渡邊直子という看護士さん
1981年10月27日生まれ。
日本女性として初めて世界の8000メートル級14座全てに登頂した人。
彼女のことが「クレイジー・ジャーニー」で放送された。
14座の最後の山であった中国の「シシャパンマ」登頂前の密着。
彼女は2024年10月9日にシシャパンマ登頂を果たしているから、その前後の取材ということになる。
カメラの前の女性は、丸顔で、ゴーグルをしていない部分が赤くなった人。
日焼けなのか、雪焼けなのか、凍傷もあるのか。
そこのところはわからない。
でも私が普段テレビの中で見ている女性とは、明らかに異質な存在。
その彼女が、にこにこ笑いながら、ひたすらご飯を食べる。
登山家としての厳しさとか、信条とかをほとんど語らない。
カメラの前の彼女は、ひたすら笑って、おいしそうに大量のご飯を食べる人。
福岡県大野城市に生まれた彼女は、何と3歳から登山を始める。
そして10歳で冬山登山を経験する。
12歳の時には、パキスタンの子供たちと、パキスタンの4700メートルの雪山にも登った経験を持つそうだ。
でも彼女は、高校を卒業してすぐに冒険家として歩き出したわけではない。
福岡県立春日高校を卒業後、長崎大学水産学部水産学科を卒業。
その後、さらに日本赤十字豊田看護大学看護学部看護学科を卒業する。
なんと二つの大学を卒業し、看護師の傍ら登山をしている。
実際のところはわからないけれど、多くの登山家が、多額の登山費用を捻出するためにスポンサーを募る。
多くのスポンサーは、広告費の一部として、登山家の山登りを応援する。
だから時に、無謀な挑戦を強いられることもある。
でも彼女は、基本的な部分を、看護師として働くこと、そして自らの借金で補っている。
もちろん、彼女の登山歴を見れば、スポンサー無くして、登山を続けられないだろうと思うくらいたくさんの山を登っている。
でも登山を成功させるのと同じくらい断念を繰り返している。
彼女は言う。
記録のために山に登っているわけではない。
自分は8000メートル級の山でしか感じられないものを感じるために、山に登り続けている。
それを感じることが、彼女の生きることに直結しているから、それを失いたくないから、何度でも山に戻ってくる。
看護士として稼いで、休暇を取るように山に登る。
結果として登頂を果たせばうれしいけれど、楽しくない状態で登頂を果たしてもうれしくはない。
そうやって登山を続けているうちに、いくつもの日本人女性初、世界女性初などの栄光がついて回るようになった。
生と死を分けると言われるデスゾーン。
多くの偉大な登山家を死に追いやってきた。
凍傷にかかって、二度と山に登れない体になった登山家もいる。
彼女は、そのエリアに何度も足を踏み入れながら、今も生還を果たしている。
断念することは、いくら彼女でも簡単ではない。
多くの人の後押しを受けている。
成功することで、その期待に応えることができる。
それはきっと彼女も同じだ。
でも、彼女が断念できるのは、スポンサーによって登らされているのではなく、自らの意思とお金で登っている状態を守っていることが大きいのだろうと思った。
登頂を成功させる偉大さと同じくらい、断念する偉大さを感じさせられた。
あこがれてしまう女性だ。