"Serenade Promenade"全力感想文-その日、伊落マリーは「〇〇期」を迎えた-
まえがき
現在、NEXON Games および Yostar が運営するソーシャルゲーム「ブルーアーカイブ」にて、期間限定ストーリーイベント「Serenade Promenade」が開催されている。
予てよりPV等にてその開催が仄めかされ期待を集めていたトリニティ総合学園アイドルイベントは、かのキヴォトスに冠たる大清楚博愛献身王道シスター「伊落マリー」がまたも限定キャラとして実装されたこともあり、絶大な反響を以て迎えられた。
むろん、勤勉で変態な先生方はすでにご存じのことだろうし、筆者の観測範囲においては大半がそのストーリーにまで目を通しておられるように見受けられる。
所感
…と、まあ。
これだけであれば、「可愛い人気キャラが可愛い新衣装に身を包んで再登場したらバカ売れした」という、よくある普通のソシャゲ商売だ。はっきり言って珍しくもない。そいつらが売れた理由はちょっと違うだろって? なんのことやら。
だが今回のイベントは、類似の前例と比べ、少しばかり、穏やかでない部類の盛り上がり方をしている。
はっきり言おう。賛否がある。この表現をすると制作陣とお仲間のマスゴミだけが持ち上げてそれ以外の99%がボロカスの評価で埋まっている状態を無理やり賛否両論と言い張るクソ邦画群が想起されるので体感で申し訳ないが注釈を加えておくと、概ね賛8-否2、厳しめに見積もってもせいぜい賛6-否4といったところであろう。
筆者が身を置く界隈が異常に偏っていて実情と乖離している可能性がないとも言い切れないが、ともあれ筆者の認識はこうである。
得体のしれないコウモリ野郎の誹りを免れるためにここで明言しておくが、筆者は明確に「賛」の立場にある。
もっと言えば、このシナリオだけでブルアカにおけるこれまでの数々の不満を対抗戦と下振れクソアロナを除いて帳消しにしてもいいと思えるぐらいには深く満足している。
ブルアカやっててよかった!!!!
…失礼。
相容れないのは要するに
とはいえ、「否」側の見解が全く理解できないわけではない。
少なくとも、彼らが非難の槍玉に挙げる箇所は、いずれも筆者にとって衝撃的に映った箇所と概ね一致している。
即ち。
「否」の立場を表明する者にとっては少々不愉快に感じられるかもしれないが、恐らく。
彼らと筆者は、ストーリーに「感じたこと」自体は似通っているのだ。
ただその「解釈」に於いて、真逆の方向性を取っている。
些細な違い、などと宣うつもりはない。
聖典の解釈違いひとつで有史以来の対立に繋がる例もあるのだから。
ただ単に、これはそういう食い違いである。それだけの話だ。
本題に戻ろう。
上に引用したもの以外にもいくつか先達の記事を拝読したが、やはり「賛」「否」いずれも、その立場をとる根幹はほぼ一致している。
それは…
⚠警告⚠
この先、イベントストーリー"Serenade Promenade"および、絆ストーリー「マリー(アイドル)」の読了を前提としたネタバレ表現が頻発します。
未読の方は今すぐ引き返してください。
以降の文章を読み進めた全ての読者は、上述した内容を了承したものと見做します。
⚠Warning⚠
Critical spoilers including the story of "Serenade Promenade" is incoming.
Go back ASAP whether you cannot accept ALL KINDS OF SPOILERS.
なんで無駄に英語の注意書きがあるのかって? 書きたかったからだが?
