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大人になってわかった、勉強させられる意味

大人になったので分かりました。

なぜ母親があんなに勉強しろ大学行けと言っていたのか。

勉強する意味は一つではありません。無数にあります。

そのうちの個人的に重要な気がするいくつかを紹介してみます。

  1. 競走させられている

  2. 教養を身に付けさせられている

  3. かなり意味が無い資本主義の弊害としての勉強、教育

  4. 本当の本当に意味のある勉強とは、本人の自由意志で学ぶ学問(超少数)


1番目に、競争させられているについてです。

子供も大人も競争させられているんです。

資本主義国家とはそういうことです。

勉強なんて意味無くね~?笑とか言ってしまうガキの皆様には分かっていただけないでしょうが、世の中の人間は生まれた瞬間からレースの中に放り込まれています。

勉強するのは、ひとえに言って学歴のためです。

学歴さえあれば、大手企業への挑戦チケットが貰えます。

学歴がないと原則貰えない、金色に輝くチケットです。

なんせその使い道によっては、あなたの生涯年収が億単位で変わってきます。

でも冷静に考えて、誰彼かまわずそんな黄金チケットを配る訳にも行きません。

大手企業たって無限に金と人間があるわけではないので、面接するにも面接官の給料が必要です。

ある程度、配り先の選別が必要です。

そこで便利なのが学歴フィルターなんですね。

では企業はこのフィルターを通してどんな人を雇いたいのでしょう?

学歴が高いやつとはどんなヤツでしょう?
それは勉強ができるやつです。

では勉強できるために必要なことは何でしょう?

色々ありますが、僕が注目したいのは「やれと言われたことをやりたくなくてもやる力」です。

これは能力です。「やりたくないけど本気出せばやれるから笑」とかそんな無能の常套句は社会では通用しません。

学生の本分は勉強なんて言葉すらあります。

学生は勉強すべきという風潮が、これでもかというくらい日本社会には蔓延っています。

それを察知して、やるかどうか。

この力を、法律で守られて働かせることの出来ないガキ様達に競わせてるのです。

もちろん、社会に出たら実際にお金が稼げるかどうかで競わせればいいので、そんなまどろっこしいことは必要ありません。

意外とこの、「やれと言われたことをやりたくなくてもやる力」が無くても、金を稼げる人はいますからね。

でもそういう人たちはほっといてもお金稼ぐので問題ありません。勉強とかしなくていいです。

ただ特にこの、「やれと言われたことをやりたくなくてもやる力」がある人っていうのは、資本主義社会では重宝されます。便利ですから。

しかも重宝されるので、逆に言えば他がなんにもなくてもこれさえあればお金を稼ぐことは結構できます。

そういう便利な能力を測る指標として学歴があって、ガキ様を擬似的に社会のレースに参加させているのです。

子供さんはお金を払う側にしか立った事がないのでこれはかなり実感がしにくいと思います。

社会はあなた達を試しているんだと。

生まれた時から試されているんだと。

そして、ダメだったやつはダメだったやつとして、なんとか生きていくしかありません。

本当にどうしようも無くなった時、死ぬしか無くなった人を日本は一応助けてくれる制度があります。

それが社会福祉とか、社会保障とかそういう概念です。

だから、日本はかなり優しい方だと思いますね。

僕は日本以外の国に住んだことないですけど。



2つ目に、教養を身に付けさせられている、です。

これは岡田斗司夫さんという人が言っていて、感銘を受けたので話します。

教養という単語の意味でググると、学問を収めることにより生まれる心の豊かさみたいな意味が出てきます。

これはかなり一理あるなと思いました。

例えば僕は、高校数学で数学が嫌いになりました。

それで必要十分条件?がなんたらみたいな単元くらいから数学はずっと寝てました。

数年後、大学の友達が会話の流れの中で、○○は十分条件で、××であることが必要十分条件なんだなwって発言してその場で爆笑を掻っ攫っていました。
当然僕には意味がわかりませんでしたが、空気に合わせて笑っていました。

僕は高校数学を諦めたせいで、人生において非常に大切な、「友達と意味の無い会話で笑い合う」機会を1回損失しました。

その他にも、数ヶ月前、友達と一緒にアマゾンプライムのウォッチパーティ(今はなくなったらしいですが、同じ映画とかを別々なパソコンで同時に見れる機能です)をしました。

ダンケルクという映画で、第一次世界大戦かなんかを舞台にした戦争映画です。

その時、僕は初見で友達は何回か見た後だったのですが、歴史の様々な知識で映画のワンシーンの背景知識を語ってくれました。
その知識があるかないかで、結構見方も変わってくるような内容でした。

友達は初めて見た時に調べたらしく、僕も同じく調べて感傷に浸ったりもしました。

この映画も、最初から歴史の知識があったかどうかで、感動や理解の深みが全く違ったと思います。


こんな感じで、教養を身に付けると色んな場面で心の動かされ方が変わります。

これは結構、勉強をする意味としてアツい理由だと思います。


3つ目に、かなり意味が無い資本主義の弊害としての勉強、教育について話します。

これは簡単で、ガキ様が勉強させられているのは、シンプルに大人の事情であるということです。

意味なさそうな教科書も、それを印刷する工場の人の食いぶちになっています。

チョークも黒板も、机も椅子も。

更にはお勉強するための塾とかにお金を払ってる限り、塾の社員さんはそのお金で食って行けるわけです。

その人たちは当然、皆さんが勉強すればするほど儲かるので、勉強しろ、大学行け、人生安泰になれってしつこいです。本人は本気で言ってる場合も多いですけども。

こういうことは、教育とかに限らず結構身近のあらゆる場所で起こってます。

はっきり言ってあなたたちガキ様たちにはとんと関係の無い話です。

かわいそうに笑。

いや~僕は大人に生まれて良かった~笑笑笑


最後に、本当に意味のある勉強について話します。

それは、本人がマジでその学問について興味があって学ぶ場合です。

こういう人はその学問の知識が必要な職業に就職してい行きます。

特に大学の講義なんかは、社会に出てからも役立つ専門知識の基礎となる場合が結構多いんじゃないでしょうか。

まあ僕は文学部で、源氏物語が原文で読めるようになって社会人の時に役立った覚えはありませんが。

まあこういう意味での勉強をしてる子供とさせてる大人はびっくりするくらい少数派だと思います。



以上が、僕が気付かされた勉強する意味です。

ここからは話が逸れますが、以上を踏まえて結局、別に勉強はそんなに熱心にする必要ないと思いました。

人生2周目があるなら、特に受験でいい大学に行こうとは思いません。

今周囲にいてくれる友人の9割が大学生活で出会った人達なので、むしろもう1回彼らに会いに、同じ大学に行くと思います。

僕にとっては仲の良い友人が居ることが生き方においてトップクラスに重要な要素なので、こういう結論です。


もちろん、勉強すべき理由はまだまだ無数にあります。

さらに言えば、一人一人全く違う理由もあります。

そしてその中には、僕のように勉強するべき理由に気づいた後ですら、まあいいかと思う人もいると思いますし、そうじゃない人も大勢です。

個人的にお祈り申し上げるのは、勉強するにしろしないにしろ、後悔のない選択を、若いガキ様にはして欲しいなあと思うばかりです。





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