browneyes
作文のれんしゅう
選択のれんしゅう
屋上のすぐ脇に繁っている、名前のわからない実をつける木。 犬は屋上に落ちたその実を齧るので毒ではないらしい。 その枝には大抵、烏が止まっている。 他の烏も行ったり来たりはするが、主にある烏の親子がそこを縄張りにしている。 親子と言っても、私がここに来た夏には充分に成長していた。 やや小ぶりなだけで、すっかり烏だ。幼鳥の面影はほぼない。 たいてい母烏は、子烏をそこに置いて、餌を取りに行く。 子烏は枝からはほとんど動かず、母烏が戻るまで、ただただ鳴き続ける。 十数分で母烏
居候先にはインコが4羽か5羽いる。 いた。 末っ子がどこかで気まぐれに買ってきて、実際面倒をみるのはおばあちゃん。 よくある話。 この鳥誰の? 僕、おばあちゃんに買ってきてあげたんだよ。 私はもらってないよ、あんたのだよ。この鳥誰の? ……僕の。 この家同様、立派な大きさの鳥かごに近づいて中を覗き込む。 あれだけお喋りをしていた鳥たちが一斉に静まる。 この鳥たちは誰かには懐いてるんですか? 誰も面倒をみないんだから懐くわけないじゃない。 私がこうして毎日少しだけ籠を日
マグリブの時間の空を見るのが大好きだ。 半分はそのためにここに居ると言ってもよい。 マグリブ時間はまさに日没時間。 陽の落ちる時間。 ここではそこに祈りの時間を告げる無数の声が響き渡る。 声はほぼ同刻とはいえ、バラバラと始まる。 それぞれの抑揚も長さも異なる。 声の主も異なる。 そのため、声の溶け合い方も常に異なる。 はじめは遠くから小さな声が聞こえ始める。 声が重なり合うにつれ、声の集合体は大きくなる。 告げ終わった声が徐々に消えていき、やがてまた遠くの遅れた声も消え、
普段は水差しは夕食後には部屋に持ってくる。 今日はすっかり忘れていた。22時。 手元にある水差しに残った水はグラスに半分もない。 この家の夜は早い。 遠いダイニングルームまで、そっと取りに出る。 広くて長い廊下は誰もおらず、ひっそりとしている。 ところによりぼんやりと灯りがついている。 ところにより暗闇が広がっている。 8年前に印度で買って愛用している手縫いの室内履き。 最近になって歩くたびにキシキシと音を立てるようになった。 縫製はしっかりしていたので残念だ。 廊下か
ようやく喉の痛みが治まってきた。 喉元すぎれば、忘れるのは熱さだけではない。 あの切れるような痛みも忘れてしまえば、寝込んでいた間に恨んでいた己の不摂生を、悔い改めるという誓いも、半日もせずに忘れ去られているようだ。 快方へ向きはじめ、自由になった身体の開放感。 それと、予想以上にベッドの上で無為に費やしてしまった時間への焦り。 そんなどうでもよい気持ちに駆られて、普段以上に空回りを始めるのだ。 既に短いとはいえない人生のうち、もう何回こんな病み上がりを繰り返しているのだろ
Hello world なのです。