見出し画像

静観するピリオド

                       烏兎 巴深


選択に惑え、原始生命


01 Case.未だ来ず
 ――結論から言ってしまえば、過去なんていうのは無駄。いくら追い求めても、未来みたいな無限の可能性なんて秘めていない。
 丁度朝から昼になるその間に、一人の少女はベッドの上で目を覚ます。
 高機能な電子機器の表面を、薄目を開けながら覗き込み、上へ下へとせわしなくスライドさせる。
 一通り覗き込み、満足な情報を得られなかったのか。はあとため息をつきながら、彼女は――リーカ・ジートは――大きな伸びをした。
 眠たげな眼をこすり、乱雑とした隠れ家の中で、彼女は朝の支度を始める。
 せこせこと洗面所まで出向いて顔を洗い、その後白い髪を簡単に梳かす。そうしながら、今日はどうするのかを思索するのが、リーカのルーティンだ。
「やっぱり膨大な電子の海から探そうなんてアプローチがそもそも無駄ね。自分の足で探さないと始まらない――ええ、そう考えてたら早くいかなくちゃ。確か出来合いのものがーっと、ええ、あるから、日が暮れない内に行かないと――」
 鏡から顔を退け、保存してあった出来合いのものを温めながら。
 衣装箱から、涼し気で真っ白い服を着こなしながら。
 それらを同時並行にこなし、リーカは温めたそれを机の上に置いて、食事と、途切れた思索を続ける。
「残ってるのは西側の橋の方かな。あの辺りでほとんど全部周ったことになるけど……」
 はあ、と。思わずため息をついてしまう。
 ――もし、そこでもわからなかったら?
 そんな事を考えて、首を振る。
 ――いくら頭を働かせたって無駄。今の私にできるのは直接探しに行くしか無い。どんなに時間がなくたって、どんなに時間がかかるといって、ほかの方法は無い。だって私には、私しかいないんだから――。
 本来であったなら。リーカにとっては人探しなんて他愛もないことだった。
 例えその日、初めて知った誰かでも。いざ探せば絶対にその日中に見つかる。いいや、見つける。彼女はそれを可能としていた。本来ならば。
 
 ――――リーカ・ジートは、未来を演算できるから。

 リーカ・ジートは、魔導士である。正確に述べるならば、魔導士の家系に生まれ、その呪いとも言える血筋を引き継いだ末裔なのである。
 ただの魔導士、ならば。さも普通の事柄であるが、リーカの持つ『家の血筋』、というのは非常に厄介な事物だ。その血はその家が過去に積み上げてきた功績、名前、能力、縁、宿命、等すべてを引き継がされる。それは家業を継ぎたくないと反発する子心程度では絶対に逃れられない定めで、リーカもその宿命を背負うはめになった。
 しかし同時に未来を演算する能力(ちから)を得ていた。
 『未来演算』は、よく言われるような『未来観測』のように、未来に起こる出来事を直接観測し、確定するというわけではない。それはあくまでも演算で、先に起こりうる出来事を、現在提示されている情報から演算することを『未来演算』と言う。
 ただまあ、何も知らない人間から見れば未来のことが手に取るようにわかるのは『未来観測』のように思われてしまうのかもしれないが、リーカはそれを否定しておきたかった。
 リーカは、その『未来演算』を高ランクの魔法として扱う。そして実質『未来観測』までに至るほどの精確なレベルの演算をすることができる。現在という捉えられない程の膨大なデータを基にして、ほとんど完全な未来の演算を、意識するだけで行えた。
 だから、もしも人探しをするのであったら、それはリーカには些事の筈だった。
 ――例外が発生しない限り。
 『演算』が『観測』足り得ない理由はそこだ。魔道に関連する様々なアプローチは、簡単に例外を生んでしまう。
 未来を知り尽くすことなどできない。こうなるであろうという過程を元にした推測しかリーカは行えない。
「こんな時に役に立たないのだから、やっぱり持ってるだけで無駄無駄。過去なんかを演算できるよりはずっとましだけど、どうせなら最初から持っていないほうがよかったわ。見たくないものだって見えちゃうし……」
 再びリーカは、はあとため息をつく。

