『夜明け前』(小)論
以前、noteに「読み返したい本たち1位〜30位」を書いた。書き終わった後に気づいたが、そこで紹介した30冊全てが20代、特に大学生、大学院生のときに読んだ本であった。逆に言うと、30代に入ってからは琴線に触れる本に出会えていなかったとも言える。しかし、つい先日、運命の邂逅を果たすことができた。その本は、島崎藤村の『夜明け前』だ。きっかけは職場の同僚と御嶽山に登った際に、島崎藤村記念館の案内板を目にしたことだ。7~8年前に本書を買って挫折していたこと、篠田一士が「二十世紀の十大小説」で激賞していたことを思い出し、再チャレンジすることにした。『夜明け前』という日本アルプスと同じくらいハードな登山に。
本書の主人公は「青山半蔵」という幕末から明治初期にかけて、中山道は馬籠宿の庄屋・問屋・本陣を兼ねた人物であり、平田国学に傾注した篤胤没後門下である。著者、島崎の父親である島崎正樹をモデルとしており、父親の個人史が(かなりの程度忠実に)再現されている。本書は、文庫本で4分冊、1,500ページ超の長編小説である。なぜそこまで長いかと言うと、半蔵の個人史に留まらず、主に江戸末期から明治維新にかけての歴史と思想史が巧みに小説世界に組み込まれているからだ。
本書は序の章から始まり、そこには黒船・ペリー提督の来航が象徴的に配されている。外圧により江戸幕府の権威が揺らいだ幕末期において、幕府の所在地である江戸(東京)と天皇のいる京都、政治はその両方を中心に動いていた。その2都市の真ん中にあり、京都の情報を江戸より少し早く、また、江戸の情報を京都よりも少し早く知り得たのが、中山道の木曽十一宿であり、そこに本陣(身分が高い者が泊まる場所)を構える馬籠宿の半蔵であった。和宮降嫁、水戸天狗党の大移動、戊辰戦争に向かう新政府軍などは中山道を通ったのであり半蔵は、政治が動く様を、その空気を、目の当たりにした。島崎が、半蔵の個人史と日本史とを重層的に描き得ているのは、一重に馬籠宿の地理的、歴史的な位置によるところが大きい。
また、半蔵は、その半生を江戸時代に生き、その半生を明治時代に生きたという意味でも、真ん中に生きた人であった。江戸時代の終焉とともにこの世を去った半蔵の父、吉左衛門は、封建的価値観を色濃く帯び、武士の支配を前提に、庄屋・問屋・本陣として馬籠宿を、青山家を維持することを第一義とした人であった。その父に背くことなく、父が存命中は学友が平田派国学者として政治運動に加担するのを横目で見ながら、家の仕事、馬籠宿の仕事に奮闘したのが半蔵であり、これが彼の前半生であった。一方、明治維新以後に生まれ、東京に遊学し、洋学を学ぶことを決意するのは、半蔵の5男、和助(島崎藤村本人がモデル)である。そんな父吉左衛門と子和助、その中間に立つ半蔵は、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤に連なる国学を学び、尊王思想、王政復古を理想とする男であった。
この国学は、倒幕運動においては重要な役割を果たすも、いざ倒幕を果たすと、その勢いは急激に萎んでしまう。それは、攘夷と結びついた尊王派も、いざ政権運営側にまわると、江戸幕府と同じく西洋の政治的かつ物理的圧力に負けてしまったからだ。王政復古を旗印としながらも、欧米を模範とし洋学を学問の中心に据え、富国強兵を進めたのが明治維新から敗戦までの歴史であろう。旧時代の価値観(封建支配)と新時代の価値観(洋学)とをともに受け入れることができなかったのが、国学者、半蔵であった。
そんな半蔵は、明治維新により庄屋・問屋・本陣ではなくなり、代わりに戸長の役割を与えられるも、山林事件によってその戸長も免職される。父吉左衛門がこの世を去ったこともあり、半蔵は40代にして一念発起、東京へと行き、教部省勤めをする。しかし、国学の衰退を目の当たりした半蔵は、憂国の情に突き動かされ、天皇の輿に憂国の歌を記した扇子を投げ入れてしまう。「新時代は、こうであってはならない。何かが間違っている」そんな半蔵の忸怩たる思いは、彼の精神を徐々に狂わせていく、、。だから、タイトル『夜明け前』は、明治維新を「夜明け」と見るのが普通の解釈であろうが、「明けて欲しい夜はなかなか明けてくれない、いつになったら明けるのだろうか。」そんな半蔵の思いが、『夜明け「前」』に込められていると見るべきであろう。
この小説は、常軌を逸した凄みを持つ小説だと私は思う。そして、その凄みは、半蔵の挫折つまり、国学の挫折が、江戸から明治への移行が孕んだ日本人の倒錯を見事に照射しているということにある。丁寧に丁寧に描出される歴史が、最後、半蔵の精神崩壊(側から見るとそうとしか見えない)へとある種の必然性を持って収斂する展開には、誰もがカタルシスを覚えるだろう(私は、最後の100ページを、程よく席が埋まり賑やかなタリーズで、溢れる涙をハンカチで拭いながら読んだ)。だから、読者はそこに辿り着くための長い長い歴史記述にも耐えねばならない。
他に類を見ない小説に対して、何に似ているかということを論ずるのは少し野暮かもしれないが、私は読みながら、加藤典洋が脳裏から離れなかった。加藤は、戦争中、ナショナリズムを礼賛し、大東亜戦争に突入していった日本人が、戦争に負けるや否や、GHQの支配を受け入れ、戦後民主主義をあるべき社会像として掲げたこと、その変わり身の早さの背後にあるものを見ようとした。一方、島崎は、変わることのできなかった、流されることのできなかった半蔵を描くことで、逆に、明治維新以後、攘夷をかなぐり捨て、洋学へと流れていった多くの日本人(とその浅ましさ)を描いた。明治維新と敗戦、時代は違えど、そこに映し出された日本人は驚くほど似ている。
本書は、時代を映す鏡とならざるを得なかった青山半蔵=島崎正樹と、小説家としての類稀なる才覚を持った島崎藤村=島崎春樹が親子であったという偶然によって、この世に生み落とされた傑作であり、日本文学史における最高峰だ。私は、日本文学史において、夏目漱石、谷崎潤一郎、中上健次は頭一つ抜けた存在であると認識していたが、島崎藤村も間違い無くこの3人と肩を並べる文学者だと認識を改めた(ここまで書いて、彼の『破戒』を読んだときに並々ならぬ衝撃を受けたことを思い出した)。消化しきれない、受け止めきれない何かを半強制的にぶち込まれる体験、これが読書の醍醐味であり、それを久しぶりに味合わせてくれたこと、20代では理解できない読者体験というものがあるということを教えてくれた島崎藤村に感謝したい。