無人駅で出会った小説
どこかに行きたかった。
わかってくれる人もいると思うけど、どこかに行きたいときってどこにも行き着けなかったりするもんだ。
そんな時は自分の住む街を深掘りするべきなのかもしれない。
子供の頃にそんな感じのことを教育テレビから学んだ気がする。
そしてあの名文句が雲のように空を流れる。
知らないことが
おいでおいでしてる
出かけよう
口笛吹いてさ
単調な毎日のつまらなさについては確か教科書にはなかった。
『知らなくていいもの図鑑』みたいなのがないのは、きっと見たら知ってしまうからだろう。
僕は外に出て歩き出した。
本当にどこかへ行きたいときは天気はそれほど関係ないものだ。
すこぶる快晴。
勝手知ったる街をマイペースで歩く。
子供の頃に比べれば自分の住む街のスケール感というものは随分と小さくなったものだ。
気をつけていないと簡単に次の街へ出てしまう。
だからというわけじゃないけど、
いつも曲がらない角を曲がった。
そこでぶつかった。── 知らないことに。
おや?
駅?
てか何線?
線路と古びた駅舎が、その他の背景と時代背景を全く無視した形で現れた。
だからシンプルに驚いてしまった。
あまり教育テレビ的な展開とは言えない。
どうやら無人のようだ。
まさか自分の街に無人駅があるなんて知らなかった。
最近開通したとある。
最近できたの?だとしたらあまりにも高輪ゲートウェイ駅あたりとは対極的だ。
古びた駅舎。昔の新しかった頃の駅舎を写した古い写真が飾られている。でも写真自体が古くてよくわからない。逆に新しい。若者ウケを狙ってこういう作りにしたのかもしれない。
掲示されている時刻表の下の広告が昭和レトロすぎて不安になる。
時刻表通りにほんとに電車が来るんだろうか。
待合室のベンチに腰掛ける。座り心地は硬め。
ふと見ると本棚に小説があった。棚の上には“ご自由に小説をお読みください”と書かれてある。雑誌やマンガは棚に一冊もなかった。
僕はおもむろにそれを手に取り、埃を払った。
採光のいい作りの部屋なので、とてもその小説が映える。
本のタイトルは、
『時刻表』。
え?
小説じゃないじゃん。
しかし、その本は昔のよくあった時刻表の分厚いあの本とは違う感じだ。紙質からして違う。きちんとした上質紙だ。
本を開いて中を読んでみる。
印象は一転した。
それは確かに小説だった。
でも同時にそれは時刻表でもあった。
なぜならそれを読むことによって僕の中に足りなかった時間が補完されていくのがわかったからだ。
自分の心の中に時間となって吸収されていく小説を僕は初めて読んだ。
僕はその無人駅の待合室のなかで座ったまま、時を忘れて読み続けた。
知らないことが
おいでおいでしてる
出かけよう
口笛吹いてさ
読んでいるあいだ、その駅に誰か人がやってくることはなかった。
もちろん電車も来なかった。
ふと気づくと、
どこかに行きたいという思いがなくなっていた。
無人駅は僕一人を含めて無人だった。
コンビニで住民票をとって帰った。
終