見出し画像

車椅子バスケチーム 千葉ホークス 千脇貢選手


写真:市原 隼人

文章:舘野 雄貴



一漕ぎ入魂!!

屈強なフィジカルの武器に名門チーム車椅子バスケチームにて活躍し続ける千脇貢氏。その千脇氏自身が、波乱な人生を語る!!

名門・車椅子バスケチームの筋肉守護坊主


Q1.千脇さんは、車椅子バスケットボール選手としてご活動しながら、お仕事もされているのですか?

A:はい。普段は証券会社で働きながら、車椅子バスケットボールチーム「千葉ホークス」に所属しています。ポジションはパワーフォワードです。

Q2.千葉ホークスと言えば、日本選手権で13度(2022年6月現在)も優勝している超名門チームですね。チームのなかでは、どのような役割なのですか?

A:味方のシュートチャンスをつくるのが大きな役割ですね。ピックっていうんですけど、車椅子+カラダごと思いっきりぶつかっていって、相手の動きを封じ込みます。

Q3.大きなカラダと強いフィジカルがあるからこそ、為せる技ですね!腕の太さを見るだけで、力強さは分かりますが、下半身と体幹の機能はどのようなご状態ですか?

A:下半身は、自由に動かせないですね。例えば、股関節屈曲(足を上げる動作)をしようとしても、内旋(足が内側の方へ向く)してしまうんです。

体幹機能は、重力をうまく利用すれば前屈方向へは動けますが、伸展(体幹を後ろに反る動き)への動きはできません。よって、前屈したら反動を利用して、カラダを起こします。

自分の場合、ほぼ腕の力に頼って、車椅子をこいでいます。

これだけ大きなカラダを動かさなくてはならないので、腕の力が強いというより、自然と発達せざるを得なかったという方が正しいかもしれません。

楽しかったはずのスノボで・・・


Q4.おケガをしたときのことを聞いてもよろしいですか?

A:高校2年のとき、スノーボード中の事故で大ケガをしました。自分では、事故の瞬間のことをはっきり憶えていないんです・・・一緒に行った友人らの証言によると、ジャンプに失敗して頭から落下してしまったようです。診断結果によると、胸椎~腰椎の移行部における「脊髄損傷」でした。

Q5.大変な事故でしたね・・・。急に足を動かせなくなってしまうなんて、どれほどお辛いことか想像できないです。どのようなご心境でしたか?

A:しばらくの間、動かせなくなったということを受容できなかったです。医師は、「もう歩くことは難しいでしょう。」と言い、リハビリ担当の理学療法士からは、立ったり、歩くような動作訓練でなく、車椅子の練習ばかり指導されました。車椅子がなくては生活できなくなるという暗示を受けたというか・・・医療従事者の人には、分かっていたんでしょう。

心のどこかでは、「もう歩けないかもしれない。」と分かっていても、認めたくはなかったですね・・・。

父と友人に支えられながらの復学


Q6.高校在学中の事故に遭われたとのことですが、退院後は、どのような生活をされたのですか?

A:自分は、中高一貫で千葉日本大学第一高等学校に通っていたんですが、事故後も同じ学校に戻りました。

高校2~3年のときの教室が2階にあったんですけど、校舎はバリアフリーではなかったんです。

父が「俺が毎日背負って教室に連れて行ってやる!!」と言って、オブってくれたのですが、それを見ていた高校の友人らもオンブして階段を昇り降りしてくれたんです。

障害者の通いやすい養護学校を薦めた先生もいましたが、周囲の人たちに恵まれていたおかげで無事に高校を卒業できました。

同級生でなく障がい者として


Q7.高校卒業後は、どのような進路に進まれたのですか?

A:東京情報大学経営学部へ進学しました。

中高一貫校だったので、周りにはずっと慣れ親しんだ友人がいてくれましたが、大学入学後は、それがリセットされる形になりました。

周囲の人たちは、自分のことを「同級生」や「友人」でなく、「障がい者」としてみるようになっているのを感じました。

Q8.障がい者としてみられていると感じたとのことですが、千脇さんご自身で障がい受容をされたのは、いつ頃ですか?

A:厳密に「いつ」というのがあったかは分かりませんね。

時間が経てば回復してくると思っていたのですが、いくら時が流れても状態は変わりませんでした。その中で、時間をかけて受け入れていったというカンジです。自暴自棄になった時期もあり、彫刻刀で足を切りつけたこともありました。

出血はしましたが、痛みは感じませんでした・・・まるで、自分の足ではないカンジでしたね。

受難を超えて


Q9.受容できたという前提で聞いてしまいましたが、完全に受容できるなんてあり得ないことなのかもしれませんね。

先天性奇形により元々手足の機能がなかった障害者のかたが、「私は、手足があることによる自由さを知らないので、

不自由さも分からない。後天的に障害を負った人は、自由さを知った上で不自由になるので、辛さも増すのではないか・・・」と語っていました。

どちらが苦しいという問題ではありませんが、千脇さんは、「障害」についてどうお考えですか?