「こんな血の厄介ごとなんてもうごめんよ。ああもう投げ出せないのが嘆かわしい!」

 ジート家は古く連綿と続く、その手の方面には並外れて有名な魔導士の家だ。
 何せ時の魔道を司るのであり、更にはその血を古くは数千年前まで遡り、積み上げられてきた歴史が生むその技術は、高精度かつ高効率で魔法の運用を可能とする。
 幾らそれが観測するほどの精確さを持ちえないとはいえ、およそ神秘に到達するのではと言われる。
 そしてリーカは、その力が最も洗練され、完成とまで言われた能力(ちから)を持つ末裔になってしまった。彼女にそれは最悪だったようだ。
 幼いころには「お前は我等の希望なのだぞ」と、親族一同から言われ続け、幼年期の終わりには、覚醒した自意識と反比例するように、この『演算』の定めが芽生えてしまい。
 今には、その定めにしっかりと従わざるを得なくなっている。
 ……なっている筈である。恐らくは。
 筈である、と言うのは。
 リーカは記憶障害、所謂記憶喪失に陥っているのであったからだ。
 けれど俗に言う記憶喪失とは些か異なっていた。
 リーカの記憶障害は、過去に経験した出来事の、『知識』だけは覚えていた。けれど、その『知識』を得た出来事に対して、一切の記憶を持っていなかった。
 とある人間が今まで積み上げた人生の情報が書き起こされ、それを記憶のないまっさらな人間が、すべて知識として享受して身に着けた。それがリーカ・ジートである。
 記憶が混濁した曖昧な意識を過ぎ、自分がリーカと認識したころ、当然リーカには一抹の不安が在った。自分は本当に『リーカ・ジート』なのか、と。
 だがそんな不安はすぐに解消した。
 血、縁、身体、能力(ちから)。その全てがジート家に連なると嫌でも証明し、何より。
 ――過去が何であっても、私には関係ない。未来の私は私だから。
 過去なんて邪魔だ。連綿と続いていったその時間が、結局未来への足枷にしかならないなんて意味がない。健全な未来を、いつだって過去は邪魔をしてくる。
 未来という真っ白な空白に、過去は邪魔してはいけない。
 過去の執着というものは、それこそ呪いだ。人が束縛を受けるのはいつだってくだらない過去を引き継ごうとするからで、それから逃れられずに苦しい思いをするのは、愚かなこと、だ。
 やれ家柄、約束、自分の誇り。
 最も勘違いしてはいけない。思い起こすべきなのである。輝かしい未来の物語に人は生きるのであって、人は過去に生きていくわけじゃないんだと。
 だからこそ、その積み上げてきた過去の鎖は、常に引きちぎるべきだ。過去の為に未来を犠牲にするようなことをしてはならない。
 ――それなのに人類っていうのは、いつまでもそのしがらみにとらわれようとするんだから。
 何も過去が全ていらないなんてリーカは主張したいわけじゃない。過去を優先してはいけないと言いたいのだ。
 リーカに言わせれば過去なんていうのは栄養だ。未来へ蓄え、消費されるのを待つだけの栄養に過ぎない。
 その栄養を蓄えるだけ蓄えておいて、結果人類がそのまま何も残せませんでした、なんて。冗談でも放っておけるようなことじゃなかった。
 その栄養は、全ての情報が未来には役に立つ……と、言うより、未来に何が必要になるなんてわからないから、何でもかんでも蓄えなければならない。
 そうして見れば、過去も重要な因子に見えるだろうが。
 未来で必要にならざるを得ない状況というものは、いつだって過去の置き土産だ。
 いっそ過去なんて無くなってしまったほうが、未来はもっと良い物になるのかもしれない。もしも過去を消せるのだったら、リーカは間違いなく選んでいた。
 そういう意味で、リーカは自身の生い立ちを真っ向から否定して生きていた。
 ――過去は栄養に過ぎない。そして今は過程だ。だから私は未来に奉仕する――。
 リーカはそういう人間だった。

 そうやって過去を嫌うのは、単に過去が未来を狭めることを危惧しているからじゃない。リーカは知っているからだ。自分が崇めた輝かしい未来だって、いつかは忌避した薄暗い過去になってしまうと。
 
 ――――探さなきゃ。
 リーカにはっきりとそう言い退けたのは、彼女の姉だった。
「これから先、絶対にあの子の手が必要になる。早く見つけてあげないと……」
 支度を終えたリーカは、急ぎ外へ出る。
 日は傾ききっていない。探すにはまだ時間がある。
 リーカ・ジートは駆け出して行った。

 
 
 日が暮れる前を選ぶのには理由があった。
 人が基本的に営む朝から夜にかけて、その日中に最も効率的に演算できるからで、そうやって毎日毎日演算をしながら人探し、リーカは姉を探している。
 前日の夜に翌日の分を演算したり、何なら何日も先のことを演算したりすることもできたが、それには都合の悪い事情があった。
 それが例外。彼女は、リーカの未来演算に一切引っかからなかった。
 初めはリーカ自身、もしかしたらもういないんじゃないの、なんて考えていたが、演算する中でおかしなことに気づいた。
 演算できる物事の中に、明らかに何もない部分があった。
 真っ白な画用紙に空けられた穴は、それは何もないがあると言えばいいだろうか。羅列された零から十までの数字のうち、どれか一つが抜け落ちていても、何が抜け落ちたかすぐにわかるとでも言えばいいだろうか。
 とにかくリーカには、その何もないがあるという状態に気が付いた。そしてそれが姉に繋がっているということも。
 そうしてリーカはしらみつぶしにこの街中を探す。白いカラスは絶対にいるからと。
 
