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あのたび -地雷博物館と露天風呂-
前日は朝から夜まで遺跡巡りで歩き回ったために両足が筋肉痛。旅の中で歩く距離は多かったのだが、登ったり下ったりという移動はまた使う筋肉が違うらしい。
昼にはSTARMARTというスーパーマーケットに行き、ホットドッグとオレンジジュースを買う。2003年当時のレートは1$≒4000Riel。基本的にカンボジアではアメリカ$が通用するのだが、屋台で小さい買い物をしようとするとドル紙幣より小さいリエルが必要になる。スーパーマーケットでは頼めばお釣りをリエルで返してくれるので両替代わりになった。
翌日はバイタクではなく、バイクそのもの(たぶんカブ)を1日5$でレンタルした。安い。こちらの方がバイタクを借りるより自由度が高くて楽しい。ヘルメットも付いてくるので安心。ただしデポジットとしてパスポートを預ける必要がある。
ボクは日本で免許を持っててスクーターに乗っていたので問題はなかった。カンボジアでは免許がなくても貸してくれるのですがバイクに乗ったことがない人は、道が舗装されていない所も多いので気をつけたほうが良いです。
バイクで走り回るのが楽しくて、タ・プローム、タケウ、プリヤカンと有名所の遺跡を巡りました。自転車だとかなり距離があるので炎天下だとキツイかもしれません。さらに病院へ行き献血。この国の役に立ってくれるといい。
さらに地雷博物館へ行く。この国では1990年代まで内戦が続いていた影響でいまだに地雷があちこちに埋まっている。ただの森や草原でも、人が歩いた跡がある場所以外は歩くなと脅されるように何度も注意された。
地雷は人力で除去するのが難しく時間がかかる。タンクローリーなどの車で無理矢理踏み潰して爆発させるという手もあるが、99%は取り除けるがどうしても何%か残ってしまうというのだ。
その博物館にいる子どもたちは、日本人が訪れると「タイゾー、タイゾー」と叫ぶ。当時カンボジアでいちばん有名な日本人が一ノ瀬泰造だった。
恥ずかしながらボクは、彼・タイゾーのことを全く知らなかった。約1年後に日本へ帰国したあとで調べて知ったくらいだ。
一ノ瀬泰造は、ベトナム戦争時代に戦火が飛び火したカンボジアへカメラマンとして赴きわずか26歳で亡くなった。反政府軍に囚われて処刑された。
以下のラジオドラマの後編で短いですがタイゾーがでてきます。ベトナム戦争当時の様子が日本人カメラマンの視点から語られる貴重で重厚なドラマなのでオススメです。
この地雷博物館では、起爆装置を解除したさまざまな地雷が飾られていた。地雷は相手を殺すよりも傷つけることに重きを置いていて、カンボジアではいまだに片足を無くしたりという事故がたえないという。
少額の寄付をして博物館を去る。こんな戦争や紛争が未来にはなくなってほしい。
夜、情報ノートにあった露天風呂!がある所へ旅人仲間を誘っていくことにした。ゲストハウスから東へ徒歩10分ほど、川を渡って直ぐのところにあるモロッポーというカフェだ。その3階になんと露天風呂があった!!しかもサウナ付きで入浴料2$という破格の安さ。
カンボジアは連日35℃以上とクソ暑い。安い宿は水シャワーだけ。そんな環境の中でお風呂に入れるとは!ベトナムのフエでも温泉に浸かることができたがこっちも格別だ。
ただ注意点は浴槽が1箇所しかないので、時間帯によって女湯と男湯が切り替えられているところだ。ボクが行った時は夜20時からが男湯であった。
さらにこのモロッポーの2階がレストラン兼カフェになっており美味しいピザが1$で食べられた。宿に戻り旅人のみんなにこの話をすると俺も俺もとみんなして押し寄せることになった。そりゃそうだ。もちろんボクも毎日通った。
毎日が楽しくあらかた有名な遺跡は見て、結局シェムリアップには8泊もした。仲良くなった旅人とは別れづらい。が重い腰を上げ宿をたつことにした。次に向かう国はラオスだ。
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(つづく)