創作の独り言 ボーイズラブについてあれこ
ボーイズラブ
小説には様々なジャンルがあるという話はいつもしていますが、その中でも私がメインジャンルだと思っている「ボーイズラブ」というものに焦点を当ててみましょう。
そもそもこのジャンルは今でこそ大規模な市場を持つ一大ジャンルとしてありますが、実際にはその立場は少し前まではまさに薄氷の如き基盤に乗っかっていました。
そのため、他の小説群よりも癖のある設定や物語が多い印象を受けます。勿論これは、数値的データに基づくものではないので、あくまでも個人的な印象にしか過ぎないのですが、それでも他ジャンルでいけばおよそ突飛な印象を受けるものが私は多かったです。
私はメインジャンルにしたいとは思っているのですが、最初に小説を書き始めたときはどちらかというと、サスペンスやミステリーの方を書きたいとか思っていました。今でもそれはあるのですが、私が創作を続けている最も大きなところは「自給自足」的な側面が強いので、結果的に今のようなふらふらした立ち位置を彷徨っています。
しかしそんな私でも常々、この「ボーイズラブ」というジャンルは書くのに癖のあるジャンルだなーと思っています。
この独り言は、今までの独り言違い、「これからボーイズラブ小説を書きたい!」と思っている人に向けた対象者を持つものになりそうです。
1.ボーイズラブは「現実」と大きく乖離する
ボーイズラブは、和製英語のこの言葉から想起できる内容の物語ですが、その実「男性同性愛者」からは大きくかけ離れた用途が目を引きます。
私は学生時代、主にダイバーシティやLGBTQについての社会学的な学習をしていたので、尚の事この部分が強く感じています。そのため、友達も何人かいるのですが、現実で「ボーイズラブが好き」というゲイの方は、意見が完全に真っ二つになるという印象を受けます。
嫌いな人は嫌いだし、好きな人は好き。まさにそんなイメージですが、これはおおよそ普通の恋愛マンガにおいても同じだと思います。
ボーイズラブが乖離している現実は、決定的に「周囲の反応である」と言えるでしょう。
多くの活動家やインターネットの普及など追い風となる要素は数多あるのですが、まとめて性的少数者の社会的地位はまだまだ十分である(この文脈における“十分”は、異性愛者と同じような制度、社会的な認識等のことを言っています)とは言えません。
ボーイズラブはたしかに、作品としてこのような社会的立場からくる「苦しさ」の表現がされるのですが、ものとしては相当マイルドになっている、または方向性が全く違うなどが往々にしてあります。
ちなみに私は、ボーイズラブ小説において、そのような環境についての詳細の描写についてはちょっと雑で、「面白ければどちらでも」というぐらいです。
これはいつか別の独り言で書きたいのですが、創作におけるリアリティの創出については、正直本当に難しい問題です。実際の現実における再現度が高いのは確かに素晴らしいことなのですが、そこが高すぎて最高につまらないものができても問題です。
なので私は、大きく「面白くかければいいじゃん」という非常に雑な見解を持っています。
しかし、当然ながら過酷な環境に立たされている性的マイノリティ、この中ではゲイの人たちがそこをおざなりに書かれると、「怒り」が生じる場合もあります。
これについては全くもってそのとおりだと思います。実際、人によるとしか言いようがないのですが、この手の話を盛り込んだ映画の描写ですら生温い環境で育ってきた人が多くいるのも事実ですし、二十年も前の話では「親から縁を切られた」というのもザラにあります。
それらの現実を歪んだまま描かれれば、微妙な気持ちになるのは間違いないでしょう。ボーイズラブは確かに、特定の集団に対して大きな支持を得る分野ですが、その裏側にいる当事者の気持ちを蔑ろにした作品を絶対に作ってはいけませんし、また同時に作品として面白いものでなければなりません。
一大ジャンルとして取り扱われる様になった今でもその根底は変えては行けないでしょう。
社会的に難しい状況にある人達を描くすべての分野において同様のことが言えるのですが、ボーイズラブは少々砕けた表現をしても許されるという「軽さ」が空気としてあるのは事実だと思います。
少し過激な話になるかもしれませんが、このボーイズラブが取り巻く空気感は、「アダルトビデオを現実のそれに近いものとして描写する」というものに似ているかもしれません。
男性異性愛者向けのアダルトビデオは非常に誇張、もしくは非現実的な描写がなされます。しかしこれを見て「実際の女子との交際はこうするんだ」と思ってしまう人もいます。勿論女性側はそんなことは思いません。
このような不思議な空気が、どこかボーイズラブにはまとわり付いて、絶対的な現実との乖離が存在していると私は思います。
2.色々あるけど基本的には通常の恋愛小説と同じ
前節で散々難しいことを垂れ流していますが、実際のところ、物語の構成としては通常の恋愛小説と変わりません。時折極端に突飛な物語の起点があったり、結びがすごいものとかはありますが、多く見てきた時点ではさほどの変化はありません。
男性同士だからこその葛藤も、普通の恋愛小説における「思春期の混迷」の代替えとして成立しているところもありますし、本当に表現の方法は千差万別です。
だから、ボーイズラブでもあっても、環境に一定の配慮をしつつも、「面白い」を優先して作られるべきだと私は一つ思っています。
すべての創作は基本的に「面白い」を価値基準にしています。その面白いとは、決して特定の何かを蔑んで生じるものではなく、無限の想像と創造をつなげることだと思っています。
今回は主語を「ボーイズラブ」としていますが、どのジャンルであってもこれは共通していることで、誰かを意図的に陥れる、傷つけるなどの描写で成立している面白さはほんとうの意味で「面白い」わけではありません。
これもまたいつか別のときに独り言にしようとしているのですが、何かを蔑んで作り出される感情は、「面白さ」ではなく、「優越の追体験」です。
それに対して一定の層は共感し支持することでしょう。ですが、それは何一つとして価値のあるものではなくて、意図的に仕組まれた「面白さ」を作らなければ意味がないのです。
創作は自らの想像と、知識、経験、そして楽しさを混ぜ込んで作り出される作品です。
特にこのボーイズラブというものは、それらの知識や経験が逆に人を傷つけることもありうる、ということでこのジャンルはとても厄介だと思っています。実際、私も真面目路線のボーイズラブを作るとき神経を使ってプロットを練っています。
そこが評価の点でもあり、そして失墜の点でもある、不思議な矛盾が揺らぐ中でボーイズラブを作るのだなぁと、私は常々感じていますね。
色々脱線していますが、総合的に見て、「なんか難しいけど、一先ず恋愛している描写を作ればいい」ということでしょう。
男性同士であるという一つの悩みのポイントは、互いを意識させ合う材料として使うことができるので、物語への組み込みやすさや伏線として機能させやすく、作品作りとしては取り組みやすいというのは一つ大きな要素になりますね。
結論
・ボーイズラブは現実とは全く別
・だけど社会背景を前提に書かないと誰かを傷つけるかもしれない
・でも普通の恋愛
・「面白い」に「蔑み」が入ってはいけない
今回はかなり雑記色が強まっていますが、ボーイズラブについてざらざらと独り言を流していくとこうなるのだと、私自身振り返りました。
本日は異常なり。