実際問題、あんまりここが短いとうっかりスクロールして続きが見えちゃうだろうし、かと言って空白にするのはもったいないから適当に埋めときたいじゃん。なんか書いとけ。
あとこういう取り消し線部と画像キャプションは全力でふざけ倒すから読み飛ばしてくれても問題ないよ。
「マリーの行動が普段と違いすぎる」この一点だ。
これを「彼女の新たな一面を沢山見せてくれた!」と喜びはしゃぐ先生(ex.筆者)もいれば、「彼女がこんなことするわけがない!」と戸惑い怒る先生もいる。これが此度のイベントに対する「賛否両論」の構造である…と、筆者は捉えている。
書きたい放題やりたい放題してたらなんかもうすでに1700文字に迫ってしまっているが、ようやく筆者のキッショいアイドルマリー評をお出しするターンがやってきた。
心せよ。ここからが本番だ。
本題(⚠ネタバレ注意)
間違いなく今回のシナリオにおけるマリーの行動は、多かれ少なかれ先生各位が共有する「清楚で健気な優しいシスター」というイメージを破壊しかねないものであった。
「キャラ崩壊」と評されるのも致し方ない。それは筆者も認めるところだ。
だが、同時にひとつ指摘しておきたい。
当のシナリオライターが、その「キャラ崩壊」について自覚的である点だ。
これは、マリーの行動に対する周囲(主に先生)の反応の描き方から推察できる。
「マリーに、今までのマリーと違った振る舞いをさせている」という意識が無ければ、このような反応をわざわざ描くことはしないだろう。
したがって、この「キャラ崩壊」は明確に意図されたものと判断できる。
もっと言うと、これは決して気まぐれなイメチェンなどではない。
通常版、体操服版を通して描かれてきた「伊落マリー」という人物の延長線上に、ごく自然に導かれる姿に違いないのだ。
復習①(⚠ネタバレ注意)
というわけで、アイドル版登場以前に描かれた「伊落マリー」の人間性について、絆ストーリーから迫ってみよう。
あまりここに比重を割きすぎて趣旨が変わってしまうのも本意ではないので、大筋が掴める程度に掻い摘んで。
まずはここ。
マリーは、他人の助けになることを何より喜ぶ。
それが負担だ、などとは夢にも思わない。
人助けを頑張りすぎて、自分の心身を損なってしまうことまである。
シャレにならないレベルで。
それすらも、「自己管理の不足」と捉える。
つまり、自分がしっかりしていれば苦も無くできて当然だったと考える。
なぜここまでするのだろう?
「人と人は助け合うべき」という強い信条でもあるのだろうか?
そうでもないようだ。
と、言うのも…
これだけ世話好きのくせして、他者の世話になることは極度に嫌うのだ。
「心配をかける」という程度でさえ申し訳ないと感じてしまう。
「断ったほうが迷惑になる」という認識に至って、初めて世話を焼かれる立場を受け入れる。
シスターとしての道に反するから…と当人は語るし、さも「だから自ら抑えているんです」と言わんばかりだが、見たところそんな安直な話ではない。
具合が悪いと聞いたので見舞いに行く…という自然な行為を、そもそも想像だにしていない。
日課のごとく誰かのために祈っておきながら、自分のための祈りはない。
「マリーの人となりを知った他者もまた、マリーの助けになりたいと考える」という当然の道理について頗る鈍感なのだ。
要するに、マリーは自己評価が異常に低く見える。
あるいは、自分を軽んじすぎているように思える。
謙虚と言えば聞こえはいいが、もういっそ卑屈と言った方が適切ではないか。
もう一点。
年頃の少女らしく、可愛いものに惹かれる感性は持ち合わせている。
だがこれも、シスターにふさわしくないという強烈な固定観念で抑えてしまう。
ちょっと周囲を見渡せば、堂々とオシャレを楽しむシスターだっているだろうに。
だが、マリーがヒナタなど他のシスターの態度や装いにとやかく言うようなことも一切ない。
無関心、というわけでは断じてない。
間違いなく頑張っているものとして認めている。認知している。
もっと言えば、自分に対しては決して使わない「シスター」という呼称をあっさり使っているあたり、他のシスターは自分より上というイメージを抱いているきらいがある。
往々にして「他人に優しく自分に厳しい」という性質は美徳として語られがちだが、いくらなんでもやり過ぎだ。
どうして彼女はそうなのだろうか?
あいにくその直接の答えは見つからなかったが、ヒントに繋がりそうな描写はある。
ここだ。
この発言に至るまでの流れも提示する。
果たしてマリーは、何を謝っているのだろうか?
祈りの時間をもっと早くから確保できなかったことか?
べつに先生を待たせたわけでもないのに?
言い訳をしてしまったことか?
先生は気に留めてもいないのに?
