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色々やめた
クレドポーボーテ
クレドを好きな方は、あの独特の重たい香りも好きなのだろう。
質感も重たいよね。
なんかね、いい女過ぎて「おおお…おはようございます…」と思わずかんでしまうような、そんな香りを醸してるのがクレドさんだ。
かと言って、すーはーすーはーと匂いを嗅ぎまくると、ふっと消えてしまい、あれ?あのマダムな匂いは?どこ行った、いい女?と軽く悲しくなる。
ということで、今までの居心地良かったコスメをやめて、憧れのコスメへ移行中。
職場で言い訳ばかりしている、おサボりオバさんの相手するのもやめた。
パートだから一生懸命働くのはソンなのだそう。
サボって適当にやってる方が、よっぽど人生ソンしているように見えるけど、人それぞれだし好きにやってくれや、と距離を置く。
親を毒親と表現することもやめる。
ここ一年、もう私には毒親は存在していないのに、毒親毒親毒親って、自分で書いてて嫌になってたの。
ハタから見て毒親でも、私の愛すべき親で、毒を綺麗に洗い流したゼぃ!ってこっちはすっきりさっぱりしてるからもういいかなって。
人ってさ、誰かの為にヤル方がすっごく大満足するんだよ。
被害者の立場でやることを、自己犠牲という。
私は思った。
あの人に愛されている感覚より、あの人を全身で大好きで、細胞たちが歓喜しているあの体感覚こそが、本当だと。
愛されるのは嬉しいけれど、そこはまあまあなホワホワ体感覚レベルで、あともう1時間で会えるなぁっとワクワクして、何喋ろうか?バカウケする話を一発目で喋っちゃおうか?とウキウキしてる体感覚とはパワーが違う気がした。
人は基本的には、愛することを当たり前にやっちゃってるんだと思う。
愛されたいとか、尊重されたいとか、仲間に入れて欲しいとか、話しかけてもらいたいとか………
そういうの、やめた。
鏡は先に笑わない。
私から笑うと決めた。
世界🟰私。
出来上がった世界に私が生まれたのではない。
私が世界を作っている。
せっかく綺麗な世界を作りたいと願ってたのに、私はなにをやっていたのだか。
というわけで、クレドを買いに行ってこよう♬