by heart 〜宇宙におけるサラリーマン事情〜
こんな仕事、好きでしてるわけじゃない。
俺はコックピットの中でぼやいた。
一人乗り用に作られた火星産の宇宙船で地球へと向かっている。
静かすぎて嫌になったので70年代のディスコミュージックをかけた。
地球に向かう理由は、数年前の全人類地球脱出時に取り残された人の捜索だ。ここ最近は全く見つかっていない。
俺は火星政府からの委託を受けた宇宙セキュリティ会社の社員としてこの任務にあたる。
給料はまあまあ。火星税が引かれてもなんとかやっていけるくらいだ。地球で終末税を滞納してた人も大勢いるので、そう言う人は延滞遅延金が天文学的な数字になっていると聞いた。
それにしても今日の宇宙は特にひっそりとしている。こんなに巨大な闇なのに。
俺はコックピットのガラス面に映り出されている、ベッド•アップ•ディスプレイの表示を全部消した。
星々の輝きをちゃんと見たかった。
宇宙で一人になると、星の輝きが本当に暖かく感じる。この仕事のおかげでそれを知った。
宇宙の広さの本質は宇宙に出たくらいじゃわからない。きっと宇宙の本当の広さは宇宙の外側に出た時に感じられるんだろう。
感じたはくないが。
ロマンチックなことで言えば、
宇宙では太陽が出ていても星が見える。
つまり、太陽が出ていようが俺はナイトフライトってわけだ。
パネルの上に投げ出した足を組んだまま自動運航を解除した俺は、手動でワープ回避行動をとった。船内ではバミューダショーツを履くことにしている。
ちょこちょこワープ料金を浮かせて、小遣いの足しにしている。
一応、貯金もしてる。いつか火星を出る時のためだ。最近は宇宙暗号資産投資がブームみたいで、俺もしつこく勧誘されてる。
もちろんワープを全くしないとどんなに最新鋭の機体でも3ヶ月はかかってしまうので、ほどほどにしてはいる。
火星が住みやすいかどうか、俺の口からは言えないが、例えば火星のピンク色の空や青い夕焼けを見ても、地球で感じられていたものは感じられなかった。
SF作家が火星をテーマにし始めてからちょうど250年経った時に人類大脱出の大混乱が起こったわけだけど、火星に移ったSF作家たちは今はこぞって地球のことばかり書いてる。
「冷えるぜ、この船内……」
俺は星々を見ながら、片手運転で、抗酸化ビタミンとカルシウムのサプリを飲んだ。宇宙放射線防御と骨量維持のためだ。
火星移住初期の話に戻ると、あの時、人類は宇宙エンジンニアリングを講じて、なんとか火星入植を成功させた。でも実はその影で、人類より先にAIが勝手に入植しそうになってた。そしてそのことに気づいたのもAIだった……。笑い話にしては笑えすぎる。
だろ?
くだらない俺の独り言が本部に聞こえてしまったのか、そこでこの船に入電があった。ボリュームを上げて、ディスコミュージックを止める。
「こちら司令本部。マーズキャット聞こえますか?」
いつものクールな女の声だ。担当だからしょうがないんだけど、ちょっと高圧的なところがあって俺は苦手としてる。
「こちらマーズキャット、よく聞こえています」
俺は模範的に応答した。
余談だが、日本人で初めて宇宙飛行をしたTBSの秋山さんの宇宙からの第一声が、『え?これ本番ですか?』だったのは有名な話だ。
「確認です。各ポイントの予定通過時刻からかなり遅れているようですが、規定のワープ行動を行いましたか?」
「実は、若干の宇宙環境の変化があったのでいくつか断念しました」
「そうですか。わかりました。今後は報告を怠らないようにしてください。もしも虚偽の報告が発覚した場合は火星国家法により厳重に処罰されますので、そのことに深く留意してください」
「わかりました」
この女が人間なのかAIなのかはよくわからない。本社のオペレーターのうち95%はAIとのことだからAIの可能性は高い。
本社はあえてそれをパイロットに教えないようにしている。なぜかというと、広大な宇宙に一人で長期間いる場合に交信相手が常にAIのみのだと精神に異常をきたす危険性があるというデータを持っているかららしい。
だからうちのパイロットはみんな心の中できっとこの女は本物の人間だと思い込むことにしている。俺も新人の頃はそうだった。今はどっちでも良くなった。どちらにせよ苦手な相手だ。
