明日が見えない不安
学校でのいじめや不登校。
学力不足。
家族中の悪さ。
家庭内で、自分の居場所を見つけられないこと。
そんな理由で、東横キッズになる子供たちがいる。
子供たちは、ここにいて適当に歩いていれば、声をかけてお金をくれる人がいる。
その日のねぐらも何とかなるという。
でも長く東横にいる子供たちの中には、昼職はどうしてもうまくいかない。
売春をして生活しているうちに、売春で生きるしかなくなってしまったと話すものもいるらしい。
人が高度に管理されつつある。
私はやったことがないが、食事をデリバリーする会社などでは、受取から、配送までのルートまで完全に管理されているらしい。
コンピューターに使われることを受け入れないと、デリバリーの仕事すらできない。
大手の配送会社の倉庫の仕事も、どこにその商品があるかをコンピューターが指示してくるから、人間はそこに行って荷物を移し替えるだけになっている。
そこの部分の機械化が難しいということなのだろうけれど、人とのコミュニケーションが苦手な人が働ける職場が、高度のコンピューター管理になってしまうと、そこでもまた働きにくさを感じることになる。
昔、父親とこんな話をした。
「今の子供たちは、我慢が足りない。すぐに嫌になって逃げだしてしまう。自分たちの頃は、親方は何も教えてくれなかった。蹴られたり、叩かれたりしながら仕事を一生懸命盗んだ。」
そういう親父に、
「でも親父たちの時代は、やがて自分が親方になれるという夢を持てていたんじゃないか。」
と聞くと、親父はそのことを否定しなかった。
若者にとって、苦しいのは今ではない。
今は何とかやれている。
むしろ苦しいのは、未来が見えないこと。
10年頑張っても、明るい未来が想像できない。
間違ったことをやっていても、それを本気で叱ってくれる大人がいない。
失敗しても、それを本気で正してくれる人もいない。
ぬるま湯に置かれて、ただ遠くから見ている目線だけを感じる。
母親や父親も、自分に自信が無いから、家に帰ってこない子供を強く叱ることができない。
あるいは、子供の困りを見ないで、ただ感情的に理想論を押し付けてしまう。
どうしてこうなってしまったのか。
おそらく、今仕事をしている人は、10年も働き続けようとは思っていない。
仕事をさせる側も、この学生が結婚をしたら給料を上げてやらないといけないとか、子供ができる頃までにはなどと考えない。
雇う側が、雇った人の人生を想像しながら雇ってくれた時代はあった。
うちであと5年修行をしたら、あの親方のところでもう少し人付き合いを覚えて30歳くらいになれば一人前。
そういう見守りがあれば、若い頃の大変な仕事は、ステップアップまでの修行時代。
だから大変だったし、だから耐えられた。
今のコンピュータ時代は、年をとって得られた経験が、よりいい仕事をするための武器にはならなくなっている。
経験者は、老害と言われ、社会で片隅に追いやられる。
そんな中高年に、どうして若者を見守る余裕があるだろう。
経験に価値があった時代は、見守りが、それぞれの所であった。
だからそんな人間が人生につまずいていれば、声をかけてくれるのは行政の人ではなく、親方に言い含められた元同期だったりした。
古き良き時代の話だ。