久々に喫茶店にいきました。
運河のある街の老舗の喫茶店。
階段を登って2階へあがり、窓際の席に座るとアーケードをゆく人の往来が見えました。
注文して、まずきたのはアイスクリーム。冷えて白くなったガラスの器に盛られた、アイスクリームのあまりの美味しさにびっくりしてしまいました。バニラなのですが、すっきりしていてレモンのような爽やかな甘さ。シンプルなのに意表をつかれた。本当に美味しかったです。
そのあとにきたコーヒー。
華奢なカップからいい香り。湯気が脳みそまで届きそう。横に置かれたコーヒーシュガーの色がなんとも良いのです。古びた調度品もポスターもコーヒーの味をひきたててくれます。時間を経た、物や店や街にしか出せない良さ。その風景は、重ねてきた、というより時間が経ち淘汰され残った本当のもの、という感じがしました。
ああ喫茶店で過ごす時間はいいなぁ。
ただ、それだけの気持ちを味わいにいくという贅沢でした。
以前、仕事仲間と本物とは何か?ということを話し合ったことがありました。
そのきっかけとなったのは、世界を旅するプロのカメラマンが、お店のイベントに来てくれた時のことです。終始おちゃらけみんなを楽しませながら写真を撮っていたカメラマン。最後に記念にと、私のカメラで一緒に撮ってもらったのですが、あとで見てみると、あんなにおちゃらけていたのに、その人は少しも笑っていませんでした。怖いくらい笑っていませんでした。でも写真に写ったその人の目の奥に、なぜだか本物を感じたのです。
本物のすごい人はすごそうに見えない。すごそうにしない。何もしてないのに滲み出るのが本物のすごい人だ。「本物のすごい人」という言い方は稚拙だけど、その時は興奮してそう語りあいました。
ある雑誌にタモリのこんな言葉が載っていました。
「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけだ」
「ジャズをやっている人で、ジャズでない人がいる」
「音楽やんなくてもジャズな人がいる」
本物が何か、まだはっきりとした答えは見つけていないけど、大事なことにはうそをつかないで、やりたいようにやっていこう。
ジャズでも、コーヒーでも、その日一日を過ごすことでも、自分の表現したいもので。