そう。
マリーが先生に謝罪する動機など何一つない。
つまり、これは先生に向けるべき謝罪ではないのだ。
ただ、本来向けるべき相手が彼女には見つけられなかったから、反射的に目の前の先生に向けてしまったのだろう。
その本来向けるべき相手とは、いったい誰なんだろう?
…などと考えるまでもない。この場には他に一人しかいないではないか。
伊落マリー、彼女自身だ。
では、なぜマリーはそれができなかったのか。
こればかりは推測するより他にないが、おそらく彼女は年齢のわりに自意識が弱い、あるいは自他境界が極めて希薄なのだ。
結果として、自分というものを客観視できていない。
ならば、「自分に対して謝る」という発想自体に至らないのも当然だ。謝る相手が見つからないのだから。
実際、自分自身に向けるべき謝罪と解釈すればすんなり理解できる。
立派なシスターを目指して日夜励んでいる彼女にとって、言い訳をするなどという「シスターにあるまじき行為」を自分がしてしまうのは看過できないだろう。
積み上げてきた努力を毀損してしまったと、生真面目な彼女はそう捉えてしまうからだ。
他にも傍証がある。
マリーを象徴する言葉。
まさに完璧、流石はシスター。なべて祈りは斯くあるべし。
他者の幸のみ願って捧ぐ、純真無垢なる祈りの手本。
…だが、こうも読みとれてしまう。
他者の幸せと自分の幸せを、区別していないと。
だからこそ、己のためには祈らない。
考えすらも及ばない。
ごく当然の指摘を受けて、心底意外と言わんばかりに。
しかしなかなか利口なマリー、当意即妙の答えを返す。
他者の幸せが私の幸せ、だから私はこれでいい…と。
素敵な精神性だと、筆者も本心からそう思った。
同時に、筆者ごときには理解が及ばない領域なのだろうとも。
それゆえに…恥ずかしながら、ずっと見落としていた。
微かな引っ掛かりを感じていたはずなのに。
今一度確認しよう。
伊落マリーは、自分のウソを良しとしない。
だれも責めなどしなくても、いっそ神経質なほどに。
言うまでもなく、シスターにふさわしくないからだ。
だから。
正直に、自信のない答えであると表明していた。
もしこれが、予め自分で想定し用意していた問答だったなら。
こうはならないはずだ。
毎日欠かさず祈る中で、何度も何度も己に問うて。
その度ごとに、答えを精査し磨きをかけて。
自分なりに自信を持った、確かな結論に至るはず。
つまり。
伊落マリーは、この日、この瞬間まで。
「自分のために祈る」という発想そのものに至ったことがないのだ。
「その発想を持ったことはあるが満足いく答えを出せていないだけ」という線も考えたが、これは棄却した。
伊落マリーは、自然体を保ちながら見栄を張ってウソをつける人間では絶対にないからだ。
予てから悩んで答えを出せていない問題なら、その旨を素直に述べるだろう。
つい見栄を張ってしまっても、10秒もすれば罪悪感に耐え切れなくなり白状してしまう。それをメモロビで見てみたい気持ちも正直ちょっとある。
彼女はそういう気質をしている。
語弊を承知で、筆者が辿り着いた見解を述べる。
実のところマリーは、常人離れした高潔な精神性を有する一方で。
自己形成という点について、あまりにも幼く未熟な少女なのだ。
自分を軽んじているというより、客体としての「自分」をそもそも意識できていない。
だから、自分が心配されるという事象を正しく理解できず、戸惑ってしまう。
一見すると模範的だが、早熟によるものでは決してない巧妙に隠された問題児。
伊落マリーという人物を理解する上で、筆者はこの点を意識していることを主張させていただく。
復習②(⚠ネタバレ注意)
そんな隠れた問題児な彼女も、時折とんでもない問題児っぷりを見せることでおなじみ先生との交流を経て、少しずつ成長を見せている。