 リーカが早足で辺りを歩き回っているうちに、段々と人通りが多くなってきているのに気付いた。
 何故かとふと思い、そして辺りを見て原因に思い当たると、辟易した。
 果たしてリーカが望んで頭から抜かしていたのか、それとも記憶障害の影響なのか、リーカはここにある学問施設、高等教育機関――大学と言えば丁度いいだろうか。
 この辺りの地域を最後に回していたのは、それを無意識のうちに避けていたのからかなと、内心リーカはため息をついた。
 大学は大学でも、ここは魔道を主に扱う。そしてリーカが辟易した理由はそれだ。
 リーカはその魔道を扱う大学というモノを忌み嫌っている。
「大体一般的な魔道の研究なんて、それこそ四百年以上前にどっかの組織を立ち上げた誰かさんとか、それを斃した誰かさんなんかが終わらせてることでしょう? 後に残ってるのは個別の事象だけなんだから、こんな大掛かりな場を作るなんて無駄なのに、どうしてそれがわからないのかしら」
 現代は、さほど魔道が密接しているわけではなくなった。けれど、若者にとって魔道はまだ、いやいつでも憧れの対象になっている。
 だから大学の多くは拝金目当てで魔道学があると聞く。リーカはそれで大学の魔道、というものに対して心底厭な顔をするようになった。
 しかし、それに反論するように、リーカは一つのことを思い出した。
「――そういえば、最後の神秘を見つけたとかいったのってここだったっけ?」
 神秘。神の秘なる魅技にして特別な個別の事象。現代なんてもう神秘は失われているものだと言われていた中、それは見つかったという。
 けれど現代はもう神に頼らざるを得なくなったわけではない――現代というより、百年前ぐらいの話だが――ので、そんなものが必要になるなんてリーカには思えなく、馬鹿らしいとまで思っている。
 思っているものの。
 それと相反するようにリーカはその神秘が必要になることが演算できていた。
 できていてもなお、リーカはその最後の神秘に否定的だった。
「だってどうでもいいもの。この先世界の表層が増えたり、別の表層が無理やりつなげられたりして、世界の危機だーなんて、ねえ。
 それで人類が滅びるなら滅びればいいし、その方が潔いでしょ。だからその神秘なんてどうでもいいの。救いたいなら救えばいいし。ただ――」
 ただ。
 そんなリーカでも許せないことがあった。
 人類が滅ぶのならばそれでいい。
 この星が滅びようとも関係ない。
 ほかの世界を巻き込もうが知らない。
 積み上げてきた人類の歴史が、たった一瞬で滅び落ち、新たな非人類の霊長が生まれてもそれは清潔だろう。
 けれども。
 人類が滅びて積み上げたものが一切虚無に還るくせに、平然とさも今まで何事もなかったように人類が現れることが、リーカは許せなかった。
 それを、リーカは演算してしまった。
 演算してしまったからこそ、人一倍そうなることに激しい怒りを覚えていた。
 リーカにとっては、それは使命のようなものだった。生まれ落ちた意味、この先生きる意味。
 そんなのどうだってよいなんて考えるけれど、すぐにこの未来へ立ち向かっている。
 そのためにリーカは姉を必死になって探している。自由な未来を守るため、望まない未来を変える為に。
「あなたがいないと、私だけじゃ――」
 ――――――――!
 突然、リーカは何かを演算する。
 それは何かある、ではなく、何もない。空漠をそこに見出した。
 この先、河を隔てる大きな橋の、こちら側にかかる根元。何もない。いや、それがある。
 空気が震える。いや、震わせている。それは緊張が故かわからないが、吐く息、握る手、進む足。体にまとわりつく空気ごと振動を起こしている。
 気づくと、駆けていた。
 それは最後の証明。白を以てカラスの色を見出す行為。
 この先にあるモノがわからない。未来の演算が可能なリーカにとっては、それは数少ない未知であり、また恐怖でもあった。
 震える、震える。駆ける足が、手が、息が。
 もはやリーカ自身その感情の出所がわからない。だが考える前にそれを目に入れようとする。
 道を駆け、開けた場所に出た。一方から一方に流れ、水の上は開けている。当たり前だ。河、河、河。それにかかる。彼岸のこちら側――。
 そこは橋の根元だった。
 辺りには誰もいない。一人を除けば。
 そこには――――


02 Case.過ぎ去りし
 ――結論から言ってしまえば、未来なんていうのは無駄。いくら突き詰めても、過去みたいな確実性なんて秘めていない。
 日がすっかり暮れ、夜に差し掛かるその時に、一人の少女は布団の上で、ぱちりと目を覚ます。
 ぐっと伸びをしながら、高機能で大型な電子機器を起動させ、カチカチと弄り始める。
 一通り弄ったのち、不満足そうに、だがそれを諦観したふうという息をつきながら、彼女は――クザラス・ジートは――そそくさと出かける支度を始めた。
 すぐに洗面所で顔を洗い、その真っ黒な髪をしっかりと梳かす。そうしながら、瞑想のように思考するのが、クザラスのルーティンだ。
「目立った事は無し。もとより膨大なデータを相手して探そうという行為それ自体が間違っていますね。やはり自分の足で出向くほか――さて、ならば今日も向かいましょうか。食材もありますし、何か作ってから――」
 鏡の前の顔をぱんぱんと軽くはたき、夜の帳の前では消えてしまうほど真っ黒な服を着こなしながら、食材を取り出して、遅すぎる、あるいは早すぎる朝ご飯を簡単に作り始めた。
 できた朝ご飯を机に置き、食べながら、クザラスは思考をめぐらす。
「後は西側、橋のあたりですかね。あそこでほぼ全部周ったことになりますが……」
 ふう、と。思わずため息をついてしまう。
 ――もし、そこでわからなかったら?
 そんな事を考え、すぐに取りやめる。
 ――それならそれで、別の方法を考えるまで。どんなに時間を費やしたって探さなければ。もう、私しかいないんですから――。
 本来であったなら。クザラスにとっては人探しなんて他愛もないことだった。
 例えその日、初めて知る誰かでも。いざ探せば絶対にその日中に見つかる。いいや、見つける。彼女はそれを可能としていた。本来ならば。
 
