車椅子インフルエンサー中嶋 涼子氏 「車椅子ですが、なにか?!」
9歳のとき、突然下半身が動かなくなって以降、車椅子とともに生きてきた。
車椅子で街中を移動していると、冷たい視線を送られたり、罵声を浴びせられることもあった。
それでも大好きな映画を観るために外へと繰り出した。
そして、世の中が変わるのを待つのではなく、自らもバリアフリー化を進めるためにインフルエンサーとしての活動を展開。
「Life on wheels」・・・中嶋涼子氏が車椅子上から望んできた人生と望む未来とは。
車椅子ですが、なにか!?
Q1「.車椅子ですが、なにか?!」という言葉が、中嶋さんのご活動のキャッチコピーなのですね。こちらは、誰に向けて発信している言葉なのですか?
A:ちょっと好戦的な言い方になっていますが、特定の誰かに向けた言葉ではなく、みんなに向けてですね。この言葉には、車椅子ユーザー当事者として、あらゆる面でのバリアブレーカーとして活動していきたいという思いを込めています。物理的・環境的なことにおいての問題も多いかと思いますが、心のバリアフリー化をしていけたらと考えています。
Q2.心のバリアフリー化というのは、健常者と障害者のあいだにある偏見や差別をなくしたということでしょうか?
A:はい、そうです。
私は、9歳のときに鉄棒で遊んでいたら突然足が動かなくなりました。それ以降、移動するときは車椅子に乗っています。それまでは、テニスプレーヤーを夢見ていたので、運動するのが大好きだったんです。コーチに才能を認められるくらいだったので、それなりに有望だったかと思います。
突然、下半身不随に・・・引きこもりの日々
Q3.運動が好きだったのに、下半身が動かなくなるのは、相当お辛い思いをされましたよね?
A:そうですね。あちこちの病院を受診した結果、「横断性脊髄炎」と診断されました。原因は、鉄棒から
着地した衝撃により脊髄を損傷したのではないかといわれました。もしくは、下半身不随になる1週間前にひいた風邪の菌が脊髄に入ったのではないかともいわれましたが、はっきりとした原因は不明のままです。
退院後は、引きこもりになってしまいました。
Q4.どれくらいの期間引きこもりになっていたのですか?それと、引きこもりから抜け出せたきっかけは何だったのでしょうか?
A:1年くらいでしたね。
友人が、映画館に「タイタニック」を観に行こうと誘ってくれたのがきっかけで、外に出るようになりました。ディカプリオのカッコ良さに一目惚れし、数々の名シーンに酔いしれました。
Q5.特にお好きな場面はどのシーンですか?
A:ヒロイン役のローズが救命ボートに乗れたのに、ジャックを置いていけずに戻るシーンです。
あまりに感動してしまい、結局11回も映画館へ観に行きました!
外に出ることは、楽しいことばかりでなく辛いことも
Q6.11回!?それはすごいですね!!まさにタイタニックのおかげで引きこもりから脱出できたのですね?
A:はい・・・でも、勇気を出して外へ出たものの、イヤな思いもしました。
ある映画館では、「車椅子の人は、映画館じゃなくて家で見ればいい。」と、言い放たれたこともありました。
また、ある日には、駅のホームで見知らぬ男性の足を車椅子の車輪で踏んでしまったことがあるんです。その人は周囲を見ておらず、私の車椅子の存在に気付いていませんでした。それで、急接近してきたので誤って踏んでしまったのに一方的に暴言を吐かれながら追いかけられたこともありました。
それ以外のときにも、邪魔者扱いされて車椅子を蹴られたり、罵声を浴びせられたこともありました。引きこもっていれば誰の目も気にしなくて済みますが、外に出ることは自身の姿を他人にさらすことにもなるので、傷付くこともあるということを再認しました。
Q7.そのような方々は何かしらの理由でイライラしていて、それをぶつける相手を探しているのでしょうか?なんだか悲しいですね・・・。そうした経験が、心のバリアフリー化を進めたいという使命感へ変化していったのですか?
A:皮肉なことにイヤな経験をすることが、現在の活動のきっかけになったということもありますね。
私以外の車椅子の人たちが同じ目に遭ってほしくないし、障害者ということで差別されることに抵抗したかったこともあります。
私たちがもつべき福祉観とは?
