中世ヨーロッパにおける封建制と荘園制について、いまある知識をもとにした小察。―《山川出版社 フランス史1, 第六章 , 渡辺節夫氏》を読む…。―
中世ヨーロッパにおける封建制と荘園制は、たがいに緊密に結び合っているとかんがえられます。「祈る人」「戦う人」「耕す人」というヒエラルヒーが存在し、その頂点に「王」ないし「諸侯」が群存するというのが、中世ヨーロッパの社会のありかただというのは、おそらく間違いないでしょう。
わたしのもっている、1990 年代のかなり詳細なフランス史の見取り図、山川フランス史1, の、渡辺節夫氏の記述から、このありかたについて、すこし考えてみたいとおもいます…。
西洋封建制は、フェーダリズム Feudalism として知られています。日本の封建制における御恩と奉公と同様、領地をあたえられた領主層や騎士は、武力を主君に提供します。また、ヒエラルヒーの最下層に位置する半奴隷的隷属民は、農奴として把握してよいでしょう。つまり、中世盛期くらいまでの、隷属農奴としての「耕す人」として理解してよいとおもいます…。
西欧荘園制において、「耕す人」は、通常農奴と位置付けられます。 農奴制 - Wikipedia というページが、わかりやすいかもしれません。西欧中世の盛期くらいまでの荘園形態において、農業労働を賦役としておこなう人々が、農奴として位置付けられており、中世後期には、順次、自由農民へとかわっていったと、述べられていますね…。また、荘園 - Wikipedia という項目にも詳細な記述があります。
さて、はなしを渡辺氏の論述に戻しましょう。以下は、渡辺氏の執筆の、要約・引用になります…。
主従関係は、外威の影響で世襲化していきます…。ここで、人的結合関係を形成しているのは、レーン制と呼ばれる、封建制的制度です…。権力の分散を前提とするレーン制はそもそも王権とあいいれないとする考え方、あるいは、より有力なものの庇護をもとめる連鎖の体制であるレーン制は必然的に最高権力として王権を創出するゆえに、「封建王政」は同義矛盾であるとする考え方などがあります。現在では、レーン制はそのおかれた状況次第で、権力の分散にも集中化にも作用するものであり、それは王のもつ非レーン制的な実力により規定されるという考え方が一般化されています…。
ここで、息抜きに、イメージを一枚…。
L'affirmation de l'État monarchique dans le royaume des Capétiens et des Valois - 5e - Cours Histoire - Kartable というフランス語ページから、ひっぱってきました…。著作権・肖像権などご容赦ください。まあ、このイメージだと、中央のカペー王の印象がつよくなってますよね。ただ、本来、封建制において、王は、諸伯公のなかのもっとも位の高い貴族ですから、まわりを取り囲んでいる諸伯公のなかで、座して冠をうけるカペーのイメージは、カペーという個人が、「封建制」のシステムの中では、あくまで「諸伯公という複数名の大貴族」のなかで、もっとも上位の貴族だという定義には、一致するかとおもいます…。本来封建制は、自身のつかえる封主にのみ従い、自身の支配する封臣だけを管轄するというものでありますから、このイメージに、まあ、「祈る人」くらいならいいかもしれませんが、下層の、「戦う人」や、「耕す人」がまざっては、却って不自然ですよね。このイメージなどについて、詳細な知識のある方、ご容赦ください…。ただ、薄学のわたくしにも、このイメージが、あくまで「諸伯公」としての「大貴族」のなかでの「封主」カペーを描いたのくらいは、わかるつもりでおります…。
はなしをもとにもどしましょう…。
確立期のレーン制(レーン法)は、一般に封主・封臣間の人的結合関係たる双務的誠実義務の関係(家士制)と、封主の封臣にたいするレーン(封、恩貸地)授与にともなう物権的関係が相互規定的に作用する私人間の主従関係をさすものとされます。シャルルマーニュの時代に家士制が急速に普及し、貴族層出身者が増加するとともに、上層の家士層一般をさすようになります。伯は本来、棒給官僚ではなく、職務の報酬として伯官職禄をえていました。家士層が伯職をえるようになると、官職禄と恩貸地の同化がおこり、双方を一括して官職封とよぶ傾向があらわれてきます…。
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