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純文学屋さん


僕はこの度、個人的な理由で引っ越しをした。

何もないから広く感じるだけの部屋。

荷解きを済ませ、カーテンを付け終え、カップラーメンを食べた。

新しい街でうまくやっていけるかわからないけど、とりあえず散歩でもしようと外へ出た。

『〇〇の秋』と形容するには少し暑い日だった。

雲だけが気持ちよく流れていた。

一番近いコンビニを見つけて、そのあとで一番遠い清掃工場の煙突を眺めた。

地元の人だけが参加するイベントの日が近いみたいで、そのポスターが商店街にはずらっと貼ってあった。

僕はポケットに手を入れて歩いた。僕はいつもポケットに何かを入れているのが嫌いだ。手を入れて歩くから。

いろいろなお店があっていろいろな落書きのシャッターもあった。

物書きとしてはやはりこの街の書店を見つけておこうと思い、探した。

歩いていると、はたして、それらしきお店を見つけた。入り口のあたりで親父さんがハタキでなんかしている。純喫茶ならぬ、純書店の感じがすごくする。このご時世なかなか貴重だ。

店の前まで来ると看板には純文学屋と筆書体で書いてあった。

僕がぼんやりと看板を見上げていたら親父さんが声をかけてくれた。

「お客さんごめんね、今日は時化でいいの全然なくて」と、ちょっと申し訳なさそう。

「純文学しか置いてないんですか?」

僕は店の中を覗き見ながら尋ねた。カウンターが設置されている。確かに本は少なかった。

「まかせてもらえればそれなりのをコースで出しますよ」

“じゃあ、おまかせで”って言える立場にない。今の僕は。

「純文学をですか?」

「お客さん、逆に純文学って何ですかね?」

純文学的な切り返しではあった。でもここは純文学屋さんではないのか。なぜ聞く。

「細かくはわかんないですけど、とにかく美しい表現の文章のものだと思いますけど……」

「まあ、お入んなすって」

中に通してくれた。

す、寿司。

中は回らない寿司屋さんの造りだった。

壁に掛かった木札に書かれてる値段は全てが『時価』だ。

本を時価で売るのは斬新ではある。

僕はカウンター越しに親父さんと向かい合って座った。親父さんはハチマキをした。

「あいよ」

『純文学読み比べ』的なセットが出てきた。

“炙り純文学”とかじゃなくてじゃなくて本当に良かった。

「脂の乗った作家さんが書いたものはほんと舌の上で溶けますよ」

何をどう解釈すればいいんだろう。

注意書きをよく見たら、『読み残しの場合は罰金』という衝撃的な内容の表示があって二度見した。

そもそもポッケに何も入れてないのでお金もない。

とにかくきちんと読み切らないとダメみたいだ。

僕はカウンターで姿勢を固めたまま読み始めた。

有名人のサイン色紙とかがもっとあるかと思った。

他に客が来そうもなかった。純文学とは読者に媚びることなく美学を貫くものなので尚更だ。

親父さんが僕の様子を見ながら次の段取りで手が忙しそうだった。

できれば僕も純文学のように生きてみたい。

たぶん、

僕はこの街でなんとかやっているだろうと思った。



                      終

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