そういえばこのまえバカな同僚が今度の任務の時に自分の担当を口説いてみると言っていた。それでどっちか確かめるらしい。まったく、宇宙空間でやることかよ。
再び向こうからのクールな声がコックピット内に響く。
「出発前に伝わっているとは思いますが、今回は1年ぶりに人間らしき生体反応をキャッチしたわけで……」
「TOKYOのwest42区D -5のあたりですよね。心してやりますよ。ご安心下さい」
俺の周りで人間を見つけた奴なんていない。もう地球に人間なんて残ってやしない。内心はそう思っていた。
ただいつもとは違う緊張があるのは確かだった。
交信を終えた俺はワープ行動に入った。
*
地球圏内入った。
久しぶりに間近でみる地球にしばし見とれた。
でも同時にあの混乱の苦い記憶も蘇った。地球を離れる際のトラウマ的な記憶を早く自分の中から消したい。
青がぐんと近づく。
大気圏突入の時はワープを使った。しんどいからだ。こんなことばかりしてたらそのうち大気圏に訴えられるかもしれない。
TOKYOは夜だった。
ライトに照らされた都心は深海みたいだった。
もっと都心部は廃墟化しているかと思ったけどそうでもなかった。
特に高層のタワマンの周りを何度か旋回した。建物の上の方に見たこともない巨大な鳥が巣を作っていた。
地球離脱用の燃料を残さなければなので、常に残量値を気にしながら飛ぶ。
TOKYOリバー1と2にはもう水がなかった。釣り禁止の看板だけが倒れかかって立っていた。
首都高にはサナギみたいな廃車の動かない渋滞がそのままになっていた。あの時は車で宇宙に行こうとした人もいた。
東京のどまんなかに終末期に突如現れた終末湖は思ったよりもでかかった。その色はまるでソラリスの海みたいなエメラルドグリーン……。
見ていたらブルっと震えた。
握っていた制御棒を倒す。
西へ。
目標地点に近づくにつれて風が強くなった。
到着音が鳴った。着いたみたいだ。かなり郊外だ。
接地行動に移る。強風注意。わざわざこんな遠い地球で接地失敗なんかしたら笑いものだ。このまえ先輩がやらかした時は救助船が来たのは半年後だった。
いろいろな方面から経費削減の指示が出ているらしい。火星の住民のあいだではこの事業に多額の税金が投入されていることに不満を募らせている。
なんとか成功。
全方位をライトで照らしながら確認する。
前方に人工的な大きな岩がありその下に壊れかけた核シェルターが半地下みたいに敷設されている。
ここか……。
計器の数値が乱れた。感度テストしてみると、そのシェルター付近は衛星監視システムの死角になっていた。
例の女から途切れ途切れの入電。
「マーズキャット、報告を怠らないように」
「了解」
俺はどデカい船外服に着替える。ほとんど宇宙服だ。
別に報告しなくても服についたカメラが捉えた映像をリアルタイムで本部も見れている。
念の為、火星銃を持っていく。念の為だ。これを地球でぶっ放した奴はまだいない。だから火星銃。
ラダーをつたって宇宙船から降りて地球に着地。
この一歩は火星人にとっても小さな一歩だ。
用心して近づく。広範囲を宇宙船のライトが照らしている。
今の俺のこの緊張状態を生理モニターであの女も確認してるのが癪だ。
ここから先は通信遮断エリアのようで俺は通信的に切り離された。船に戻った時にまとめて報告すればいい、「誰もいなかった」てね。
あと少しで核シェルターの入り口付近というところで、その緊張が爆発する出来事が起こった。
何かが当たってライトが全て消えた。
え⁉︎ なんだよ⁉︎
俺は銃を構えた。想定の範囲外だ。
──暗い。が、月夜のおかげでだんだん目が慣れてきた。
するとそこに誰か立っていた。
ひと……。
中年の男性のようだ。昔流行った服を着ている。
髪が伸びていて強風で靡いてる。
無抵抗というポーズを取ったので、ホッとして銃を下ろす。
「荒っぽい事をして申し訳ない。そのカメラに映りたくないのでね」
地球で日本語を聞いたらもっと外国語みたいに聞こえるかと思った。
「俺が何をしにきたかわかっているのかい?」
「ええ、もちろん」
彼はとても紳士的な態度だった。髭はきちんと剃っているみたいだった。
普段着の相手と宇宙服を着て対峙していることが著しく敬意を欠いた行為のように思えてきた。
「では、いっしょに火星へ行ってもらえますね」
「それは困る」
それは 困る?