 ――――クザラス・ジートは、過去を演算できるから。
 
 クザラス・ジートは、魔導士である。しかしただの魔導士ではない。
 クザラスは『ジート家』のただならぬ血を継いでいたからだ。
 『家の血筋』、というのは非常に強力な事柄だ。その血は過去に積み上げてきた功績、名前、能力、縁、宿命、等すべてを引き継がねばならない。それは未来を夢見る淡い子心程度で逃れられる定めではない誇りで、クザラスも当然その宿命を背負った。
 そして同時に過去を演算する能力(ちから)を得た。
 『過去演算』は、よく言われるような『過去観測』のように、過去に起きた出来事を直接観測し、確定するわけではなく、あくまでも演算。起きた出来事を、現在という結果の情報から逆算して演算することを『過去演算』と言う。
 過去を見たかのような振る舞いは『過去観測』のように思われがちだが、クザラスは否定しておきたかった。
 クザラスは、その『過去演算』を高ランクの魔法として扱える。そして実質『過去観測』までに至るほどの精確なレベルの演算をすることができる。現在という捉えられない莫大な結果のデータを基にして、ほぼ完全な過去の演算を、意識するだけで行える。
 だから、もし人探しなんてするのであったら、クザラスには些事の筈だった。
 ――例外が発生しない限り。
 『演算』が『観測』足り得ない理由はそこだ。魔道に関連した様々なアプローチは、簡単に例外を生んでしまう。
 過去を知り尽くすことなどできない。こうだったであろうという事実を元にした演算しかクザラスは行えない。
「いざというときに限って、これを使いこなすことができないというのは、少し災難ですね。まあ、未来なんて演算できるよりかは随分とマシですがね。これで、定めも見えましたし……」
 再びクザラスはふうとため息をついた。

「その血の定めを、果たせるか定かでないのが嘆かわしい……」

 ジート家は古く数千年前より連なる時の魔道を司る家だ。
 そして積み上げてきた魔道体系は、高精度かつ高効率で魔法の運用を可能としている。
 幾らそれが観測するほどの精確性を持ちえていないとはいえ、そのレベルの演算する力は、神秘にさえ手が届くのではと言われる程。
 そしてクザラスは、その力が最も洗練され、完成とまで言われる能力(ちから)を持つ末裔になった。それが、彼女の宿命だ。
 幼いころから「お前は我等の希望なのだぞ」と、親族一同から言われ続け、幼年期の終わりには、覚醒した自意識と相乗するようにこの『演算』が覚醒し。
 今には、しっかりとその定めに従っている。
 ――断定までは、できませんが。
 そう断定できないのは。
 クザラスは、軽い記憶障害に陥っていたからだった。
 しかし、何も記憶が失われて、俗に言う記憶喪失だったわけではない。
 クザラスのそれは、記憶の混濁。何もかも失われたわけではなく、直近の『記憶』の前後が混同していた。
 番号が振り分けられたデータとしての記憶の順番が、所々欠如、あるいはばらばらになってしまっている。それがクザラス・ジートである。
 そんな曖昧な意識が過ぎ、昨日が昨日と解ったころ、クザラスは 少しばかりの不安があった。自分は本当に『クザラス・ジート』なのかと。
 けれどそんな不安は、一秒も持たずに消えてしまった。
 彼女の、クザラスの能力(ちから)は、待つ間もなく自身の過去を証明し、何より。
 ――未来がどうなろうと、私には関係が無く。過去の私は私から不変ですから。
 未来なんてどうあろうが知ったことではない。自由だと謳うその空白が、過去の否定にしかならないなんて意味がない。完全な過去を、いつだって未来は邪魔をする。
 過去というインクで黒くなった歴史を、未来が崩してはいけない。
 未来というものは、無限を纏って人を惑わす。ありもしない、考えればわかるような無茶を起こすのは、無駄に甘美な未来、もしくは無駄に脅威な未来が惑わしてくるからで、そこに陥った挙句苦しい思いをするのは、愚かなこと、だ。
 やれ希望、絶望、自由。
 最も勘違いしてはいけない。思い起こすべきなのである。積み上げてきた不変の過去という物語に自我は生かされているのであって、未来がそれ単体で存在しても人は生きることが叶わない。
 だからこそ、その未来へ立ち向かわなければならない。未来なんて無限に、積み上げてきた過去を保てなくなることを、してはならない。
 ――それなのに人類というのは、急に物語を捨てようとするのですから。
 何も未来が全ていらないなんてクザラスは主張したいわけではない。未来がそれ単体で生きようとするのを否定しているのだ。
 クザラスに言わせれば未来なんていうのは未だ歴史が書き込まれていない白い紙である。過去になるのを待ち、書き込まれるのを待つだけの白紙に過ぎない。
 その白紙の紙束だけを揃えておいて、結果人類が何も書くものがありませんでした、などと。冗談でも放っておくことじゃなかった。
 過去というのは、現在を証明する役割を持っている。現在までなぜ、どうやって世界は続いてきたのか、それの証明だ。
 そんな現在のことが、何とか過去によってギリギリ解り得ているというのに、どうしてそれ以上の未来のことがわかると思うのか。
 未来とはそんな解り得る過去のことを記述されるのをただ待つだけの白紙なのだ。
 だが時に、過去の否定が未来への否定ということもわかっていないのに、その積み上げたものを崩してまで未来を主張しようとする。
 だからクザラスは、いっそ未来など無くなってしまえば、過去は過去らしく在り得るのかもしれないなどと思う。もしも未来を消せるのだったら、クザラスは間違いなく選ぶほど。
 クザラスは、自身の生い立ちを、一寸も顧みることもなく、肯定して生きてきた。
 ――未来は白紙に過ぎない。そして今は蛇足。だから私は過去に奉仕する――。
 クザラスはそういう人間だった。

