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奥鬼怒雪見風呂(加仁湯)

厳冬、秘境の雪見風呂を楽しむため、奥鬼怒温泉郷の『加仁湯』へ行ってきた。ブロンプトンにはスパイクタイヤを装着して、雪におおわれた奥鬼怒スーパー林道を往復14キロ走行する。

[走行データ]

早朝の東武電車快速で奥鬼怒を目指す。途中停車した下今市の駅から日光連山がくっきりと見える。奥鬼怒はあの山々の向こう側にある。

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鬼怒川温泉駅でバスに乗り換えて1時間半、終点の女夫渕についた。奥鬼怒温泉郷の入口であり、尾瀬(大清水)に通じる奥鬼怒スーパー林道の起点でもある。

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一般車立ち入り禁止の奥鬼怒スーパー林道だ。全線、厚い雪に覆われている。ゲートをくぐって出発だ。

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目的地の加仁湯まで7.2キロである。最初の3キロが非常にキツイ坂道だ。但し除雪は十分になされているので走りやすい。

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関東とは思えない雪の多さだ。標高は1300メートルを超えている。高度があがってくると息が苦しい。気合を入れて進む。

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シュワルベのスパイクタイヤが高性能を発揮している。

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雪景色の中に、加仁湯が見えてきた。

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加仁湯に着いた。屋根の雪が凄い量だ。鉄筋コンクリートの建物なので大丈夫だが。

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受付を済ませる。一部の源泉の出が悪くなっており、第二露天が休止中とのこと。かまいません。目当ては第三露天ですので。

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第三露天風呂には、既に八人も入っていらしたので最初は遠慮していたが、そのうちオジサン連中(三人)だけとなった。しばらく世間話の後、お願いしたら快諾して下さったので人物が写らないように撮影させてもらった。人気があるのも頷ける。この雪見風呂の雰囲気は最高である。

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見上げれば、雪景色の崖にまるで氷柱の如く凍てついてしまった滝が見える。厳冬の奥鬼怒らしいダイナミックな景観だ。

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それにしても良い湯加減だ。いつもの炭酸水を飲むとするか。

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帰途、バスの中から、奥鬼怒の山並みを撮影した。雪見風呂もさることながら秘湯への雪道ライドの非日常感が素晴らしかった。冬にまた来よう。

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奥鬼怒温泉郷
奥鬼怒温泉郷は鬼怒川源流の谷あいにある。奥鬼怒の八丁湯は江戸時代の天保年間、かに湯は文政年間の発見とされる。奥鬼怒スーパー林道が1988年に開通するまでは交通アクセスも徒歩に限られ、容易に訪れることのできない秘境であった。宿に電気と電話が引かれたのはスーパー林道工事中の1986年になってからであり、それまではランプや自家発電の宿であった。但し、奥鬼怒スーパー林道開通後も日光国立公園内に有ることから一般車の往来は禁止されている。加仁湯と八丁の湯は女夫渕からの宿泊者のバス送迎を行っているが、それ以外は徒歩かブロンプトン(自転車)でのみアクセス可能である。(注:地元の川俣タクシーは通行可。)
加仁湯の歴史
沢蟹が無数に生息していた渓流沿いに温泉が湧き出ており、江戸時代後期から湯治の湯として使われてきたという。明治時代、「蟹湯」と名づけたのは初代の小松峰吉さんだ。山男だったらしい。その後、鬼怒川の川筋が変わるほどの土石流で源泉が埋没してしまったが、源泉を掘り起こして改めて1934年(昭和9年)に湯宿を開業した。しかし孫で後継ぎを期待された長久氏が陸軍軍人として出征してしまったため、戦時中は無人となっていた。戦後、復員した長久氏が見たのは、思いがけず山男たちによってきちんと維持されていた湯宿であった。そこで、山男たちから「仁」、すなわち「仁(ひと)の道」を加えてもらったことから、名を「加仁湯」と改めた。1988年のスーパー林道開通時に鉄筋コンクリート4階建ての本館が竣工した。奥鬼怒の厳しい自然の中、この建物のおかげで宿泊客のみならず加仁湯を支える方々の生活環境がどれだけ改善したかということにも是非思いを巡らせたい。