音
わたしは音が好きである。
ボーリングのピンを倒す音、コーヒーを淹れる音、拍手の音、キスする時の音、木々が揺らぐ音。
自然に有る音すべてが大好きです。
しかし、嫌いな音がある。
心の中で起きる音。
例えば、心が折れる音である。
絶望する時、別れが来た時、取り返しのつかないことをしてしまった時など、耳には聞こえないが、心の中で感じる音がたくさん存在する。
この音を、どうにかして好きになろう好きになろうと思っていた時期があった。(馬鹿馬鹿しいことだと気づいたのはまだまだ先の話である)
「平日を愛せることができれば、休日をもっと愛せる。」というように、ネガティヴな事象が起きた時のわたしを愛することができるのならば、人生はもっと華やかになりわたしは幸せを感じることが多くなるだろう。と感じていた。いや、今も感じているのだろう。
しかし、嫌いなものを好きになることが、とても難しい。
なにをしていても絶望というものはやってくるし、わたし自身が追い込まれたり考えすぎて自滅したり、絶対に来ないと思っていた別れが急にやって来たりと、予想外のところからの攻撃に、心が折れてしまう。つまり、覇気を纏わずに攻撃を受けているのだ。
そこでわたしは、嫌いな音までも好きになるには、準備が必要だと考えた。
とても難しいことであるが、常に最悪のことを考えて行動する、人に期待しすぎないことを心がける、裏切られる準備、最大のリスク管理を徹底しておくことが大切であるのだ。そうすることで、嫌いな音とも上手く付き合えるだろう。
あれ、こんなことを考えていると、嫌いな音から避けているようにしか感じないな。好きになるなんて無理なのかな。人を信用していないことになっちゃうのかな。それとも神経質になっているだけなのかな。考えすぎちゃうな。好きになろうなんてことは出来ないのかな。好きってなんだろう嫌いってなんだろう。共存はできないのかな。ああ仕事嫌だな。最近彼女と連絡してないな。ああしんどいな。あ会いたいなあ。生きるって何かなあああaaa.a.,.?....
たくさん準備をしていたはずなのに、内側からの攻撃には耐えることができなかった。
周囲の音が遮断され、心が折れる音がきこえてきた。