 そうやって未来を嫌うのは、単に未来が過去を否定する事象だからじゃない。クザラスは知っているからだ。自分で疑う事のやめない確実な過去だって、未来によってその意味が変わることがあると。

 ――探さなくては。
 クザラスにはっきりとそう言い退けたのは、彼女の妹だった。
「この先、お前がいなければならないの。いったいどこへ……」
 クザラスは、食べ終わった朝食を片付けて、急いで外に出た。
 日は傾ききっているが、これからがクザラスの時間だ。
 クザラス・ジートは駆け出して行った。

 日が暮れた後を選ぶのには理由があった。
 人が基本的に営む朝から夜を、その日のうちに最も効率よく演算できるからで、そうして毎日毎日演算をしながら、クザラスは妹を探していた。
 次の日の朝に過去を演算したりすることも、クザラスには他愛のないことだったが、それには都合の悪い事情が存在した。
 それが例外。彼女は、クザラスの過去演算に一切引っかからなかった。
 いくら探っても見つからず、もういなくなってしまったのではと、クザラスは考えていたが、演算のうちに異常を発見した。
 演算した物事の中に、明瞭に何もない部分があった。
 真っ黒な画用紙に空いた透明な穴、そこには色で形容のすることができない『透明』という名の『 』がある。
 クザラスは、過去の中にその空白を見出し、それは妹に繋がっているのだとすぐにわかった。
 そうしてクザラスは正確無比にこの街を探す。黒いカラスは、カラスを見つけなくてもわかるのだと。

