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後日談#1
普段はくたびれたスーツで仕事をしている。
デスクワークがメインだが足癖が悪いのもあり、すぐにスーツがよれてしまう。
今の業務内容ではお客さんのところへ出向くこともあまり無い為、どんなに小汚い恰好をしていてもさほど支障はない。
社内に気になる人や美人な同僚でも居れば変わるのだろうが入社してこの方そういったケースは一度も無い。
僕が仕事で綺麗にセンタープレスの入ったスラックスを履く機会は年に一度。新年会の時くらいだ。
しかし、これといった来客も往訪もない平日の今日。
僕はひと際綺麗に着飾っている。
普段ろくに身につけない腕時計、ジャケットの中にはベストを纏っている。
ネクタイピンを光らせ、ピカピカの革靴で出社した僕は客観的に見てパーティーにでも向かうような雰囲気だった。
今日は紗耶香ちゃんと会う日だ。
正直お別れしてから自堕落な生活を送っていた。
Uberで好きなものを注文し、運動もろくにせずゲームばかりの毎日だった。
以前は好きな人と釣り合うようにとスキンケア、適度な筋トレ、ストイックな食事を意識していた。
まださほど時間が経っていないのでルックスの変化はそこまで無いと思っているが、どう見られるのだろうか。
場所は前に行ったことのあるイタリアン。
紗耶香ちゃんが初めて予約してくれた場所だ。
静かで雰囲気の良いところで、とても気に入っていた。
誘ったのはこちらから。
やっぱり好きな気持ちは全然治まらなくて、毎日LINEのやり取りをしている内にどうしても会いたくなってしまった。
今、僕と紗耶香ちゃんは友達としての関係。
紗耶香ちゃん自身も友達として仲良くしてほしいって自分から言ったもんだから断れなかったのかもしれない。
でも嫌われてはいない。そう思うだけで気が楽になった。
男は単純だからLINEに♡が入っているだけでソワソワする。
ここ最近やたらハートが目に付くのだ。
前もそうだったか確認したいけど、別れる直前のやり取りを見たくないから遡れないでいる。
彼女は実際僕のことをどう思っているのだろう。
正直な心の内を知りたい。
でもそれを聞くのは今日じゃない。
そんな気がしている。
焦ったら負けだ。
一度終わっている関係。
下手を打てば今後食事に行く機会すらも作れなくなる。
今日はお互いの近況を話すところまで行けたら合格と思っている。
流石に無いとは思うが彼氏の有無や恋をしているのかなんかが聞けたら嬉しいなって。
僕は紗耶香ちゃんが誰かと結ばれた時、初めて諦めがつくような気がしている。
これまでの人生で別れた人と会うことは一度も無かった。
偶然ばったりといったケースすらない。
中学生で付き合った子とは別々の高校に行った後に別れた。
高校生で付き合った子とは別々の大学に行った後に別れた。
大学で付き合った子はそもそも別の学校に通っていた子だったのであまり会うこともなく、社内恋愛で付き合った子も別れる頃には会社を辞めていた。
それぞれ後から連絡を取ることも無く、一切の未練を残さなかった。
人生初の未練だ。
紗耶香ちゃんには初めての経験を沢山させられている。
正直みっともなさ過ぎる別れだった。
思い返せば顔から火が出るほど恥ずかしい。
大の男が涙を流して引き留めているのだ。
それでも踏みとどまってもらえずに一人残された。
正直死んでもいいやって思えた。
これまでやりたいことは粗方やってきた。
死ぬ前に何がしたいかと言われると中々思いつかない。
じゃあ何の為に生きてるんだろう。
紗耶香ちゃんと普通の暮らしを送ることを新しい夢としていた僕は何もかも見失っていた。
でも彼女がこの世から居なくなったわけじゃない。
可能性が潰えるまで僕はしがみつく。
そしてその可能性を拡げるためにまた僕は動き出し、食事にいくところまで漕ぎつけたんだ。
焦らず一歩ずつ。