彼の目がはっきりと見えた。俺じゃなくてもっと大きなものを見ていた。少なくともそういうふうに俺には見えた。
「我々は地球から逃げ遅れたかたの救助を国から委託されて……」
「私を救ってくださる気なら、どうかこのままこの星に置いてください」
手を合わせたままで男はその理由を説明してくれた。
男はかつてここでたくさんの家族やペットに囲まれて幸せに暮らしていた。それがいかに幸せな暮らしだったかを隈なく話した。
でもあの混乱の中で全ては消えてしまった……。
だから、思い出といっしょにここで生きていきたいのだ、と。
その権利を奪わないでほしい、と。
もはやこの地球の環境下では長く生きられない。それは重々承知のはずだ。
聞いてたら、『故郷』という言葉と『惑星』を繋げる感覚が自分の中に蘇ってくるのがわかった。ずっと押し殺していたものだ。
結局、正義はどこにもなかった。ただ単にそれを見つける前に地球が終わっただけなのかもしれない。
あの時……、
地球脱出順を巡って世界大戦が勃発したあの時……、
俺もいろいろなものを失った。
幸せを掴みかけてた。
でも、もうない。
俺は男に火星産のタバコを勧めた。すごくまずいタバコだが、地球で吸ったら美味いかもしれないと思い持ってきたものだ。
男はゆっくりと受け取って口に咥えた。
火星銃でお互いのタバコをに火をつけて吸った。
まずかった。
夜空には星が瞬いている。今ならTOKYOでこんなにも星が見れる。
男の気持ちが痛いほどわかった。
もしも発見した人間を故意に火星へと連れて帰らなかった場合、火星国家法で俺も厳しく罰せられる。
タバコを吸い尽くした。
帰る時間が来た。
「それじゃあ、行きますので」
俺は体の向きを変えた。
「感謝します」言い終わるとすぐ男は姿を消した。
風が凪いでるのに気づかなかった。
宇宙船内に戻ると、やかましいくらいに催促の通信音や、警告音が鳴っていた。
わざと焦らしてから応答する。
「こちらマーズキャット、目標地点には人間はおろか猫一匹いなかったぜ」
「きちんとマニュアル通りの捜索行動を取りましたか?」
「俺が読んだマニュアルがマニュアル通りならね」
「あの地点にはかなり高確度で反応があったので、その報告では審議対象となってしまいますが」
「ならその前に、うちの生体反応シンテムの方を審議した方がいいかもね。エラーだよ、エラー」
俺は船外服を脱ぎ捨て、操縦席にどかっと腰を下ろした。
少し間があった。上層部に伺いをたてているんだろうか。AIの場合はこの手のタイムラグはない。
「ではマーズキャット、概ね了解しました。これより火星帰還プログラムに移行します」
「了解」
概ね、ね。
シートベルトがいつもよりキツく感じた。
向こうはまだ何か言いたいみたいだった。言いたいことはだいたいわかった。
「もしも今回のミッションに虚偽の報告があった場合、あなたは火星国家法により厳しく罰せられることになります……、もう一度伺いますが、間違いなくあなたは真正な報告を……」
「虚偽の報告の場合は、だろ!」
食い気味で言ってしまった。悲しみが染み込んだあの男の目を思い返した。
「……、それではプログラム移行のサポートに入ります。安全な帰還をお祈りします」
もしかしたらこの女は人間かもしれない、と、ふと思った。
なるべく振り返らないように地球を離れた。
地球がどんどん小さくなっていく様は何度見ても慣れないもんだ。
帰り道ではワープを多用した。
地球に何か大事なものを置き忘れた気分になった。
70年代のディスコミュージックをかけた。
こんな仕事好きでしてるわけじゃない。
余談だが、先述のTBSの秋山さんは、宇宙にいた3時間の体験によって、自分が生業としているテレビという媒体が急にいかがわしいものに感じだして、結局は辞めてしまった。
俺はオペレーターに尋ねた。
「ひとつ聞いていいかい?辞めるときって人事課?それとも総務課?」
すると今度は、AIとわかりやすいような言い方で返してきた。
「退職をご希望の場合は人事課へお願いします。人事課は火星にあります」
終