Q8.日本国内でも障害者に関する法律や制度は整備されつつありますが、一人ひとりの福祉観はまだまだ途上状態かもしれませんね?無論、素晴らしい価値観をもっている人たちもいるとは思いますが。
A:私は、18歳~アメリカへ留学したんですね。あちらでは、バリアフリーが当たり前のように染みついていたんです。
私を見た現地の人が、「ハ~イ!その車椅子カッコいいね!」「元気そうに見えるけど、あなたどこが悪いの?」なんてフランクに声をかけてくれたりしました。
そんな風に、車椅子に乗っているとか障害者だからとかいった偏った視点では見られていなかった気がします。
人生を変えてくれた映画の影響を受けて、自身の夢を描いていく
Q9.アメリカでは何を学ばれていたのですか?
A:映画です。タイタニックを見て、映画には人の人生を変える力があることを知り、映画に関わる仕事をしたいという夢を描くようになったからです。それで、エルカミーカレッジ(2007年)と南カリフォルニア大学映画学部(2011年)を卒業しました。
Q10.卒業後は、映画のお仕事に就かれたのですか?
A:帰国後は、通訳・翻訳のトランスレーターをしていました。
そして、2016年~FOXネットワークスに映像エディターとして働きました。
この仕事に就いたのと同じくらいの時期に、同世代で車椅子の女性たちと出会い、車椅子チャレンジユニット「BEYOND GIRLS」としての活動も始めました。このグループでの活動では、それぞれの思いを歌や踊りで表現していました。
Q11.その流れで現在インフルエンサーとしてご活動されるようになったのですか?
A:インフルエンサーになる流れとしては、そうした人たちとの出会いが原点ですね。
いろんなことにチャレンジし、自分の在り方を模索しているうちに「車椅子インフルエンサーになる!」という思いが沸き上がり、会社に退職を申し出ました。
Q12.周りの人からは、どのような反応をされましたか?
A:インフルエンサーという言葉自体が、認知され始めたばかりの頃だったので、心配される声のほうが多かったですね。でも、それなりの覚悟があったので、周りにどう言われようと迷いはありませんでした。
現在の中嶋さんの活動は?
Q13.現在は、YouTubeやSNSを中心としたご活動をされているようですが、具体的にはどのような活動内容なのですか?
A:メディアやインターネットを介した発信事業が中心ですね。他には、学校や教育機関での講演会、ドラマ出演と幅広く活動させていただいています。
Q14.発信するって、大変なエネルギーを要するかと思うのですが、いかがですか?
A:たしかにエネルギーは使いますね。
発信するということは、それなりのリアクションもくるので・・・辛辣なコメントをいただく場合も少なくありません。
ときには、下向きになるときも?!
Q15.明るく前向きなイメージのある中嶋さんですが、落ち込むときもありますか?
A:もちろんありますよ、いろいろと考え込んでしまうこともあります。
障害があっても前向きに・・・とは言っていますが、現実的には、障害があることによって制限が生じることも多いので、時にはやるせなくなることもあります。
例えば、「車椅子移動では、環境的・物理的に制限が生じる」「運動不足になりがちなので体力も低下しがち」「私の障害は、下半身が動かないことだけでなく、排泄や女性的な機能にまで及んでいる。人からは見えない所にも障害があり、人に言いづらい悩みもある」などです・・・。
中嶋さんのもつ使命感
Q16.中嶋さんは、健康はどのように与えられ、幸せはどのようなにして感じるものだと考えていますか?
A:健常者・障害者問わず、誰しもいろんなことを抱えて生きていると思います。
障害者だけが生きづらいのではなく、健常者でも何かしらの苦しみや悩みを抱えているでしょう。
障害があるから辛い訳でなければ、健常だから幸せを約束されている訳でもないですよね。
なので、たとえイヤなことがあっても、考え方や視点を変えることで、良い方向へと舵を切ることもできると思っているので、どんなことでも前向きかつ面白く捉えることを大切にしています。
「仮に、車椅子が邪魔だと言われたとしても発信するネタになったからいいか。だからこそ私の活動には意義があるんだ。」みたいなカンジですね。
心のバリアフリー化は、先が長く険しい旅路になりそうですけど、私の活動により一人でも多くの人が前向きになれるきっかけになれたら幸いです。
険しい道のりと知りつつ、車椅子インフルエンサーとして自らバリアフリーについて発信する中嶋涼子氏。
その姿は、安全な救命ボートから降りて、沈みゆく船に残された愛するジャックの元に戻ることを選んだローズの姿と重なった。
先は暗く冷たい大海原かもしれないが、奇蹟を信じなければ真実の愛を勝ち取ることはできない。
いつの時代も運命を切り開くために必要なのは「愛」と「勇気」をもって一歩踏み出すことなのかもしれない。