A:そうですね、足が動かない辛さを言葉では表現するのは難しいです。

ケガしたときから時間も経ち、健常者より障害者となった期間の方が長くなってきたので・・・受容したというか苦しみに慣れてきたというところですかね。こうしてアスリートとしても活動させてもらえていますので、障害者なら障害者としての生き方がありますので、道を断たれた訳ではありません。

車椅子バスケットボールとの出会い


Q10.車椅子バスケットボールと出会いはどのようなときでしたか?

A:一番最初の出会いは、事故後に入院した病院だったんです。そのときは、あまり乗り気になれませんでした。

その後、大学在学中に車椅子を修理することがあったんですね。修理をしてくれた業者さんが、「若くてカラダも大きいんだから、車椅子バスケに向いてるんじゃない?」と薦めてくれたのがきっかけでした。

それまで、自分の思いを塞ぎ込むように生きてきて、「このままでは自分が自分ではなくなってしまう。」と思い立ち、思い切って挑戦してみました。

Q11.実際にやってみて、どうでしたか?

A:車椅子バスケでは、日常では経験したことのない動きが必要となりました。

バスケで良くある動きとして、停止した状態から一気に加速してトップスピードを出すことがありますが、これには相当な力を要します。また、スピードに乗った状態から急制動をかけてターンするという難しい動きも、容易にできなくては、試合に出ることすらできません。

なので、車椅子でひたすら走り込みをしたり、厳しいフィジカルトレーニングを地道にこなしました。

日常生活では、そのような動きをしたことがなかったので、最初は思うように動けず、きつかったですね。

Q12.千脇さんは、2014年に日本代表にも選抜され、2016年にはリオパラリンピックでご活躍されましたね。外国リーグでも大健闘されたとのことですが、どこからのその力が湧いてきたのですか?

A:どこでしょうね(笑)

車椅子バスケットという競技を通して、いろんな人と繋がることができたので、その人たちの期待に応えたいという気持ちは強かったですね。

今でこそ、チームに必要とされる存在になれたかもしれませんが、グレていたときもありましたので。

歪んだ反骨精神をみせた試合初出場の日


Q13.グレるとは、どんなカンジだったんですか?

A:ホークスに移籍して初めて試合に出たとき、短い出場時間だったにも関わらず、5ファウルの反則で退場になってしまったんですね。その退場する去り際に審判をニラんでしまったんです。

その状況を見ていたチームメイトに、「そんな態度をとる選手なんて、ホークスにはいらない!!ホークスの看板を背負っているんだから、プロとしての意識をしっかり持て!!」と叱責されたんです。

Q14.その叱責を受けて、どう思われたんですか?

A:悔しさのあまり男泣きしました!!

心のどこかで障害者スポーツの延長くらいに思っていたのかもしれませんね。アスリートとしての自覚に欠けていたことを痛感しました。

悔しかったけど、そのことがなければ心を入れ替えることができなかったので、今では感謝しています。

仕事と車椅子バスケットボールの両立


Q15.現在は、どのような働き方をしながら練習に取り組んでいるのですか?

A:SMBC日興証券に勤務しているのですが、会社が、パラアスリートを積極的にサポートしてくれているので、練習に集中できています。年齢的にも、現在は後人育成に力を注いでいます。

Q16.私生活についても聞いて良いですか?

A:妻と娘の3人家族で暮らしています。

妻は、別チームのマネージャーだったんですけど、果敢な猛アタックで射止めました。

娘は、10カ月(2022年7月現在)なんですけど、可愛くてたまらないです。

不可能と決めつけず、可能性を信じる大切さ


Q17.下半身不随のご状態でお子さんを授かるのは、体外受精でしょうか?

A:はい、そうです。

まず、自分のカラダに精子がいるのかという疑問がありました。なので、精巣から細胞を採取して検査した結果、生きた精子が存在していたんです。

Q18.障害を抱えたとしても、現代の医療・福祉を駆使すれば、いろんな可能性を見い出すことができるのですね?

A:不可能と決めつけないことが大切ですね。自分の弱い部分を助けてもらいながら、他の人が困っていることを自分も助けたいですし。

1人でできることなんて限られていますし。

誰しも1人で生きている訳じゃないですし・・・これは、バスケットボールと同じです。

自分に与えられている役割に徹し、チームを勝利に導くために尽力する。

下半身不随だろうと立ち上がれ!!


Q19.障害者雇用やバリアフリー化など社会モデルが進展しつつある反面、まだまだ途上段階とも言われています。千脇さんは、どのようにしたら更なる障害福祉の発展を遂げることができると思われますか?

A:社会変革も必要かもしれませんが、障害者自身も立ち上がり、積極的かつ活動的になる必要があるかと思います。

社会側が手を差し伸べてくれるのを待つばかりでなく、自分で掴み取りにいくことも大切だと思います。

Q20.「前向きになれない、上を向くことができない。」という人がいたら、千脇さんはどのように声をかけますか?

A:潜ってないで出て来い!そうすれば、あとは俺がなんとかしてやる!

いいなと思ったら応援しよう!