 クザラスが駆け足で辺りを探りまわっていると、複数人の話声が聞こえた。
 いくら夜中に入ったばかりというのにしては、いくらか多い人数かと思い、辺りを見回した、途端。その原因に気づく。
 ――そういえば、ここには大学がありましたか。
 何故クザラスの頭からそれが抜けていたのか。記憶の混濁の影響でしょうか、と思いつつ、クザラスは視線の方向の施設について思考する。
 それは学問施設。高等教育機関――即ち大学である。
 大学なんてあるならば、もっと早くに訪れていましたかね、とクザラスは思う。記憶の混濁で、抜け落ちていたからこそ、優先事項としてここを捉えていなかったのか。
 けれどある種、ここの大学を嫌っている節があった。
 ここは魔道を中心に扱っているからだ。
 世の魔道と呼ばれるものには二種類存在する。再現可能なものと、不可能なものだ。
 再現可能な魔道は研究のし甲斐があるだろうが、再現不可能な魔道は、それは歴史や美術等と変わりはしない。
 それこそ神秘クラスでないと、そこに意味が生じることは少ないのだ。
「けれど再現可能な一般的な魔道なんて、その神秘の時代を終わらせた人たちが、その研究を既に終わらせていることですし、もはやこれほど大掛かりで専門な施設なんて必要なのでしょうかね」
 現代は、いつかの時代ほど魔道が緊密なものではないが、そんな時代を生きてきていない若者には、魔道が甘美なものに見えている。
 だから大学の多くは、そういった人材目当てで魔道学があると聞く。クザラスは、それを聞いて以来、あまり意味のないことじゃないかと思うようになった。
 しかし、それに反論するように、クザラスは一つのことを思い出した。
「――最後の神秘を見つけたといったのはここでしたか」
 神秘。人には再現が不可能と言わしめる超常的現象であり、その多くが世を救うことを可能とする。神秘の時代が終わってから、その数は急激に減少し、現代では失われたと言われた中でそれは見つかったのだという。
 けれどもう神秘に頼る時代は終わってしまったので、それが必要になるような最悪の未来があるなんて、クザラスは一層厭な顔をした。
 顔をするものの。
 それに反するように、クザラスにはその神秘が何を行うためのものか演算ができていた。
 できていてもなお、クザラスはその最後の神秘に否定的だった。
「それがどうなろうが、この世界の始まりは変わりませんし、この世界が過ぎたことも変わりません。この先人類の滅びが待っていたとしても、神秘で世界を救うよりかは、いっそ滅びてしまった方が潔く、そしてきれいにエピローグに終止符を打てるでしょう。ただ――」
 ただ。
 そんなクザラスでも許せないことはある。
 人類が滅びようとも。
 星が終わろうとも。
 ほかの世界が終わろうとも。
 過去と言う物語が幕を引き、残った荒野で新たな霊長が生まれるならそれでいいだろう。
 だが。
 ここまで積み上げてきた人類の物語が、その最初から間違っていた等と証明され、その自浄作用によって全てを否定されるのは、クザラスには許せなかった。
 それを、クザラスは演算していた。
 そしてわかっているからこそ、人一倍この定めに対して激しい怒りを覚えていた。
 クザラスには、それこそがこの家が向かう定めだと理解した。ここまで受け継がれた血の意味、そしてクザラスが生きる意味。
 これは人間一人、クザラスに課せられたものではなく。投げ出そうなんて、露程も考えてはこなかった。
 だからこそクザラスは妹を探していた。積み上げた過去を守るため、望まれた過去を救うために。
「お前がいなければ、いなければなりません。それなのに――」
 ――――――――!
 突如クザラスは、違和を演算に感じる。
 それは何かあった、ではなく。何もないがある。いやあった。
 そこに連続し続ける空漠を見出した。
 この先にある、あちら側とこちら側の岸を繋ぐ大きな橋――そのこちら側の根元。何もなかった。いやあり続けている。
 シンと空気が張る。体の横を、切り裂けるぐらいに細かな空気が線を張っている。
 体が強張る。下手に動けば一瞬で体がばらばらになってしまいそうだった。
 慎重に、線を裂くように少しずつ歩む。歩む。歩む。そして。
 駆けた。
 これは証明だ。黒を以てカラス無しにカラスを導く。
 この先、何があるかはわからない。変わりようのない過去という事実の演算が、変わり続ける未知を示していた
 ばくばくと、心臓の音が外にまで漏れる。うっかり空気に触れて裂けてしまわないように、その動きは闇夜の風に溶けていた。
 もはや考えるだけの余裕はない。一刻も早くその先にあるものを見ようとする。
 開けた場所に出る。迎える夜風が流れる。真っ黒な河が流れる。
 空気も開け、一切の張りつめたそれは、河の流れに押し負けている。
 だが交わる、こちら側。橋と、空気と、河のその場所――。
 それは、橋の根元だった。
 辺りには誰もいない。だが確かにいる。
 それはクザラスの妹、スイン・ジート。
 そこに人型だけが在った。


