意味するものと、史学解釈しております。私見ですみません。間違っていたら、ご容赦ください…。ようは、それを、ダイレクトに、極限まで「西」という言葉にこだわって、「西帝」と言ったら、それは、もしかすると、「papa」のことなのではないかという、一つの歴史学的な試論なのであります。
たとえば、中国史の研究において、小洒落た冗談まじりに、「西帝」と、もし万が一にですよ、文献資料的に出てきたら、我が国や、本国中国の史家は、どう、「papa」とイメージ同期するのかという、少々抽象的な題材であります。
わたしは、むかしの史家にはむかしの史家なりに、確実な実証的根拠があるとの前提で、歴史学の歴史を眺める風があり、どうも、「教皇」と国字を当てた、おそらく明治維新前後の、わが国日本国の命名者が、かなり、史学的センスに長けた人物だと、思えてしまうのです…。
そもそも漢人の間で、あるいはその資料作成者の間で、「西」といえば、極論は、「白」人なのだと思います。また、そう想像できます。なので、諸王国の上に、教皇がどっかりと腰を据えていた、世界史的に観た「中世」においても、「西帝」とは、ローマ教皇を暗にほのめかした表現なのではないかと、イメージしてしまうのです。私見ですのでご容赦ください…。もしビザンチンが弱体化したなら、「西帝」あるいは、こういう場合も、あるかもしれません。「西皇」とか。こういうのを資料作成者が、漢字で表記し、のちの中国人、あるいは日本人研究者が、それを、「papa」、すなわち、ビザンチン皇帝を追い越して、ローマ教皇のことを暗に意味しているとしたら、これは、歴史学的に観て、ものすごい価値があると思います…。
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