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2025年、今年の抱負。
読みにくい注意!
こんにちは、みがるです。
新年あけましておめでとうございます。
2025年ですね。
今年の抱負は、今日を大切にすることです。
昨日と明日の事をあまり考えずに生きていきたい。
過去は捨てろ!いつかなど来ない!
過去の事を考える時間と先伸ばしする時間を減らしていきたいです。
noteにおける抱負で言ったら、今年はもっと伸び伸びとした文章を書けたらいいなと思っております。
というわけで、ここからモノローグ。
わたしが最近考えたこと。
自由と優しさと正しさを求めて生きる。
・自由
自由とは、新しく始められるってことだと思う。
「られる」がミソ。ポテンシャルがあるということ。何も変わることのできない毎日では、自分の中にある慣習とか、価値観に縛られてしまっている。これは内面的な不自由を抱えている証拠だ。
自由は我々に与えられた権利であるらしいが、それを行使するには、自分にとっての「新しいこと」にチャレンジする必要がある。もちろん、保守的な選択をする事も自由のうちに含まれるという考えもあるかもしれないけれど、私にとって変わるということは腐らないために必要だった。清々しく手放したり、正直に欲しいと言ったりできる人になりたい。
それでいて、ご飯とか掃除とか、生活というものもなるべく大切にしていきたい。生の実感。
・優しさ
優しさが何かを与える側だけにあると思っているうちは、独りよがりな生き方しかできない。ふたりの間に何がしかの信頼関係があれば、沈黙でさえ愛になる。優しさはもっと、双方向的なものなのだ。
「普通」の常識に従って生きることが、人類愛なのだろうか。自分の打ち立てたルールに従って人と接することが素晴らしいのだろうか。
否、愛はふたりの間に、もしくはその人が所属する集団における社会的なつながりの中に存在する。
だから、大学生の「普通」に縛られて生きるのも、このまま殻に閉じ籠って誰にも自分を見せないまま終わるのもいやだ。もっとさらされたい。色んな人の考えていることを知りたい。常に柔軟に、エゴかもしれなくても利他的に生きていきたい。たくさんの人の優しさを見つけたい。
・正しさ
愛は、相手や状況によって「こうあるべき」が変化するものである一方で、この世に真理があるとするなら、それは常にたったひとつであると思う。それでいて、それぞれの真理はきっと誰にも分からない。
分からないと知りながら真理を求め続ける態度こそが哲学的であり、科学的であり、私の求める理想の姿だ。無知の知。
これの反対意見として、「正しさは主観によるものだから、真理など求めなくてよい」という考えもあるかもしれないが、私は拒絶する。それでは思考停止に陥ってしまう。
思考する能力がある限り考え続けなければ、社会は、政治は、多数派の無関心に漬け込んで感情を煽る権威に屈することになってしまう。だから、絶対的な真理が存在すると仮定して、考え続けるべきだ。大きなものも私をつくるものだから、そこへの興味を失くしたくない。
世間のニュースに、もっと関心を向けたい。それでいて、noteでも現実でも、発言にはそれなりの責任を持ちたい。
以上、わたしの最近考えたことでした。
こんなんずっと考えていたら気が狂うので、そのへんは柔軟にいきます。全体的にやわらかい人生を求めている気がします。
冒頭に挙げた今年の抱負とこの3つの哲学を大切にしたまま、これからもなんとなく生きていこうと思います。ちょっとお堅い文章になったかもしれないけど、新年の挨拶なのでこんなもんでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今年もどうかよろしくお願いいたします。