03 Case.現は在るか。
 そこには――――
 少女が座っていた。リーカと同じぐらいの歳。恐らくは多少年上の、少女だ。それが俯いて座っていた。
 だが。
「――あなたは、誰」
 次に口を衝いたのはその言葉だった。
 それはリーカの姉、スイン・ジートではない。スインという人物は、もっと…………?
 ――どんな顔、してたっけ?
 リーカが発した言葉を聞くと、俯いた少女はその声の主の方を向いた。
 やや凛々しい顔つき。スインに似ているが、スインではない、恐らく。確証は持てないが、断定はできた。
 少女はやや目を見張り、リーカを安堵と不審の、どちらともつかない顔で睨みつけてくる。
「それはこちらが吐くべき言葉。ずっと待っていたのですから――お前、いや、その体にいるお前は。誰、ですか?」
「は……?」
「その体は。お前のものではない、ないはずですよね」
 言っている意味が解らなかった。リーカの頭の中で混乱が渦を吐く。意味不明、理解不能。
「……あなた、こそ。あなたこそあなたは誰なのよ。ここにいるべき人じゃないじゃないの! 私の探し求めた人じゃ!」
「それもこちらの言葉ですよ。いや、私はまだ、待っていただけ……とにかくそう言うのなら。
 私は、クザラス。クザラス・ジート。ジート家の末裔、です。そしてあなたは誰ですか。その、体……スインに似て、非なるあなたは」
 ――違う。
「違う違う違う違う違う! ジート家は、その末裔は! この私リーカと、姉のスインだけで――」
 ――クザラス・ジート? その呼び名は聞いたことが、聞いた、聞いていた。それはいつ?
「違う! リーカなんていません、ジート家はクザラス、スイン。過去と現在をそれで司り演算し――。
 いや、もしかして、もしかしなくても、お前は……」
「…………私は、未来。
 そう、私はリーカ・ジート、未来を演算する者」
 クザラスの言葉を聞いて。
 そしてクザラスもリーカの言葉を聞いて。
 ある答えを導いた。
「そうでしたか。リーカ、お前は……」
「――ええ、私は」
 それは何らおかしくない導きだった。因と縁があれば果を導くように、過去と現在があれば、残りは未来だ。未来と現在があれば、残りは過去。
 明らかに欠如していた。ジート家は時を司る。なのに未来だけが無い、あるいは過去だけが無い、等と。
 そしてそれは導いた。
「私の中にいた、別の人間なのですね」
「あなたの中にいた、別の人間よ」
 リーカは思い出した。自分が元はクザラスの中にいたと。リーカ の中にあった情報としての記憶は、全てクザラスが得ていたものだとも。
「何故、スインの体にいるのですか。スインを一体どこへ」
 クザラスは、その表情にほころびを浮かべながら再度問いかけてきた。
 そしてリーカは、導いた答えともに全てを思い出していた。欠けていた記憶、忘れていた記憶。なぜスインの体にいるのか、スインは一体どこに行ったのか。
 リーカは、その苦痛に顔を歪めた。知らねばならなかった、知りたくない記憶の答え合わせ。
「スインは、スインなら。
 ――もう、死んでる」
 クザラスの凛々しさはすでに消えた。
 リーカの動揺も無くなった。
 それは既に知っていた筈だった。知りたくなかったからと隠したか、それともただ隠れていただけかもしれない。
 それでも、スインがもう死んでいるという事実は覆らない。
「あ、ああ」
 過去を見ようが見当たらない。未来を見ようとも見つけられない。
 既にこの世から姿を消した、スインの存在は。
「なら、もしかしなくてもこの、ここに在る空漠は。スインが残した、現在を演算し続ける空漠――」
 影だけが残っていた。
 過去になく、未来になく。なれば残るは現在だけ。
 未来から過去に落ちるその一瞬の削り滓(かす)に、スインは能力(ちから)を以て残っていた。
 それが、スイン・ジートの現在演算。連続して移り変わり続ける刹那の一瞬である、『現在』を、捉えるその能力。
 その現在を演算し続ける能力(ちから)は、膨大な時の海の中で、現在という地点にアンカーを打ち、固定する。
 それは彼女たちには捉えられない。現在を演算できないから。
 だが、その本来は在り得ない存在は、過去にも未来にもその残滓を残し。
 それぞれを、引き付けたのだ。
 リーカはそれを理解してしまった。立ったまま、俯いたまま。
 そしてクザラスもすべてを思い出した。失われていた記憶を、隠そうとしていたスインに導かれ。
「事故。そう、事故……私と、スインが。事故にあって、それから、それから……」
 クザラスはそれ以上紡げなかった。
「じゃあなんで。なんで私なの。なんで私が代わりなの! どうして代わりにあなっ……」
 言いかけた言葉をリーカは抑える。
 それは、クザラスも同じだったから。
「…………現在が残るわけにはいきませんでした」
「何で」
「……恐らく。スインは知っていた、のでしょう。きっと私が導いたような結論を。……それは、お前にもあるもの」
 この先に訪れる未来を、過去の清算を。
 リーカが演算したことを、クザラスも演算していた。その為二人はスインを求めていた。
 だが、その二人にわかっていたならば。
 当然、スインも分かっていた。
 それは教えられたのかもしれない。それとも、現在の演算で導かれたのかもしれない。
「知っていたから? 一番必要なのはスインでしょ?」
「違います」
「何も違くない。スインがいないと……」
「必要なのは『スイン・ジート』ではなく『現在』だったのですよ」
「同じこと。スインがいないのに現在なんて」
「いいえ、違います。違うのです。未来と過去さえあれば、自ずと現在が導かれてしまいます。それが、わかりますか」
「……それは」
 クザラスと、リーカは、同じようなことをしてきた。
 それ以外を見る方法、空漠を知る方法。
 クザラスは過去を以てスインの空漠を知り、リーカは未来を以て。
 スインも、同じことをしようとした。過去と未来を以て、現在を演算できると。
「だからスインは、自死を以て私達を出会わせたのです」
「わからない」
「何が、ですか」
「現在が無くなる意味が。過去か未来かのどっちかでいい。それこそ私はいなかったのに」
「……どちらかがいなくなれば。残った方が喜ぶだけです」
 過去が消えれば未来の枷はなくなる。
 未来が消えれば過去が脅かされることはなくなる。
 どちらかが消えれば、残った方が得をするだけだった。
「スインは、それを望まなかったのですよ」
「だから、スインは体を手放したの?」
「そうでなければ、ここにいないでしょう」
 クザラスとリーカは、同じ方向を向く。
 そこには依然として、過去、未来のそれぞれに空漠が存在する。
「スインは事故で死んで、体を手放して。
 おんなじ事故にあったあなたの体から、私が分かれて。
 それで、スインの体に入って、こうしてあなたと出会ってる。
 これも全部、スインはわかっていたの?」
「スインだって、死にたくて死んだわけではないです、よ。少なくとも、そう思っていたいです」
「……そう。きっと。きっと、こうするしかなかったのね」
 ふと、リーカは向いている空漠が、スインが、揺らいだ気がした。動いた気がした。
 ――笑った?
 そして、その空漠がゆっくりと動き出そうとするのを演算した。
「待って!」
 そう叫ぶと、ゆっくり動き出す。止まることもなく、ゆっくりと、橋の上を進み、対岸へ向かう。
 慌ててリーカは追いかけようとした。だが、その肩をクザラスにつかまれる。
 振り向くとクザラスは、こちらの顔を見ながら首を横に振った。
「追いかけてはなりません。あちら側へ向かうのは」
「――――わかって、るわ。無駄には、できないものね」
 リーカは体ごと振り向いてクザラスと真正面から向き合う。
「務めを果たしましょう。私たちは、この為に生まれてきたのだから」
「……ええ。過去と、未来で。現在を導きましょう」
 日は段々と陰っていく。白と黒の間の黄昏(たそがれ)が、二人に見えないスインを照らす。
「私たちは、元は二人で一人だったのだから。
 これで、元通り。お互い守りたいものも守れるわ」
「わかっていますか」
「当然。何も私が消えるわけじゃないし」
 未来は一で過去は零。その間の現在は形を持てない。
 だからこそ過去と未来がある必要がある。
 二人は手を合わせ、互いの額と額をくっつける。
 そして、願い、思い、祈る。
 未来と、過去と、現在と。
 全てを繋ぐ世界とを。
 そうして。
 過去と未来は互いの体に溶け合った。
 黄昏(たそがれ)に、照らされて。