甘えたがりな性格を肯定し、先生の前ではそんな部分を解禁するようになった。
「24時間、ずっとシスターでなくてもいい」という割り切りを身につけた。
悩んだ時は、思い切った判断をする前に先生に相談するようになった。
誰かを頼ることに、引け目を感じなくなった。
苦手意識のあった運動に、思い切って挑戦した。
勇気を出して、新たな世界に飛び込んだ。
それは、緩やかな歩みかもしれない。
遅れていると、思われてしまうかもしれない。
仕方がない。それも間違っていない。
だがしかし、それでもどうか、これだけは。
せめて認めてあげてほしい。
マリーは、確かに、すくすくと育ち続けているのだと。
先生として、それを応援しないわけにはいかないのだと。
そしてこの度。
マリーは、記念すべき新たな境地に至った。
それも、急速に。劇的に。
「ブレイクスルー」と言ってもいいほどに。
その先にあったもの(⚠ネタバレ注意)
ここではまず、イベント"Serenade Promenade"シナリオ、および同時実装されたアイドル版マリーの絆ストーリーから、彼女の振る舞いを確認してゆく。
立場も他人も関与しない、自分だけの自由意志に目覚めた。
それまでの自分にはあり得なかった可能性に挑戦した。
周囲から抱かれていた人物像を破却した。
ともすれば狂を発したかと見紛う、衝撃的なまでの変貌も見せた。
ゆえにこそ際立つ、煌めくように鮮烈な自我を、余す所なく解き放った。
こうしてマリーの振る舞いを抽象化してみると、実のところ驚くほどにありふれた、年頃の少女として健全で順当な現象に過ぎないことがわかる。
正確には、一般論としてはやや遅いが、先ほど復習してきた彼女の内面を踏まえれば十分納得できるものだ。
もしピンとこないなら、ここで一旦シンキングタイムを確保していただきたい。
ヒントがてらに繰り返すが。
マリーは「未熟ながらも確かに成長の歩みを進めている、多感な年頃の少女」であることを、念頭に置いてみてほしい。
「清楚で健気な優しいシスター」である以前に。
答え合わせをしようか。
マリーの身に起こったのは。
そう。
即ち。
反抗期そのものではないか。
ごくごくありふれた、しかし人生を左右する一大ライフイベント。
自他の境界が曖昧で、親の意思と自分の意思の区別すらままならない「子ども」が。
他の誰でもない、明確な自己として生きる「大人」に至るための。
得てして突飛で、時として不格好な、何より尊い第二の産声。
大人にとっては当たり前、しかし子どもにとっては未知に溢れた、「自己決定」の領域に。
比類なき勇気を携えて、未踏の世界へ臨まんと。
乾坤一擲こころざす、大いなるその第一歩。
年齢不相応に老成されたかに見える振る舞いの内に、年齢不相応に幼稚な内面を抱きながらも。
少しずつ、着実に。
彼女なりの足並みで、日々の成長を積み重ね。
そして、ようやく。
その日、伊落マリーは「反抗期」を迎えた。
筆者ごときに、他者が抱く感想の良し悪しを評価する権利などない。
ましてや指図するなど、もっての外だ。
だから、これはただの希望。
もしくは、他愛のない願いとして受け取ってほしいのだが。
どうか、心あらば。
その努力と、勇気と、少しばかりの奇跡を讃えて。
マリーを祝福してやってはくれまいか。
彼女は、それだけの困難を乗り越えた。
それだけのことを、やってのけたのだから。
最後…?(⚠ネタバレ注意)
だが、彼女は語る。
「アイドルの私は、今日で最後」と。
正直言うと、このとき筆者は落胆した。
深く、深く落胆してしまった。
そんなのってないよぉ…と口走ってしまったほどに。
最後?
もう、終わってしまったのか?
世界にとっては小さな、しかし一人の少女にとっては月に刻むより偉大なその一歩を、何事もなかったことにして引っ込めてしまうのか?
