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自意識→Delete(いよわ「地球の裏」に関連して)


ぬるくなった魚のような目をしている
強すぎる光でかぶれて腐っていく
あなたのことを見かねてむかえにきた獣
自己の紹介です

いよわ「地球の裏」


いよわはダメだ、質量がデカすぎる。

私の手に負えない。まだ聴くべきじゃない。

なのにいよわのいる方角へ向かうでっかい隕石に巻き込まれて私も地球の裏までいきたいと思ってしまう。強いて言うならアンビバレント、ある人はそれを中庸と呼んだ(?)。

アンパンマンさんの事を考えた。彼も自分の臓器を切り売りして生きているらしい。私はその辺にあった文字を洗濯機に入れて、心をキレイにした気になって、その残骸をここに捨てるだけ。なんて保守的で哀れな自意識なのだろう。インスタはだめ。Twitter(現X)もダメ。もちろんnoteも駄目。この自意識を、自意識を消さなければ。

「(自意識があなたの邪魔をするなら、いっそ全てなくしちゃえばいいのに)」 

自分と関わった全ての人をポエマーにしたい。いや違う、違うな。これはわたしの中のマゾヒズムから生まれたサディズムでしかない。あなたとわたしの重力加速度。そう、自意識を消しなさい。

都合のいい見た目をして
都合のいいことを喋る
けだものを求めたけだもの
乱れのない計測機器が捉えるのは気持ち悪い人
ここはダメだ
居られないと分かりながらそれでもまだ
魂があると言い張るの
口移しの毒を吐き出して
逃げたのは 底のない暗い世界ですにゃあ

いよわ「地球の裏」


いよわさんの曲の歌詞にメタが入ることが多い気がするというかいよわの多くの楽曲のコンセプトがメタなところはあるらしい(注)。この曲は、いわゆる2次元とか萌えカルチャーへのある種の皮肉?を他でもない2次元のキャラクターが語る作品であると解釈した。これは一種の自虐なんじゃないかとすら思ってぞくぞくが止まらない(特に引用部分)。ちょっとは自覚して書いていると思うんだよな。色んな人が抱える葛藤に対するいよわの解像度は高すぎる。感受性がいい意味でぶっ壊れていて同時にそれが天才的技量によって出力されている。これはむしろ、そういうカルチャーへの途方もない肯定かもしれない。だから、「堕ちていきましょう」なんだ。そこに皮肉はあるが、「狂ったふりで誤魔化して」いるだけに過ぎないのだろう。

この文脈で解釈しうる「乱れのない計測機器」とは、インターネットにおける第三者からの賞賛である。それは視聴回数だったり、評価数だったり、ランキングだったりする。

「地球の裏」という楽曲は、猫耳メイド服のおんなの子と一緒にどこまでも堕ちていく歌だ。ブルーライトで霞んでいく視界と治らない頭痛。そこに現れるかわいい悪魔。一度彼女の視界に捕らえられてしまったらもう、戻ろうとも思えなくなる。そんな心象。


次元の異なる安全地帯で「かわいい」と賞賛するだけだったはずのかわいい存在がこんなに怖いのになんでだ、こんなにも連れ去られたいのは。いつだって怖くて強くて賢くて、底抜けに可愛い存在に騙されたいと思うのは人間の根源的欲求なのかもしれない。


やっぱり2次元の女性キャラで言えば、ちょっとサドっぽい子が好きなんだよなと居間でアニメ五等分の花嫁を観る父親を横目に思う。私は二乃推しである。振り回されたいし、なりふり構わず振り回してくるやつの世界に侵入したいけだもの。これは蛇足。


それらしい言葉を書いてみて、誰も傷付けないように気を付けて、ずっとそういう事を考えすぎていたことに気づいて苦しくなってきて、それ自体がとてつもなく傲慢なことだったと思った。曇りのない存在がいちばん苦しいことだってある。でもだからといって敢えて狂ってみるのもそれもまた汚れた自意識だ。沢山の論理で正当化された人間ほど危うい存在はないのだから。いや誰も私ほど私の文章を必死には読まないだろ。


とりあえずネットにおける今の自分があんまり好きじゃなくなっているから色々と1回壊してみて、オワコンになった(と感じた)時にしれっと姿を消そうじゃあないかと。刺さる人に数ミリでも刺さってればいいや(はい、これ自意識)。ああ、()って、自意識だな。


自分の書いた文章を1番好きなのは自分っていうのはnoteを書いていて強く思ってきたところだけれど、自分の書いた文章をいちばん嫌いで批判しているのも自分なんだよな。

わたしなんてクラゲにもふもふが生えた程度のものを愛でる存在でしかないのに。中身と違って魂はないし、ずっとここにもいられない。



ああ、

全てのカルチャーに対する冷笑が止まらない。色んなことに対する懐疑がなくならない。でも人生が楽しくて、やりたいことが溢れて仕方がない。

皮肉だ。皮肉だ。  

ずっとこのまま生きていくのだろう。

このままわがままモードに入ったまま書くと、こういうちょっと暗めの文章に対する、ある冷笑の仕方には納得できないところがある。「メンヘラ」とか「若気の至り」みたいな、発話者に都合のよさそうな語彙が苦手すぎるんだよな。なんかそれは思考停止だろと思ってしまう。それぞれにもっと複雑な内面世界があるかもしれないというのに、心の内をより鮮やかに捉えることを放棄している。ああ!勿体ない。それとも、自分をまもるためかな。それなら仕方ない。
今日の自分厳しすぎるやだ。

"質のいい冷笑=アンビバレントな狂気"

だと思っている節ある。その狂気にはきっと愛とも呼べる葛藤が混じっているから。



ああ、あ、あ。

気持ちの悪い、気持ちのわるい自意識だ。

隕石に潰されてしまえ。

(こんなこといいながら中の人は今日、「テスト期間だー」といいながらいっぱい勉強をして充実した一日を過ごしたらしいですよ。なんて名前の人生なんでしょうね)

さよなら。



(注)
これを読みました


おまけ
※アルコール除菌済


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