ひるまず、うらやましがらず、争わずが身上だという108歳

108歳で現役だという美容師さんが、新聞記事になっていた。

普段は施設で生活している。でも予約が入ると、施設から出てきて、顧客の要望に応じるのだという。
108歳で、はさみを握ることができること。
自分でなくてはと思ってくれる人がいること。
それは本当に素晴らしい。
 
そのおばあちゃんが、大切にしてきたこととして3つを挙げている。

ひるまないこと。
うらやましがらないこと。
争わないこと。

あえてこの3つを挙げたということは、意識していないと失われがちなことだからだろうと思った。
 
最初の1つが、「ひるまない」。
人に圧倒されて、言いたいことが言えなくなる。自分より大きな存在に飲み込まれそうになる。
その時に、きちんとノーを言うこと。

これは、女性として生きているからそうなるのかと最初思った。
でも、年をとってくれば、このひるむ気持ちに男も女もないだろうと思いなおした。

世の中の役に立てなくなる。
必要とされない自分を実感するようになる。
褒められることが無くなり、誰も自分のことを見てくれなくなる。

その時、人はおそらくひるむ。
自分を否定したくなる。
自分の存在が揺らぐ。
自分自身が無くなったほうがいいかもしれないと思う瞬間が来る。

そんな時に、自分で、自分に言い聞かせる言葉。
「ひるむな」。
勇気をもって生きろ。
それは、知らない誰かに対する呼びかけではない。
自分自身への言葉。
 
二つ目が「うらやましがらない」。

これもまた、随分子供っぽい感情だと思った。年をとって、現状が大きく変わらなくなったとき、人をうらやんでも仕方ないではないか。

ずいぶん嫉妬深いおばあちゃんなのではないか。でも、変わらないからうらやましいということはある。

油断すると、自分より恵まれた人がたくさん目に付く。
なぜあの人ばかり豊かな生活をしているのか。
なぜ自分は、こんなぼろ屋に住んで、ファストファッションに身を包んでいるのか。

逆転のチャンスはない。
私の人生はこれで終わっていく。
そう思った時、自分より恵まれなかった人を見て、自分の人生はありがたかった、随分いい人生を送らせてもらえた。

そんな風に思える人は少ない。
あの人がうらやましい。
この人が妬ましい。
そう思ってしまうちっぽけな自分は、絶対に存在する。
 

最後は「争わない」。

年寄りの喧嘩はみっともない。さわやかさのかけらもなく、殴り合った後の友情の芽生えも期待できない。

ただただ、後味の悪さが残る。
喧嘩を見ていた、周りの人からも軽んじられて、いいことは一つもない。

でも年寄りの喧嘩を見ることはしばしばある。
口喧嘩だけでなく、手が出ていることもある。

お互い思い込みが激しくなる。
柔軟に相手を受け入れられなくなる。
言い争いを始めると、その自分の言葉によってもっと感情に火が付く。
恐ろしいことだ。
 
108歳まで、人の中で生きた人は違う。
「ひるまない」「うらやましがらない」「争わない」。
これから年をとっていくと、今思っているより何倍も、こういう感情に振り回される場面が増えるということなのだろう。

うれしくはないな。
でも勉強にはなった。

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