そうだとしたら…残念だが、仕方あるまい。
初めての自己決定とは、それだけの恐怖を伴うものだ。
思い切った行動ひとつで、思いもよらない事態につながる。
自分が痛い目を見る程度で済めばいいが、他の人を巻き込んでしまったらどうしよう。
恐ろしい。やっていられない。やめようか。
他者を心から思いやって生きてきたマリーならば、そうした懸念も人一倍に大きいだろう。
先生にできることは、生徒の進みたい道を後押しするところまで。
己のエゴで生徒の道を歪めることなど、あってはならない。
絶対にいけない。例外はない。
どんな理由があろうとも、たとえ善意であろうとも。
その一線を越えたが最後、そいつはもはや先生ではない。
だから、こればかりは致し方ない。
今回のように、いずれ些細なきっかけがまたあるだろう。
2回目の挑戦なら、1回目よりは気楽なはずだ。
今回の経験も糧にして、その時に頑張ってくれればいい。
今は、その時を待つしかない。
あるいは、ささやかに祈ろうか。
せめて、どうか、彼女の行く先に幸あらんことを…。
懺悔します。
マリー。
私は、あなたを見くびってしまいました。
あなたは、私の想像を遥かに超えて。
強く。
優しく。
美しい。
さなぎをやぶり蝶は舞う(⚠ネタバレ注意)
結論から述べよう。
彼女は、後戻りをしたわけではなかった。
踏み出した一歩の先に、自分の進むべき道を見出した。
そして、確かにそこを歩んでいるのだ。
アイドルとして歌って踊る彼女は、心底嬉しそうに語った。
皆に歌を披露できることを。先生に応援されることを。
そして、続けて曰く。
だからどうした、よくあるいつものマリーじゃないか…と、早合点する前に。
思い出してほしい、このときマリーは「アイドル」だ。
これまで貫いてきた「シスター」を降りて、自分のやりたいことを謳歌している、絶賛反抗期まっさかりの悪い子なマリーだ。
そんな彼女が。
今更なにかを取り繕う必要など何一つ無いはずなのに。
「たくさんの笑顔を見られることがとても嬉しい(要約)」と。
まるでいつもの「シスター」みたいなことを言う。
一見チグハグなようでいて、実はこのイベントで一番重要なシーンと言っても過言ではない。
つまり。
遅咲きの控えめな反抗期を通して、マリー自身が「やっぱり私の進むべき道はシスターなんだ」と結論づけたのがこのシーンのだ。
このセリフを見てほしい。
あまりに何気なかったので、普通に流してしまいそうになるが。
初期マリーの絆ストーリーを呼んだ記憶のある先生なら、引っかかるものがあるはずだ。
そう。
あのマリーが。
底抜けに親切で律儀で努力家で献身的であるにもかかわらず、その偏執的なまでの敬虔さによって、自分はまだシスターではないと言い張っていたマリーが。
先生に「シスターマリー」と呼ばれても、恥ずかしがって一向に聞き入れなかったマリーが。
周りの困りごとには誰より早く気付いて助けに入るくせに自分のこととなるとてんで見えていなかった、頑固者でわからず屋で、抱きしめたいほどに不器用なマリーが。
今宵、やっと。
シスターを自称したのだ。
これを喜ばずにいられるか?
アイドルとしての新たな自分に徹している時間は、本当の本当に楽しかったのだろう。
メモロビで見せてくれるあの笑顔が、何よりの証拠だ。
フリフリの可愛い衣装に身を包み、キャピキャピしたダンスとともにポップなアイドルソングを歌う。
マリーが追求するシスター像とはかけ離れた、しかし確かに憧れた姿を、期間限定で満喫したのだ。楽しくなかったわけがない。
だが、どうやらそれだけではなかったらしい。
それを示唆するのが、先ほどの一見チグハグなシーンだ。
そう。
マリーを本当に満足させたものとは。
非日常の体験ではなく。
満身に浴びた喝采でもなく。
「たくさんの笑顔」だったのだ。
このとき自覚したのだろう。
シスターではない私になったはずなのに、気付いてみれば、シスターをやってる時と同じことを喜んでいる…と。
結局。
人の幸せを願い、人の不幸を悲しむ、何よりも彼女をシスターたらしめる純粋で圧倒的な善性だけは、アイドルになった彼女自身をしても否定することができなかったのだ。