04 静かに観るモノ
 ――にて、行方不明だったクザラス・ジートを発見。夜中であるにもかかわらず、そこで呆然と何かを見つめて立ち尽くしている。
 立ち尽くした後、そこに座り込んでじっと道の方を見つめていたり、俯いたり等をする。誰かを待っているようだ。
 翌日の昼、そこに死亡したはずのスイン・ジートと思しき人物を発見。クザラス・ジートとスイン・ジートが接触を始める。
 長い間二人で話している。詳しい内容は別データを参照。
 二人が話し終わっ――
「盗み見るとは、感心できませんね」
「――――っ! ……これは、どうも。もしかしなくても、バレていましたか」
「ええ、どうも。わかっていましたよ。そして、お前が何者かも」
「なら、話が早いです。わかっているのなら、私らがあなたを、あなたの能力(ちから)を欲していることもご存じでしょう。どうかご協力を。私らとあなたの目指すところは同じはずです」
「ええ、一緒ね。協力するのも悪くはないわ。でも、まだその時が来てないのよね。あなた達が危険視してる問題の前にね、もう一つ、いえ二つかしら。とにかく待ち受けてる物事を終わらせてからじゃないとその問題は解決できない。
 だから私は、それまで他の事を済ませようと思っているの。協力はその後、約束するわ」
「……わかりました。いつか、来てくれるということですね。
 本部にもそう伝えておきます」
「はい。そのようにしておくのと、それともう一つ」
「何でしょうか」
「私に関して記録している情報、その全てに規制をかけることを願います。
 私と言うカードは、今捕捉され、切られるべきカードではありませんから」
「――ええ、そのように」
「よろしく頼みます。では、また会いましょう」

「…………こちらアファ。応答願う」
『どうした?』
「本人と接触した」
『そうか、バレていたか……それで、なんと?』
「協力はいずれする。そして彼女に関するデータの規制を求めると」
『なるほど……わかった。こちらで処理しておこう』
「ええ、頼む。私のこのデータも処理しておく」
『そうだな。よし、他に無いようだったらこれで終わるが。あるか?』
「――――いや。無い」
 そうして、彼は通信を切った。
 ただ、一つだけ伝えなかった。
 ジート家の末裔は、ただ一人だったということを。

 こうして、クザラス、リーカ、スイン。それぞれの物語は纏まり、文字通りの一つになった。スインはいなくなり、クザラスとリーカがそれを補うように形を変えた。
 現在は失われず、そうやって演算され続ける。
 だが、この時代はこれだけでは守れないだろう。
 いくら現在の演算が必要だからと言って、それ単体で時代を、世界を救えるほど万能ではない。
 だからこそ、彼女は待つしかない。揃った因を、果につなぐための縁を。
 二度に渡る危機を超えたその先に、きっと、異なる現在が導くことだろう。
 現在は、それほどになくして全てが繋げられない大切なモノである。
 過去と未来を。昨日と明日と。
 今まで生きてきた物語を生き証明し、未知の世界へ書き込む唯一の方法。
 現在の肯定は、今まで生きてきた、そして生きていく全ての肯定なのだ。
 故に、現在を肯定すべく、全力を尽くしていた。
 けれど、これより先は最早形を失ったモノがでしゃばる所では無い。現在の全てが未来と過去に託した今では、これ以上語るべきことも無い。
 もうその期間は過ぎさってしまったのだ。ならここに留まってアンカーを打つ用も無い。
 これより先は彼女の、もしくは他の誰かが紡ぎ、物を語る場になるだろう。
 

 さて、あとの期間は静かに、この世界の、時代の運命を見届けることにしようと思う。
 今の私は、こうして私が最期に遺した物を、区切るだけの役割、であるから.

静観するピリオド 終

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?