元々、マリーの在り方は間違いなくシスターのそれだった。
「心意気はすでにシスターそのもの」とは、初期版絆ストーリー1における先生の言である。
恰好も態度も文句なし、ただ自覚だけが追いついていなかった。
何の因果か。
シスターらしい敬虔な態度を貫きながら、その敬虔さ故にシスターを名乗れなかったマリーは。
ベールを脱いで、舞台に立って、歌って踊って飛び跳ねて。
そんなシスターらしからぬ振る舞いに身を投じたことを契機に、彼女は自分の本質に気付き、己がシスターであることを自覚した。
マリーは、アイドルからシスターに「戻った」のではない。
アイドルを通じて、遂にシスターに「成った」のだ。
伊落マリーは。晩成のさなぎは。
自分の羽を勝ち取った。
羽と一緒に、飛び出す勇気も身につけた。
疲れることもあるだろう。
迷うことだってあるだろう。
だけど、それでも保証する。
いつか危うかった君だけど。
今ならばもう大丈夫だと。
そんなときにはどうするか。
君はすでにもう、知っている。
よければ、心ばかりの意趣返しとして。
君のため、祈らせてほしい。
マリーがこれまで積み上げてきた道、そしてこれから選んでいく道。
そこにどうか、できるだけ多くの平和と、幸せがありますように。
さなぎをやぶり蝶は舞う。
未知なる空を羽ばたいて。
それはそれとして(⚠ネタバレ注意)
これで〆ても良かったのだが、もうひとつ言及しておきたいことがある。
アイドル活動の経験を通してマリーは己をシスターとして再定義したが、ではアイドルの方は用済みなのだろうか?
どうやら、そうでもないらしい。
先生の前でなら、マリーは「シスター」ではない「生徒」の姿を見せてくれる。
かつて、そう約束してくれた。
そして今回は。
わがままで悪い子な、シスターにあるまじき自分も。
先生の前でなら、抑えなくてもいい。
そう宣言してくれた。
さらに。
その拡大解釈、とでも言うべきか。
先生の前でだけなら、またアイドルに戻ってもいい。
暗に、そう言ってのけた。
思えば、イベント中に曲選びを手伝ってくれたウタハはこう語っていた。
これを受けて、マリーは何を思っただろうか。
無論、この時はまだ自分がアイドルになれるとは予想だにしていなかったが。
アイドルになりたい理由。
言葉に乗せる気持ち。
伝えたい感情。
誠実なマリーのことだ。
真剣に向き合い、考え、悩んで。
そして答えを出したのだろう。
果たしてそれは何だっただろうか?
あなたは、心当たりがあるだろうか。
…ここまでにしよう。
あとはもう、語るだけ野暮だ。
あとがき
さて、最後に。
このような拙文で頼むのも恐縮だが。
心あらば、どうかこれを拡散してはくれまいか?
こんな代物でもそれなりに時間と手数と工夫を投じてしまった以上は相応の愛着もあるし、何より…一人でも多くのマリー推しに届いてほしいと勝手ながら願ってしまうのだ。
これは、「賛」「否」を問わない。
より説得力のある解釈があるならば、どうかそれを見せてほしい。
破綻している箇所があるならば、その指摘も甘受しよう。
そしてもし、もしこの拙文を通してマリーを好きになってしまった、あるいはもっと好きになれた方が一人でもいるのなら…勢い任せに思い切って久方ぶりに筆を執った、どこかの無茶な大馬鹿野郎の、全ての苦労が報われるというものだ。
特に。
タイトルを「発情期」だの「繁殖期」だのと読んでホイホイ釣られてきた、そこの不埒者。
罪滅ぼしを望むなら、拡散を以てその誠意を示したまえ。
わかったうえでこんなタイトル付けちゃった俺も同罪って話はある。
あーーーーー!
楽しかった!
さぁ、来い! 何とでも言え!
ばっちこい! 俺はここだ!
俺の中のマリー像は!
アダマンタイトやオリハルコンのごとく!
固く硬く仕上がった!
どれだけボロカス言われても!
お前のお気持ちを布巾に代えて!
せいぜい磨いてもらおうじゃん!
壊せるもんならかかってきやがれヒビ一つたりとも入れさせるもんか!!
マリーー!!!
愛してるぜーー!!!
飛び出せ! 羽ばたけ!
天の果てまで翔けてゆけ!!
キミとつないだこのメロディ、世界中に響かせよう!
どこまでも届くように!!!!